第153回
370〜372話
2021.11.02更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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24‐1 一つずつ積み重ねて自分のものにしていかないと目的には達しない
【現代語訳】
孟子は言った。「孔子は東山に登って(四方を見下ろし)、魯の国を小さいとし、太山に登って天下を小さいとした。同じように、海を観た者には、ほかの水はみんな小さく、たいていの川を見ても驚かないし、聖人の門で学んだ者には、たいていの言論は大したことには思えない。さて、水を観るには方法がある。すなわち必ずその波を見ればよいのである(その波の大小で水の大小がわかる)。同様に、日月のような光の明るいものは、わずかのすき間も明るく照らすのである。ところで、流水というものは、(水源から海までの)途中にあるくぼ地を満たさなければ、先へは流れていかない。君子の道を志した場合も同じように、一つ一つ積み重ねて自分のものにしていかないと、最後の目的に達することはできないものだ」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、孔子(こうし)東山(とうざん)(※)に登(のぼ)りて魯(ろ)を小(しょう)とし、太山(たいざん)(※)に登(のぼ)りて天下(てんか)を小(しょう)とす。故(ゆえ)に海(うみ)を観(み)し者(もの)には、水(みず)を為(な)し難(がた)く、聖人(せいじん)の門(もん)に遊(あそ)びし者(もの)には、言(げん)を為(な)し難(がた)し。水(みず)を観(み)るに術(じゅつ)有(あ)り、必(かなら)ず其(そ)の瀾(らん)(※)を観(み)る。日月(じつげつ)明(めい)有(あ)り、容光(ようこう)必(かなら)ず照(て)らす。流水(りゅうすい)の物(もの)たるや、科(あな)(※)に盈(み)たざれば行(ゆ)かず。君子(くんし)の道(みち)に志(こころざ)すや、章(しょう)を成(な)さざれば(※)達(たっ)せず。
(※)東山……蒙山とする説と、単に魯の東にあった山で詳しくはわからないとする説がある。
(※)太山……泰山。梁恵王(上)第七章六参照。
(※)瀾……波。
(※)科……くぼ地。穴。
(※)章を成さざれば……一つ一つ積み重ねて自分のものにしていかないと。「章」は、織物が美しく織られていることを指すが、それを一つの徳として完成させることのたとえとして使っている。『論語』でも、次のように使われている。「子(し)、陳(ちん)に在(あ)りて曰(いわ)く、帰(かえ)らんか、帰(かえ)らんか。吾(わ)が党(とう)の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)にして、斐(ひ)然(ぜん)として章(しょう)を成(な)すも、之(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を知(し)らざるなり」(公冶長第五)。
【原文】
孟子曰、孔子登東山而小魯、登太山而小天下、故觀於海者、難爲水、遊於聖人之門者、難爲言、觀水有術、必觀其瀾、日月有明、容光必照焉、流水之爲物也、不盈科不行、君子之志於道也、不成章不逹。
25‐1 ひたすら善を為す
【現代語訳】
孟子は言った。「鶏が鳴いて起き、すぐにひたすら努めて善を為す者は、聖人である舜の仲間である。鶏が鳴いて起き、すぐにひたすら努めて自分の利のことばかりを考えて行動するのは、大盗賊である蹠の仲間である。舜と蹠との差を知ろうと欲するならば、ほかでもない、ただ利を考えて行動するのに努めるか、善を為すことに努めるかの違いだけなのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、雞(けい)鳴(な)きて起(お)き、孳孳(しし)(※)と善(ぜん)を為(な)す者(もの)は、舜(しゅん)の徒(と)なり。雞(けい)鳴(な)きて起(お)き、孳孳(しし)として利(り)を為(な)す者(もの)は、蹠(せき)(※)の徒(と)なり。舜(しゅん)と蹠(せき)との分(ぶん)(※)を知(し)らんと欲(ほっ)せば、他(た)無(な)し、利(り)と善(ぜん)との間(あいだ)なり。
(※)孳孳……ひたすら努めて。勤勉な様。
(※)蹠……盗跖(とうせき)ともいう。昔の大盗賊。滕文公(下)第十章一参照。
(※)分……差。
【原文】
孟子曰、雞鳴而起、孶孶爲善者、舜之徒也、雞鳴而起、孶孶爲利者、跖之徒也、欲知舜與跖之分、無他、利與善之閒也。
26‐1 そのときの問題に応じてよろしきをはかる
【現代語訳】
孟子は言った。「楊子(楊(よう)朱(しゅ))は、自分のためということだけを主張する。例えば、自分の毛を一本だけ抜いたら天下のためになるとしても、自分のためにならないなら決して抜くことはない。これに対し、墨子(墨翟(ぼくてき))は兼愛、すなわち他人を平等に愛する。たとえ頭のてっぺんから足のかかとまで、一身をすり減らすことになっても、天下を利するためとあれば、それを行おうとする。この二人の中間を取るのが、魯の賢人・子莫である。この中間を取る道は、中庸に近いもののように見えてよいようだが、よく考えると中間を取ることばかりをするのであって、そのときの問題に、ちょうど良い処置を臨機応変に取らなかったら、楊朱や墨翟と同じように一つのことに固執してしまうことになる。私が一つのことにをこだわるのを憎むのは、それが道をそこなうからである。一つのことだけにこだわると、ほかのたくさんの良い道を捨ててしまうことになる」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、楊子(ようし)(※)は我(わ)が為(ため)にするを取(と)る(※)。一毛(いちもう)を抜(ぬ)いて天下(てんか)を利(り)するも、為(な)さざるなり。墨子(ぼくし)(※)は兼愛(けんあい)す。頂(いただき)を摩(ま)して踵(きびす)に放(いた)るも、天下(てんか)を利(り)するは之(これ)を為(な)す。子莫(しばく)は中(ちゅう)を執(と)る。中(ちゅう)を執(と)るは之(これ)に近(ちか)しと為(な)すも、中(ちゅう)を執(と)りて権(けん)する(※)こと無(な)ければ、猶(なお)一(いつ)を執(と)るがごときなり。一(いつ)を執(と)るに悪(にく)む所(ところ)の者(もの)は、其(そ)の道(みち)を賊(そこな)うが為(ため)なり。一(いつ)を挙(あ)げて百(ひゃく)を廃(はい)すればなり。
(※)楊子……楊朱。滕文公(下)第九章四参照。
(※)取る……主張する。取り上げる。なお、この「取」をないとする説もある。すると、「我が為にする」となる。
(※)墨子……墨翟。滕文公(下)第九章四参照。
(※)権する……ちょうど良い処置を臨機応変に取る。はかりをもって物の軽重をはかる。「権」とは、もともと物の軽重をはかる分銅のこと。離婁(上)第十七章参照。
【原文】
孟子曰、楊子取爲我、拔一毛而利天下、不爲也、墨子兼愛、摩頂放踵、利天下爲之、子莫執中、執中爲近之、執中無權、猶執一也、所惡執一者、爲其賊道也、擧一而廢百也。
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