第127回
303話〜305話
2021.09.24更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
8‐1 本性は見た目ではわからないことがある
【現代語訳】
孟子は言った。「牛山(※)という山の草木は、昔は美しく茂っていた。ところがこの牛山は、(斉という)大国の国都の郊外にあったので、多くの人が斧(おの)や斤(まさかり)で伐採してしまった。だから美しい山ではなくなった。この牛山には、木の根や種子はあったため、日夜に生長しようという生命力そして雨や露のうるおす恵みで、芽生えやひこばえが生じないことはなかった。しかし、少し生えかかると人は牛や羊を放牧するので、すっかり食べられてしまった。だからあのようなはげ山になってしまった。今の人は、そのはげ山を見て、あの山は昔から、はげ山で材木などにする木はなかったのだと思う。しかし、それは牛山の本性ではないのだ」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、牛山(ぎゅうざん)(※)の木(き)嘗(かつ)て美(び)なりき。其(そ)の大国(たいこく)に郊(こう)たるを以(もっ)て、斧(ふ)斤(きん)(※)之(これ)を伐(き)る。以(もっ)て美(び)と為(な)すべけんや。是(こ)れ其(そ)の日夜(にちや)の息(そく)する所(ところ)、雨露(うろ)の潤(うるお)す所(ところ)、萌蘖(ほうげつ)(※)の生(せい)無(な)きに非(あら)ず。牛(ぎゅう)羊(よう)又(また)従(したが)って之(これ)を牧(ぼく)す。是(ここ)を以(もっ)て彼(か)の若(ごと)く濯濯(たくたく)(※)たるなり。人(ひと)其(そ)の濯濯(たくたく)たるを見(み)て、以(もっ)て未(いま)だ嘗(かつ)て材(ざい)有(あ)らずと為(な)す。此(こ)れ豈(あに)山(やま)の性(せい)ならんや。
(※)牛山……斉の東南にある山。
(※)斧斤……斧(おの)や斤(まさかり)。
(※)萌蘖……「萌」は芽生え、「蘖」はひこばえ(切り株から生えてくる若芽)。
(※)濯濯……はげている様。
【原文】
孟子曰、牛山之木甞美矣、以其郊於大國也、斧斤伐之、可以爲美乎、是其日夜之所息、雨露之所潤、非無萌蘗之生焉、牛羊又從而牧之、是以若彼濯濯也、人見其濯濯也、以爲未甞有材焉、此豈山之性也哉。
8‐2 平旦の気・夜気(本来の自分の気を養う)
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「人に存する本性も同様に、そこには仁義の心がないわけがない。ただ人がその良心を放ち失うのは、やはり、斧や斤で牛山の木を伐ってしまうようなものである。毎日毎日木を伐るように、良い心を切ったら、どうして立派な良心があることにはならないだろう。人にも牛山の木と同じように、日夜生長する平旦の気という夜明け前の清明な気分があるのだが、善を好み、悪を憎む心が人と近いものはほとんどまれであるのは、人が日中に行うことがその平旦の気を拘束してしまい、生長を止めてしまうからである。平旦の気を拘束することを反覆していれば、夜気、すなわち平旦の気は存することがなくなってしまう。こうして平旦の気が存しなくなると、鳥やけものたちと変わらなくなってしまうことになる。世の人が、その人の鳥やけものと変わらない行いを見て、あの人は生まれつきの悪で、善をする才を持っていないのだと考えるのは間違いである。これはその人本来の性情ではないのだ」。
【読み下し文】
口(くち)の味(あじ)に於(お)ける、同(おな)じく耆(たしな)むこと有(あ)るなり。易牙(えきが)は先(ま)ず我(わ)が口(くち)の耆(たしな)む所(ところ)を得(え)たる者(もの)なり。如(も)し口(くち)の味(あじ)に於(お)けるや、其(そ)の性人(せいひと)と殊(こと)なること、犬馬(けんば)の我(われ)と類(るい)を同(おな)じうせざるが若(ごと)くならしめば、則(すなわ)ち天下(てんか)何(なん)ぞ耆(たしな)むこと、皆(みな)易牙(えきが)(※)の味(あじ)に於(お)けるに従(したが)わんや。味(あじ)に至(いた)りては、天下(てんか)易牙(えきが)に期(き)す。是(こ)れ天下(てんか)の口(くち)相似(あいに)たればなり。