第174回
432話
2021.12.03更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
38‐1 孔子の道は私が伝えていく強い覚悟
【現代語訳】
孟子は言った。「堯・舜から湯王までに五百余年経っている。禹や皐陶などは、直接に堯・舜の道を見てこれを知り、湯王などは、伝え聞いてその道を知ったのである。湯王から文王までに五百余年経っている。伊尹や萊朱などは、直接に湯王の聖人の道を見てこれを知り、文王などは、伝え聞いてその道を知ったのである。文王から孔子までに五百余年経っている。太公望や散宜生などは、直接に文王の道を見てこれを知り、孔子などは、伝え聞いてその道を知ったのである。孔子から今までは百余年経っている。このように聖人の孔子がこの世を去ってから、そんなに経ってはいない。しかも、私が住んでいる鄒(すう)は、聖人の孔子がいた魯にとても近い。しかし、今現在で孔子の道を見知っている者がないとすれば、将来は伝え聞いて知る者が誰もいなくなってしまうことになる(だから、この聖人の道を後世に伝えていくのは私しかいないのだ)」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、堯(ぎょう)・舜(しゅん)より湯(とう)に至(いた)るまで、五百(ごひゃく)有余(ゆうよ)歳(さい)。禹(う)・皐(こう)陶(とう)(※)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち見(み)て之(これ)を知(し)り、湯(とう)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち聞(き)きて之(これ)を知(し)る。湯(とう)より文王(ぶんおう)に至(いた)るまで、五百(ごひゃく)有余(ゆうよ)歳(さい)。伊尹(いいん)(※)・萊朱(らいしゅ)(※)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち見(み)て之(これ)を知(し)り、文王(ぶんおう)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち聞(き)きて之(これ)を知(し)る。文王(ぶんおう)より孔子(こうし)に至(いた)るまで、五百(ごひゃく)有余(ゆうよ)歳(さい)。太公望(たいこうぼう)(※)・散宜生(さんぎせい)(※)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち見(み)て之(これ)を知(し)り、孔子(こうし)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち聞(き)きて之(これ)を知(し)る。孔子(こうし)より而(この)来(かた)今(いま)に至(いた)るまで、百(ひゃく)有余(ゆうよ)歳(さい)。聖人(せいじん)の世(よ)を去(さ)ること、此(かく)の若(ごと)く其(そ)れ未(いま)だ遠(とお)からざるなり。聖人(せいじん)の居(きょ)に近(ちか)きこと、此(かく)の若(ごと)く其(そ)れ甚(はなはだ)しきなり。然(しか)り而(しこう)して有(あ)ること無(な)しとせば、則(すなわ)ち亦(また)有(あ)ること無(な)からん(※)。
(※)皐陶……滕文公(上)第四章七参照。
(※)伊尹……万章(上)第七章参照。
(※)萊朱……湯王の賢臣。
(※)太公望……離婁(上)第十三章参照。
(※)散宜生……文王の賢臣。
(※)然り而して有ること無しとせば、則ち亦有ること無からん。……しかし、今現在で孔子の道を見知っている者がないとすれば、将来は、伝え聞いて知る者が誰もいなくなってしまう。なお、ここの読み方の解釈には争いがあるが、佐藤一斎説が明解であるとされ、本書でもその立場を取る。すなわち一斎は、上の「無有」を見て知ることと解し、下の「無有」を聞いて知ることと解する。そして、「乎爾」は助辞として読まないとする。いずれにしても、本章は『孟子』の最終章にふさわしい、孟子の気概、抱負がよく語られている。
【原文】
孟子曰、由堯・舜至於湯、五百有餘歳、若禹・皋陶、則見而知之、若湯、則聞而知之、由湯至於文王、五百有餘歳、若伊尹・莱朱、則見而知之、若文王、則聞而知之、由文王至於孔子、五百有餘歳、若太公望・散宜生、則見而知之、若孔子、則聞而知之、由孔子而來至於今、百有餘歳、去聖人之世、若此其未遠也、近聖人之居、若此其甚也、然而無有乎爾、則亦無有乎爾。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く