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第168回

414〜416話

2021.11.25更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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22‐1 表面的なことだけでは物事を判断できない

【現代語訳】
高子は言った。「禹の音楽は、文王の音楽より優っています」。孟子は言った。「何を理由にそう言うのだ」。高子は答えた。「禹の楽器の鐘をかけるための取っ手が虫が食ったようにすり減っているからです(その鐘をよく使ったという証拠でしょう)」。孟子は言った。「そんなことを理由にできるものか。例えば、城門の轍の跡は深くへこんでいるが、それは長年の間狭いところを何台もの車が通ったためできたもので、決して二頭だての一台の車の力でできたものではないのだ(禹は文王よりも千年も前の人なので取っ手がすり減ったのである。そんなことで音楽の優劣は決められない)」。

【読み下し文】
高子(こうし)曰(いわ)く、禹(う)の声(せい)(※)は、文王(ぶんおう)の声(せい)に尚(まさ)れり。孟子(もうし)曰(いわ)く、何(なに)を以(もっ)て之(これ)を言(い)うや。曰(いわ)く、追(たい)(※)の蠡(れい)せる(※)を以(もっ)てなり。曰(いわ)く、是(こ)れ奚(なん)ぞ足(た)らんや。城門(じょうもん)の軌(き)は、両馬(りょうば)(※)の力(ちから)ならんや。

(※)声……ここでは、音楽のこと。
(※)追……鐘の取っ手。鐘をかけるための竜頭形の取っ手。
(※)蠡せる……虫が喰ったようにすり減る。
(※)両馬……二頭立ての一台の車。

【原文】
高子曰、禹之聲、尙文王之聲、孟子曰、何以言之、曰、以追蠡、曰、是奚足哉、城門之軌、兩馬之力與。

23‐1 自分の行動にはいつも時と場合における根拠がある

【現代語訳】
斉の国が饑饉(ききん)となった。(弟子の)陳臻が言った。「先生、この国の人たちは皆、この前の饑饉のとき、先生が王に助言して棠にある米倉を開いて米を放出してくれたように、再びそれをしてくれることを望んでいるようですが、再びしてくれるのは難しいですか」。孟子は答えた。「そのようにすることは馮婦と同じことをするようなものだ。かつて晋に馮婦という者がいた。よく虎を手取りにできた。しかし、後には善良な士となった。あるとき野に行ったところ、大勢の人が虎を追いかけていて、虎は山懐を背にして身構えている。誰もあえて手出しをしようとしない。人々は馮婦を見つけて、走り寄ってこれを迎えた。すると馮婦は、腕まくりをして車から降りた。人々は、これを見て喜んだが、心ある士たちは、これを笑ったのである(今や公職に仕える身であるのに、昔と同じように軽卒で危険なことに手出しするのは何ということだと)」。

【読み下し文】
斉(せい)饑(う)う。陳臻(ちんしん)曰(いわ)く、国人(くにじん)皆(みな)以(おも)えらく、夫子(ふうし)将(まさ)に復(ふたた)び棠(とう)(※)を発(ひら)く(※)ことを為(な)さんとす、と。殆(ほとん)ど復(ふたた)びすべからざるか。孟子(もうし)曰(いわ)く、是(こ)れ馮婦(ふうふ)(※)を為(な)すなり。晋人(しんひと)に馮婦(ふうふ)という者(もの)有(あ)り。善(よ)く虎(とら)を摶(う)つ(※)。卒(つい)に善士(ぜんし)と為(な)る。則(すなわ)ち野(の)に之(ゆ)く。衆(しゅう)、虎(とら)を遂(お)う有(あ)り。虎(とら)、嵎(ぐう)(※)を負(お)う。之(これ)に敢(あえ)て攖(せま)る(※)もの莫(な)し。馮婦(ふうふ)を望見(ぼうけん)し、趨(はし)りて之(これ)を迎(むか)う。馮婦(ふうふ)臂(ひじ)を攘(かか)げて(※)車(くるま)を下(くだ)る。衆(しゅう)皆(みな)之(これ)を悦(よろこ)びしも、其(そ)の士(し)たる者(もの)は之(これ)を笑(わら)えり。

(※)棠……斉の邑の名で、ここに米倉がある。
(※)発く……米倉を開いて米を放出する。
(※)馮婦……馮は姓、婦は名。
(※)摶つ……手取りにする。
(※)嵎……山懐。
(※)攖る……手出しをする。触れる。
(※)臂を攘げて……腕まくりをして。

【原文】
齊饑、陳臻曰、國人皆以、夫子將復爲發棠、殆不可復、孟子曰、是爲馮婦也、晉人有馮婦者、善搏虎、卒爲善士、則之野、有衆逐虎、虎、負嵎、莫之敢攖、望見馮婦、趨而迎之、馮婦攘臂下車、衆皆悅之、其爲士者笑之。

24‐1 天命だといって諦めずに努力すること

【現代語訳】
孟子は言った。「口がおいしいものを欲し、目が美しいものを欲し、耳が良い音楽を欲し、鼻が良い匂いを欲し、四体がのんびりと楽にすることを欲するのは、人の本性ともいえるだろう。しかし、一方で天命というのがあって、これらのことを思うように得られないことがあるから、君子はこれらを本性とは言わないのだ。父子の間における仁、君臣の間における義、お客と主人の間における礼、賢者の間における智、聖人にとっての天道が、すべて思うようになるとは限らないのは、天命であるからである。しかし、本性として人は、仁・義・礼・智を持っているので、君子はこれを天命と言って諦めてはならず、本性を拡充していくことに努力しなければならない」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、口(くち)の味(あじ)わいに於(お)けるや、目(め)の色(いろ)に於(お)けるや、耳(みみ)の声(こえ)に於(お)けるや、鼻(はな)の臭(にお)い(※)に於(お)けるや、四肢(しし)の安佚(あんいつ)に於(お)けるや、性(せい)なり(※)。命(めい)有(あ)り(※)、君子(くんし)は性(せい)と謂(い)わざるなり。仁(じん)の父子(ふし)に於(お)けるや、義(ぎ)の君臣(くんしん)に於(お)けるや、礼(れい)の賓主(ひんしゅ)に於(お)けるや、智(ち)の賢者(けんじゃ)に於(お)けるや、聖人(せいじん)の天道(てんどう)に於(お)けるや、命(めい)なり。性(せい)有(あ)り(※)、君子(くんし)は命(めい)と謂(い)わざるなり。

(※)臭い……匂い。日本語では、どちらかというと良いにおいの場合は、「匂い」を使う場合が多い。
(※)性なり……本性である。本能がある。
(※)命有り……天命がある。
(※)性有り……本性として人は、仁・義・礼智を持っている。本章の理解は難しいところがある。前に告子との論争にあった本性論との関係でも迫力に欠けるようなところも見える。しかし、わかるのは孟子の本性論が孔子を受けつぎ、あくまでもその道徳的要請を求めていこうとするものであることである。

【原文】
孟子曰、口之於味也、目之於色也、耳之於聲也、鼻之於臭也、四肢之於安佚也、性也、有命焉、君子不謂性也、仁之於父子也、義之於君臣也、禮之於賓主也、知之於賢者也、聖人之於天道也、命也、有性焉、君子不謂命也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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