惟(ただ)耳(みみ)も亦(また)然(しか)り。声(こえ)に至(いた)りては、天下(てんか)師曠(しこう)(※)に期(き)す。是(こ)れ天下(てんか)の耳(みみ)相似(あいに)たればなり。惟(ただ)目(め)も亦(また)然(しか)り。子都(しと)(※)に至(いた)りては、天下(てんか)其(そ)の姣(こう)(※)を知(し)らざる莫(な)きなり。子都(しと)の姣(こう)を知(し)らざる者(もの)は、目(め)無(な)き者(もの)なり。故(ゆえ)に曰(いわ)く、口(くち)の味(あじ)に於(お)けるや、同(おな)じく耆(たしな)むこと有(あ)り。耳(みみ)の声(こえ)に於(お)けるや、同(おな)じく聴(き)くこと有(あ)り。目(め)の色(いろ)に於(お)けるや、同(おな)じく美(び)とすること有(あ)り。心(こころ)に至(いた)りて、独(ひと)り同(おな)じく然(しか)りとする所(ところ)無(な)からんや。心(こころ)の同(おな)じく然(しか)とする所(ところ)の者(もの)は何(なん)ぞや。謂(い)わく、理(り)なり、義(ぎ)なり。聖人(せいじん)は先(ま)ず我(わ)が心(こころ)の同(おな)じく然(しか)りとする所(ところ)を得(え)たるのみ。故(ゆえ)に理義(りぎ)の我(わ)が心(こころ)を悦(よろこ)ばすは、猶(な)お芻(すう)豢(かん)(※)の我(わ)が口(くち)を悦(よろこ)ばすがごとし。
(※)良心……仁義の心。現在もよく使われている「良心」の語源。なお、『菜根譚』では、自分の本当の良心のことを「真君」と言っている(前集百十九条)。『菜根譚』も、孟子の〝性善説〟を前提に語っているようだ(拙著『全文完全対照版 菜根譚コンプリート』参照)。
(※)平旦の気……夜明け前の清明な気分。夜気とも言う。なお、吉田松陰は、平旦の気、夜気は〝浩然の気〟を養うため活用すると言う。そして、孟子が言うように、夜明け前の静かなところで気を養うのもいいが、行動して養っていく気もあると、自分の体験から提案している(『講孟箚記』)。
(※)旦昼……日中。
(※)梏亡……拘束してしまい、生長を止めること。
(※)夜気……平旦の気と同じ。「仁斎・履軒は、ひるは生長せず夜のみ生長するから夜気というと説く。夜間外物に煩わされない清らかな気」であると述べる(『孟子』小林勝人著 岩波文庫)。なお、『菜根譚』後集三九条参照。
【原文】
雖存乎人者、豈無仁義之心哉、其、所以放其良心者、亦猶斧斤之於木也、旦旦而伐之、可以焉美乎、其日夜之所息、平旦之氣、其好惡、與人相近也者幾希、則其旦晝之所焉、有梏亡之矣、梏之反覆、則其夜氣不足以存、夜氣不足以存、則其違禽獸不遠矣、人見其禽獸也、而以爲未甞有才焉者、是豈人之情也哉。
8‐3 良心・性善は正しく育てなければならない
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「だから、いやしくもそれを正しく育てれば、どんなものでも生長しないものはなく、それを正しく育てなければ、どんなものも消えてしまうことになるのだ。孔子は言った。『正しくして守っていれば存するが、放置していればなくなってしまう。出入りには決まったときはなく、その居場所も知ることができないという古語があるが、それはまさにこのことを言ったものであろう』と。その通りと言うべきである」。
【読み下し文】
故(ゆえ)に苟(いやしく)も其(そ)の養(やしな)いを得(う)れば、物(もの)として長(ちょう)ぜざること無(な)く、苟(いやしく)も其(そ)の養(やしな)いを失(うしな)へば、物(もの)として消(しょう)ぜざること無(な)し。孔子(こうし)曰(いわ)く、操(と)れば則(すなわ)ち存(そん)し、舎(す)つれば則(すなわ)ち亡(ぼう)ず。出入(しゅつにゅう)時(とき)無(な)く、其(そ)の郷(きょう)(※)を知(し)ること莫(な)しとは、惟(こ)れ心(こころ)の謂(いい)か、と。
(※)其の郷……その居場所。「郷」を「おるところ」と読む場合もある。
【原文】
故苟得其養、無物不長、苟失其養、無物不消、孔子曰、操則存、舍則亡、出入無時、莫知其郷、惟心之謂與。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く