第141回
336話〜337話
2021.10.15更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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8‐1 民を教育もしないで戦争に駆り立てることの罪
【現代語訳】
魯が慎子を将軍にしようとした(斉と戦い、南陽を取ろうと考えた)。孟子は言った。「民に教育することを怠っておいて、これを戦争に駆り立てるのは、民に災いを与え苦しめるだけのことになります。民に災いを与えるような者は、堯・舜の世なら許されないことです。たとえ、一戦を交えて斉に勝ち、南陽を我がものとできたとしても、やはりそれは良くないことです」。これを聞いた慎子は、むっとして面白くない顔をして言った。「そんなことは、私の関知しないことです」。
【読み下し文】
魯(ろ)、慎子(しんし)をして将軍(しょうぐん)たらしめんと欲(ほっ)す。孟子(もうし)曰(いわ)く、民(たみ)を教(おし)えずして(※)之(これ)を用(もち)うるは、之(これ)を民(たみ)を殃(わざわい)すと謂(い)う。民(たみ)を殃(わざわい)する者(もの)は、堯(ぎょう)・舜(しゅん)の世(よ)に容(い)れられず。一(ひと)たび戦(たたか)いて斉(せい)に勝(か)ち、遂(つい)に南陽(なんよう)を有(たも)つとも、然(しか)も且(か)つ不(ふ)可(か)なり。慎子(しんし)勃然(ぼつぜん)(※)として悦(よろこ)ばずして曰(いわ)く、此(こ)れ則(すなわ)ち滑釐(かつり)(※)の識(し)らざる所(ところ)なり。
(※)民を教えずして……民に教育することを怠っておいて。『論語』でも次のようにある。「子(し)曰(いわ)く、教(おし)えざるの民(たみ)を以(もっ)て戦(たたか)う。是(こ)れ、之(これ)を棄(す)つると謂(い)う」(子路第十三)。またその前条では、「子(し)曰(いわ)く、善人(ぜんじん)民(たみ)を教(おし)うること七年(しちねん)ならば、亦(また)以(もっ)て戎(じゅう)に即(つ)かしむべし」とも言う。孔子は、何でも不戦論というのではなく、国民を教育し、孫子の言う、「道(みち)」を守り、「民(たみ)をして上(かみ)と意(い)を同(おな)じくせしむるなり」(計篇)でなくては戦争などしてはいけないとするようである。また、『孫子』も、将軍と兵の関係においても、強い軍隊をつくるには、「令(れい)素(もと)より行(おこな)われて以(もっ)て其(そ)の民(たみ)を教(おし)うれば、則(すなわ)ち民(たみ)服(ふく)す」とし、正しい教育などで信頼関係をつくり上げることが大切とする(行軍篇)。
(※)勃然……むっとして面白くない顔をして。
(※)滑釐……慎子の名。
【原文】
魯、欲使愼子爲將軍、孟子曰、不敎民而用之、謂之殃民、殃民者、不容於堯・舜之世、一戰勝齊、遂有南陽、然且不可、愼子勃然不悅曰、此則滑釐所不識也。
8‐2 侵略戦争がいけない理由
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「このたびの侵略戦争がなぜいけないのかについて、私があなたにはっきりと言いましょう。天子の領地は千里四方と定まっています。それぐらいの土地がないと、その収入で諸侯を待遇することが難しいからです。また、諸侯の領地は百里四方と定まっています。それぐらいの土地がないと、その収入をもって宗廟の典籍にあるような先祖伝来の記録どおりの儀礼を守り、行うことができないからです。周公が魯に封ぜられたときも、領地は百里四方でした。土地が足りなかったからではなく、百里四方にとどめたのです。太公望が、斉に封ぜられたときも、やはり百里四方でした。これも土地が足りなかったからではなく、百里四方にとどめたからです。ところが、今日の魯は、領土を広げており、百里四方のものが五つある状態です(つまり、五倍の広さになっている)。今、もし王者が出現したら、魯の領地は、削られることになるだろうか、増やされることになるだろうか、あなたはどう思いますか(もちろん削られるのは明らかです)。戦うことなしにどこかの領地を取って、ほかの国に領地を与えることでも、仁者はしないものです。まして戦争をして(人を殺して)まで、領地を取って増やそうなどはしないものです。君子が君に仕えることにおいては、努めて君を仁道に志すようにしむけるだけです」。
【読み下し文】
曰(いわ)く、吾(わ)れ明(あき)らかに子(し)に告(つ)げん。天子(てんし)の地(ち)は方(ほう)千里(せんり)、千里(せんり)ならざれば、以(もっ)て諸侯(しょこう)を待(ま)つに足(た)らず。諸侯(しょこう)の地(ち)は方(ほう)百里(ひゃくり)、百里(ひゃくり)ならざれば、以(もっ)て宗廟(そうびょう)の典籍(てんせき)(※)を守(まも)るに足(た)らず。周公(しゅうこう)(※)の魯(ろ)に封(ほう)ぜざるるや、方(ほう)百里(ひゃくり)たり。地(ち)足(た)らざるに非(あら)ず、而(しか)も百里(ひゃくり)に倹(けん)(※)せり。太公(たいこう)(※)の斉(せい)に封(ほう)ぜざるるや、亦(また)方(ほう)百里(ひゃくり)たり。地(ち)足(た)らざるに非(あら)ず、而(しか)も百里(ひゃくり)に倹(けん)せり。今(いま)、魯(ろ)は方百里(ほうひゃくり)なる者(もの)五(いつ)つあり。子(し)以(お)為(も)えらく、王者(おうじゃ)作(おこ)ること有(あ)らば、則(すなわ)ち魯(ろ)は損(そん)する所(ところ)に在(あ)るか、益(えき)する所(ところ)に在(あ)るか。徒(ただ)に諸(これ)を彼(かれ)に取(と)りて以(もっ)て此(こ)れに与(あた)うるすら、然(しか)も且(か)つ仁者(じんしゃ)は為(な)さず。況(いわ)んや人(ひと)を殺(ころ)して以(もっ)て之(これ)を求(もと)むるに於(お)いてをや。君子(くんし)の君(きみ)に事(つか)うるや、務(つと)めて其(そ)の君(きみ)を引(ひ)きて、以(もっ)て道(みち)に当(あ)たり仁(じん)に志(こころざ)さしむるのみ。
(※)宗廟の典籍……宗廟にある典籍、すなわち先祖伝来の儀礼などについての記録。
(※)周公……武王の弟の周公旦。孔子が尊敬したことで有名。離婁(下)第二十章参照。
(※)倹……とどめる。
(※)太公……太公望。離婁(上)第十三章参照。
【原文】
曰、吾明告子、天子之地方千里、不千里、不足以待諸侯、諸侯之地方百里、不百里、不足以守宗廟之典籍、周公之封於魯、爲方百里也、地非不足、而儉於百里、太公之封於齊也、亦爲方百里也、地非不足也、而儉於百里、今、魯方百里者五、子以爲、有王者作、則魯在所損乎、在所益乎、徒取諸彼以與此、然且仁者不爲、況於殺人以求之乎、君子之事君也、務引其君、以當道志於仁而已。
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