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ブックデザイナー 鈴木一誌の生活と意見

第8回

30センチの物差

2017.08.24更新

読了時間

長年ブックデザイナーとして活動し映画やデザインの評論でも知られる著者が、グローバル化する政治経済や情報環境、災害や紛争などによって激しく揺さぶられる現代社会を、デザイナーならではの視点からするどく捉えます。
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 どの本でだったか、文芸評論家・加藤典洋が、哲学者の鶴見俊輔に初めて会ったときのようすを書いていた。まだ若かった加藤は、「心のなかに30センチの物差をもらった気がした」、たしかそんなふうに記していた。

 身の回りを見ると、30センチの物差でたいがいのものは測れる。コンビニエンスストアに陳列されている商品は、傘などをのぞき、野菜も菓子もだいたい30センチ以内だ。フェイスタオルなど、長いものは折り畳まれて並んでいる。乾燥パスタが26センチ、素麺が22センチ、ワインやビール瓶の高さがほぼ30センチである。3倍にすれば、畳の短辺90センチになるし、6倍ならば、畳の長辺180センチだ。書籍でも、30センチを超える大きさのものはめったにない。デザインの授業で学生に、「30センチの物差をイメージせよ」と言いつづけている。

 古来からある長さの単位「尺」は30.3センチで、30センチに近い。尺にしても寸にしても、尺度は身体の寸法に由来する。尺は、ひじから手首までの長さにほぼ一致するし、開いた親指と人さし指の長さのほぼ倍である。尺をはさんで、寸や丈(尺の10倍)が刻まれ、さらに尋や咫といった単位にもつながっていく。

 日常でのできごとの多くが30センチのなかで起こっていると言える。おそらく、鶴見さんが実際に「30センチの物差」と口にしたのではなく、加藤さんがそう受けとった気もする。若き日の彼は、鶴見さんに会い、生きていく基準を自分のなかに置いてもらったと感じた。もう少し言うならば、生きていく基準は30センチでないといけない、と教えられたのだ。粗すぎず細かすぎず、30センチくらいがちょうどよい。天下国家を論じて生活を見下ろすような、鳥瞰図的なスケールでは駄目なのだと。

 「心のなかに30センチの物差をもっている」と思える政治家は少ない。30センチの感覚を失い、公私混同のはなはだしい金遣いをする。杭打ち耐震データや自動車の燃費なども、数値が独り歩きして人間から離れてしまった例だろう。数値を、自身の身体に引きつけて検証し、データに責任をもつのを怠ったのだ。

 科学技術史に関する著書の多い山本義隆が、原子力発電所の現場監督を長く務めた平井憲夫の論文を引きながら、こう書いている。「図面を引く基準が「日立は0.5ミリ切り捨て、東芝と三菱は0.5ミリ切り上げ、日本原研は0.5ミリ切り下げ」の違いがあったため、配管がすべて図面どおり寸法どおりに作られていたにもかかわらず「100ヵ所も集まると大変な違いになり」合わなくなった」(『福島の原発事故をめぐって いくつか学びえたこと』みすず書房、2011年)。各社の技術者にとって、0.5ミリはあくまでも操作できる数字でしかなく、具体化された0.5ミリを身体化できなかった。

 円を描く道具にコンパス(compass)がある。コンパスの語源としておもしろい話を聞いた。コンパスは、com+passからきていて、パスをとも(com)にすることだそうだ。「通る、進む」などの意味があるパスには「歩く」イメージがあり、円を方位で分割する際に、ふたりが歩数を合わせ共同して測ったのかもしれない。辞書によっては、「compass」の隣に「compassion(共感、思いやり)」がある。たがいに30センチの物差を共有し、パッションをともにする思いやりに満ちた世界になればよいと願う。

(初出『市民の意見』第157号 2016・8)

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著者

鈴木一誌

ブックデザイナー。1950年東京都生まれ。杉浦康平氏のアシスタントを12年間つとめ、1985年に独立。映画や写真の批評も手がけつつ、デザイン批評誌『d/SIGN』を戸田ツトムとともに責任編集(2001〜2011年)。神戸芸術工科大学客員教授。著書に『画面の誕生』(2002年)『ページと力』(2002年)『重力のデザイン』(2007年)『「三里塚の夏」を観る』(2012年)。共編著書に『知恵蔵裁判全記録』(2001年)『映画の呼吸 澤井信一郎の監督作法』(2006年)『全貌フレデリック・ワイズマン』(2011年)、『1969 新宿西口地下広場』(2014年)『デザインの種』(2015年)『絶対平面都市』(2016年)など。

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