第154回
373〜375話
2021.11.04更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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27‐1 正しい判断ができるように欲望にとらわれない
【現代語訳】
孟子は言った。「腹がへって飢えている人は、どんな食べ物でもおいしいと感じる。のどが渇いた人は、何を飲んでもおいしいと感じる。これらは飲食の正しい味がわかっていない。飢渇が、人の味覚をおかしくしてしまっているのである。このような飢渇の害は、口や腹だけに及ぶのではない。人の心にも害は及ぶことがある。もし飢渇の害が心に及ばないようにできる人ならば、(富貴などで)人に及ばないことがあっても心配することなどないだろう(その人はすでに立派な人である)」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、飢(う)えたる者(もの)は食(しょく)を甘(あま)しとし(※)、渇(かつ)したる者(もの)は飲(いん)を甘(あま)しとす。是(こ)れ未(いま)だ飲食(いんしょく)の正(ただ)しきを得(え)ざるなり。飢渇(きかつ)之(これ)を害(がい)すればなり。豈(あに)惟(ただ)口腹(こうふく)のみ飢渇(きかつ)の害(がい)有(あ)らんや。人心(じんしん)も亦(また)皆(みな)害(がい)有(あ)り。人(ひと)能(よ)く飢(き)渇(かつ)の害(がい)を以(もっ)て心(こころ)の害(がい)と為(な)すこと無(な)くんば、則(すなわ)ち人(ひと)に及(およ)ばざるも憂(うれ)いと為(な)さず。
(※)食を甘しとし……食べ物がおいしいと感じる。なお、梁恵王(上)第七章参照。また、『老子』(獨立第八十)にも「其(そ)の食(しょく)を甘(あま)しとし」とある。これは「自分たちの(出身地、住居地などの)食べ物をうまい(おいしい)とし」という意味である(拙著『全文完全対照版 老子コンプリート』参照)。
【原文】
孟子曰、飢者甘食、渇者甘飮、是未得飮食之正也、飢渇害之也、豈惟口腹有飢渇之害、人心亦皆有害、人能無以飢渇之害爲心害、則不及人不爲憂矣。
28‐1 地位のために志を変えてはいけない
【現代語訳】
孟子は言った。「柳下恵は、三公という高地位を得るか失うかがかかっていようとも、自分の生き方、考え方、行動を変えなかった」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、柳下恵(りゅうかけい)(※)は、三公(こう)(さん※)を以(もっ)て其(そ)の介(かい)(※)を易(か)えず。
(※)柳下恵……公孫丑(上)第九章二、万章(下)第一章三、尽心(下)第十五章参照。
(※)三公……太師・太傅・太保のこと。天子を輔する最高官を指す。
(※)介……生き方、考え方、行動。信念。操(みさお)。
【原文】
孟子曰、柳下惠、不以三公易其介。
29‐1 目的ある者は達するまでやめてはならない
【現代語訳】
孟子は言った。「目的を持ってそれを達しようという者は、目的を達するまで、中途でやめてはならない。これは、例えば井戸を掘るようなものである。かなり深いところまで掘ったとしても水の湧き出す泉に達しないと、それは何の意味もない。井戸を捨ててしまったのと同じである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、為(な)すこと有(あ)る者(もの)は、辟(たと)えば井(い)を掘(ほ)るが若(ごと)し。井(い)を掘(ほ)ること九軔(きゅうじん)(※)、而(しか)も泉(せん)に及(およ)ばざれば、猶(な)お井(い)を棄(す)つと為(な)すなり。
(※)九軔……かなり深いところ。軔は仞と同じで八尺のこととされている。なお、『論語』で孔子は次のように述べてる。「子(し)曰(いわ)く、力(ちから)の足(た)らざる者(もの)は、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今(いま)、女(なんじ)は画(かぎ)る」(雍也第六)。また、『孫子』でも、「夫(そ)れ戦(せん)勝(しょう)攻(こう)取(しゅ)して、其(そ)の功(こう)を修(おさ)めざる者(もの)は凶(きょう)なり」(火攻篇)。つまり、目的を達しない戦いの勝利には意味がないとする。
【原文】
孟子曰、有爲者、辟若掘井、堀井九軔而不及泉、猶爲棄井也。
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