第2回
祈りの絵【飛鳥~室町時代の宗教画】
2017.07.05更新
誰もがわかる「凄さ」より、私が心奪われる「美しさ」が大事! リアルなものも嫌いじゃないけど、キレイなものやかわいいものが大好きで、デフォルメや比喩も進んで楽しめちゃう。そんな日本人の「好き」の結晶・日本絵画。世界も魅了したその魅力をお教えします。
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大日如来を中心とした密教の世界観や教えを絵で表したもの。強い色彩や官能性、力強さ、呪術性などのアクの強さが特徴。平安初期に空海が唐から持ち帰った両界曼荼羅(りょうかいまんだら)※1により、新しい仏の姿が広まった。
末法思想※2が広まった平安時代中期以降、極楽往生を願う貴族たちによる浄土信仰のもと、盛んに制作された。阿弥陀如来が死者を迎えにくる「来迎図」を最大の主題とし、多彩な図様が描かれた。
金箔や銀箔を細く切って文様や輪郭線に貼り込む技法。平安時代後期には彩色と併用されて装飾性が高まり、菩薩像の着衣の文様などの表現に使われ、この時期の仏教絵画の特色である絢けん爛らんたる作品が多く生み出された。
世界の多くの地域と同じように、日本の初期の絵画は宗教的な主題を描くものがほとんどでした。まず外来の宗教である仏教に関わる絵が発達し、少し遅れて日本の神々も描かれるようになります。
仏教絵画は飛鳥時代から描かれ始め、奈良時代には遣唐使の派遣などを通じて学んだ作画技術を磨いて、本家中国にも負けないようなすぐれた作品を生み出しています。それらは如来や菩薩の厳かな姿を描くものでしたが、平安時代も半ばを過ぎる頃になると、次第に女性的な優美さが表現されるようになります。金や銀の輝きを織り込んだ、豊かな装飾性に目を奪われます。阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)※3などではオリジナルな図様も生み出され、日本的な仏教絵画が隆盛期を迎えました。
※1 両界曼荼羅:大日如来を中心とした密教の世界観・システムを絵で表したもの
※2 末法思想:釈迦の死後だんだん教えがすたれていき、世の中が荒れていくという仏教の世界観
※3 阿弥陀来迎図:阿弥陀如来が臨終に際して、信者を極楽浄土(ごくらくじょうど)に迎えるためにやってくるようすを描いたもの
※4 やまと絵:日本独特の情景や表現がみられる絵画。唐絵に対する概念として用いられた。
飛鳥時代の幕開けは、百済(くだら)から伝わった仏教に象徴されます。聖徳太子による仏教を中心とした国づくりが始められた際、外来の宗教である仏教をわかりやすく伝えるものが必要となり、多くの仏像や絵画が作られました。 「法隆寺金堂壁画」の多くは1949年の火災で失われましたが、残された写真などからシルクロード経由で伝わり、唐で流行したインド風の仏教絵画と陰影法の技法が用いられていたことがわかります。鉄線描(てっせんびょう)※5による強靭(きょうじん)な描線や立体感を表す隈取(くまどり)など、初唐様式と呼ばれる当時の最新テクニックが反映されていました。その反面、まだあまり日本的な表現は認められませんが、誰が見ても圧倒される威厳のあるものを完成させてみせるという気概を感じます。
※5 鉄の針金のように一定で均一な太さの硬い線
平安時代は万人成仏を説く『法華経』が信仰を集め、女性の人気を得ました。こうした背景から、崇拝の対象として数多く描かれた普賢菩薩には女性的な繊細さや華麗さがうかがえます。 なかでも屈指の名品といえるのが、東京国立博物館所蔵の『普賢菩薩像』です。通常は朱で描く肉体の輪郭線を淡墨で細く引き、普賢菩薩の透き通るような白色の肌を際立たせるなど、極めて耽美的で繊細な表現がなされています。しかしよく見ると、ほぼ真横に描かれた白象に対し、普賢菩薩の膝は真正面を向いています。白象の背中に真横に乗っているような不自然な恰好ですが、二等辺三角形の均整のとれた構図が不合理を感じさせず、実際よりも見た目の美しさを優先して描かれていることがわかります。
鎌倉時代は念仏を唱えれば誰でも往生できると説く浄土信仰が支持され、極楽浄土への憧れが民衆にも広まりました。平安時代から盛んに描かれた阿弥陀来迎図は一段と創意を増し、浄土への速やかなお迎えを願う人々の思いによって阿弥陀如来に動きが加わり、画面の中に往生者を描く構図が多くみられるようになります。
その代表的な作品がこの『阿弥陀二十五菩薩来迎図』です。雲の動きによって、降臨する阿弥陀如来のスピード感がみごとに表現されていることから「早来迎」(はやらいこう)とよばれています。
雲の下には険しい山岳がそびえ立ち、満開の桜など日本的な風景も描かれています。阿弥陀如来をとりまく目に見えない場面を、想像でリアルに描きだした傑作といえます。
※6往生者:死後、極楽浄土へ生まれ変わることができる人
参詣としての富士登山は室町時代に確立し、人々は山頂に浄土があると信じて登頂をめざしました。
この絵は前時代からある「宮曼荼羅」※7から参詣のようすを描いた「参詣曼荼羅」への過渡期にあるもの。両方の要素をもつことなどから、参詣者を集めるための絵解き用よりは、礼拝用の可能性が高いとされています。また、押された印から、狩野元信工房の作品と考えられています。
本作の空から眺めるような構図は極めて日本的で、絵師の独創性によって山頂までの景色がスケール感たっぷり表現されています。参拝者の動きまでわかりますが、遠近法的に正しく描かれているわけではなく、建物の大小によって宗教勢力の力関係も示されています。
※7 宮曼荼羅:神社の境内や社域の景観を描いたもの。神様や仏様の姿をした神様の姿が合わせて描かれることが多く、礼拝用に使われた
※8 道者:連れだって寺社を参詣する人・巡礼する人
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