第151回
364〜366話
2021.10.29更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
19‐1 大人(たいじん)を目指す
【現代語訳】
孟子は言った。「(人物には次の四つの段階の人がいる)まず、単に君に仕えるだけの人物という者がいる。こういう人は、君に仕えさえすればそれで満足するのである。次は国家を安んずる臣という者がいる。こういう人は国家を安んずることをもって満足するのである。さらには天民という者がいる。こういう人は、しかるべき地位に達して、道を天下に行うことができるとみて、これを行う者である。さらに最後に大人という者がいる。この人は、ひたすら自分の身を正しくすることに努め、その結果、徳の感化で自然にほかにも影響を与えて正しくしてしまうという者なのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、君(きみ)に事(つか)うる人(ひと)なる者(もの)有(あ)り。是(こ)の君(きみ)に事(つか)うれば、則(すなわ)ち容悦(ようえつ)を為(な)す者(もの)なり。社稷(しゃしょく)(※)を安(やす)んずる臣(しん)なる者(もの)有(あ)り。社稷(しゃしょく)を安(やす)んずるを以(もっ)て、悦(えつ)を為(な)す者(もの)なり。天民(てんみん)なる者(もの)有(あ)り。達(たっ)し(※)て天下(てんか)に行(おこな)うべくして、而(しか)る後(のち)に之(これ)を行(おこな)う者(もの)なり。大人(たいじん)(※)なる者(もの)有(あ)り。己(おのれ)を正(ただ)しくして、而(しか)して物正(ものただ)しき者(もの)なり。
(※)社稷……国家。「社」は土地の神のこと。「稷」は穀物の神のこと。そこから国家のことを意味するようになった。
(※)達し……しかるべき地位に達する。「達」を「道」と変えて読むべきとする説もある。
(※)大人……優れて偉大な人。徳が最高の人。吉田松陰は、「余(よ)は初(はじ)めより大人(たいじん)を以(もっ)て志(こころざし)を立(た)て、己(おのれ)を正(ただ)しうして物(もの)を正(ただ)しくせんとするなり。若(も)し、かくのごとくにして功(こう)なくして徒死(とし)するとも、吾(わ)れ敢(あえ)て悔(く)いざるなり」と述べている(『講孟箚記』)。なお、「大」と「聖」、そして「神」については尽心(下)第二十五章を参照。
【原文】
孟子曰、有事君人者、事是君、則爲容悅者也、有安社稷臣者、以安社稷、爲悅者也、有天民者、逹可行於天下而後行之者也、有大人者、正己、而物正者也。
20‐1 君子の三楽
【現代語訳】
孟子は言った。「君子には三つの楽しみがある。しかし、そのなかには、天下の王として君臨することは入らない。第一の楽しみは、父母がともに健在で、兄弟姉妹にも事故がないということである。第二の楽しみは、自分の行いが、仰いでは天に恥じることなく、俯しては人に恥じることがないことである。第三の楽しみは、天下の英才を見出して、これを教育することである。君子の三楽は以上のようなものである。これには天下の王として君臨することは入らないのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、君子(くんし)に三楽(さんらく)有(あ)り。而(しか)して天下(てんか)に王(おう)たるは与(あずか)り存(そん)せず。父母(ふぼ)俱(とも)に存(そん)し、兄弟(けいてい)故(こ)無(な)きは、一(いつ)の楽(たの)しみなり。仰(あお)ぎて天(てん)に愧(は)じず、俯(ふ)して人(ひと)に怍(は)じざるは(※)、二(に)の楽(たの)しみなり。天下(てんか)の英才(えいさい)(※)を得(え)て之(これ)を教育(きょういく)するは、三(さん)の楽(たの)しみなり。君子(くんし)に三楽(さんらく)有(あ)り。而(しか)して天下(てんか)に王(おう)たるは与(あずか)り存(そん)せず。
(※)仰ぎて天に愧じず、俯して人に怍じざるは……公孫丑(上)第二章三の「自(みずか)ら反(はん)して縮(なお)ければ、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(わ)れ往(ゆ)かん」参照。
(※)英才……才智、才能の優れた人を一般に指すが、将来成長する人、成長させていく人との意味に広く解するのが、吉田松陰の立場のようである。私もそう解したい。本章は、今も使われる「英才教育」の語源となる。なお、松陰の言葉に、「松下陋村(しょうかろうそん)と雖(いえど)ども、誓(ちか)って神国(しんこく)の幹(みき)とならん」、というのがある(「将に獄に赴かんとして、村塾の壁に留題す」)。
【原文】
孟子曰、君子有三樂、而王天下不與存焉、父母俱存、兄弟無故、一樂也、仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也、得天下英才而敎育之、三樂也、君子有三樂、而王天下不與存焉。
21‐1 君子の天から与えられた本性は、初めから本分が定まっている
【現代語訳】
孟子は言った。「広い土地を領し、多くの民を治めていくことは、君子もこれを望むけれども、それを楽しむというところまではいかない。天下の中央に立って、四海の民を治め安定させることは、君子もこれを楽しむが、本性とするところではない。君子の本性とするところは、その志が大いに行われたからといって増加するものではなく、いかに困窮しようとも減少するものではない。なぜなら君子が天から受けている本性は、初めから本分(もともと与えられた職分)が定まっているからである。君子の本性とは、仁義礼智であり、それは心に根ざしたものである。それが、いったん外に表れると、清くてふくよかな徳貌が、顔に出、その背にもあふれ、手足にも行き渡り、何も言わなくても、人にはまことの徳のある人物であることがよくわかるのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、広土(こうど)・衆民(しゅうみん)(※)は、君子(くんし)之(これ)を欲(ほっ)するも、楽(たの)しむ所(ところ)は存(そん)せず。天下(てんか)に中(ちゅう)して立(た)ち、四海(しかい)の民(たみ)を定(さだ)むるは、君子(くんし)之(これ)を楽(たの)しむも、性(せい)とする所(ところ)は存(そん)せず。君子(くんし)の性(せい)とする所(ところ)は、大(おお)いに行(おこな)わると雖(いえど)も加(くわ)わらず、窮居(きゅうきょ)(※)すと雖(いえど)も損(そん)せず。分(ぶん)定(さだ)まるが故(ゆえ)なり。君子(くんし)の性(せい)とする所(ところ)は、仁義(じんぎ)礼(れい)智(ち)、心(こころ)に根(ね)ざす。其(そ)の色(いろ)に生(しょう)ずるや、睟然(すいぜん)(※)として面(おもて)に見(あら)われ、背(せ)に溢(あふ)れ、四体(したい)に施(し)き、四体(したい)言(い)わずして而(しか)して喩(さと)る。
(※)広土衆民……広い土地を領し、多くの民を治めること。
(※)窮居……困窮すること。
(※)睟然……清く、ふくよかな徳が外に表れている様子。
【原文】
孟子曰、廣土・衆民、君子欲之、所樂不存焉、中天下而立、定四海之民、君子樂之、所性不存焉、君子所性、雖大行不加焉、雖窮居不損焉、分定故也、君子所性、仁義禮智、根於心、其生色也、睟然見於面、盎於背、施於四體、四體不言而喩。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く