第158回
385〜387話
2021.11.10更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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39‐1 礼も実情によっては変えることはあっていい
【現代語訳】
斉の宣王は三年の喪は長すぎると思い、これを短くしようと欲した。(弟子の)公孫丑は孟子に聞いた。「一年の喪を行うのは、まったく喪をやらないよりはましでないでしょうか」。孟子は答えた。「それは、ちょうど兄の腕をねじ上げている者があるとして、その者に対して、そう強くねじらないで、もう少しゆっくりとねじ上げたらいいでしょうと言うようなものである。この場合、ねじ上げることがだめであり、孝悌の道を教えて、やめさせなければいけない。喪も同じことで、一年というのはいけない」。斉の王子のなかでその母が死んだ者があった(その母は父の正妻でなく妾であった。それで王子は宣王に遠慮して喪に服すのをためらっていた)。王子の守り役は、王子の心を察して、王に数ヵ月間の喪を願い出た。公孫丑はまた聞いた。「こういうのはどうでしょうか」。孟子は言った。「こういう場合、三年の喪ができない事情にある。だから、一日でも喪の期間を増やせば、やらないよりましである。前に私が言ったのは、喪を縮めようと誰も言っていないのに、自分で勝手に短くしようとする者についてである」。
【読み下し文】
斉(せい)の宣(せん)王(おう)、喪(も)を短(みじか)くせんと欲(ほっ)す(※)。公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、朞(き)の喪(も)(※)を為(な)すは、猶(な)お已(や)むに愈(まさ)れるか。孟子(もうし)曰(いわ)く、是(こ)れ猶(な)お其(そ)の兄(あに)の臂(ひじ)を紾(もと)らす(※)もの或(あ)らんに、子(し)之(これ)に謂(い)いて、姑(しばら)く徐徐(じょじょ)にせよと爾(しか)云(い)うごとし。亦之(またこれ)に孝悌(こうてい)を教(おし)えんのみ。王子(おうじ)に其(そ)の母(はは)死(し)する者(もの)有(あ)り。其(そ)の傅(ふ)之(これ)が為(ため)に数(すう)月(げつ)の喪(も)を請(こ)う。公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、此(かく)の若(ごと)き者(もの)は如何(いかん)ぞや。曰(いわ)く、是(こ)れ之(これ)を終(お)えんと欲(ほっ)するも、得(う)可べからざるなり。一日(いちにち)を加(くわ)うと雖(いえど)も、已(や)むに愈(まさ)れり。夫(か)の之(これ)を禁(きん)ずる莫(な)くして為(な)さざる者(もの)を謂(い)うなり。
(※)喪を短くせんと欲す……三年の喪を長すぎと思い、短くしよう(一年に)と欲した。三年の喪については、滕文公(上)第二章に詳しい。
(※)朞の喪……一年の喪。
(※)紾らす……腕をねじり上げる。
【原文】
齊宣王、欲短喪、公孫丑曰、爲朞之喪、猶愈於已乎、孟子曰、是猶或紾其兄之臂、子謂之、姑徐徐云爾、亦敎之孝悌而已矣、王子有其母死者、其傳爲之謂數月之喪、公孫丑曰、若此者何如也、曰、是欲終之、而不可得也、雖加一日、愈於已、謂夫莫之禁而弗爲者也。
40‐1 君子の人を教える五つのやり方
【現代語訳】
孟子は言った。「君子が人を教える方法は五つある。第一は、ちょうど良い時期に降る雨が自然に草木を良く育てるような教え方である。第二は、各人の持っている徳性に応じて、その徳性を育て、完成させていく教え方である。第三は、各人の持っている才能を伸ばして、これを達成させるという教え方である。第四は、問いに答えるという教え方である。第五に、直接に教えることができないときに、間接に道や教えを伝えて、自分自身で密かにその身を良く治めるようにさせる教え方である。この五つの教え方が、君子の人を教える方法である」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、君子(くんし)の教(おし)うる所以(ゆえん)の者(もの)五(ご)あり。時雨(じう)(※)の之(これ)を化(か)するが如(ごと)き者(もの)有(あ)り。徳(とく)を成(な)さしむる者(もの)有(あ)り。財(ざい)を達(たっ)せしむる(※)者(もの)有(あ)り。問(とい)に答(こた)える者(もの)有(あ)り。私淑(ししゅく)艾(がい)せしむる(※)者(もの)有(あ)り。此(こ)の五者(ごしゃ)は、君子(くんし)の教(おし)うる所以(ゆえん)なり。
(※)時雨……ちょうど良いときに降る雨。
(※)財を達せしむる……才能を伸ばして達成させる。「財」は「材」で才能のこと。この孟子の性善説から導かれる各人にはそれぞれに合った才能があり、これを伸ばすことが教育とする思想は、吉田松陰の信じるところとなり見事にそれは成果を生んだ。松陰は「斉(ひと)しからざる人(ひと)を一斉(いっせい)ならしめんとせず、所謂(いわゆる)才(さい)なる者(もの)を育(いく)することを務(つと)むべし」と考えた(「山田治心気斎先生に贈る言葉」)。
(※)私淑艾せしむる……直接に教えることができないときに、間接に道や教えを伝えて密かにその身を良く治めるようにさせる。「艾」は治めること。「私淑」については、離婁(下)第二十二章参照。
【原文】
孟子曰、君子之所以敎者五、有如時雨化之者、有成德者、有逹財者、有答問者、有私淑艾者、此五者、君子之所以敎也。
41‐1 教えるには最高のものでないと意味がない
【現代語訳】
(弟子の)公孫丑は言った。「聖人の道というのは高く、美しいものがあります。ほとんど天に昇(のぼ)るようなもので、私どもにはとても及ばないようにも思えます。それを何とか私どもでも及べることができるように、日々努力できるようなものにしてもらえないですか」。これに対し、孟子は言った。「(そんなことはできるわけがない)。大工の棟梁は、下手(へた)な大工のために、墨縄(すみなわ)の使い方を変えてあげることをしないものだ(そうしたら、家もできなくなる)。また、弓の名人の羿は、下手な射手のために、弓の引き方を易しいものに変えたりはしない(そうしたら弓の威力もなくなってしまい意味がなくなる)。君子の道を教える態度というのは、ちょうど弓の名人が弓を力いっぱい引いて、まさに矢を的に当てようとする全身の気が躍如している状態のようなものである(それくらいの全身の気と力を込めてやるものである)。その最高の状態で最高の目標である中道(中庸)に立って教えていこうとするもので、これについていく者だけが道を学んでいけるのである(勝手に道を変えることなどできるわけがないではないか)」。
【読み下し文】
公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、道(みち)は高(たか)し、美(うつく)し。宜(ほと)んど天(てん)に登(のぼ)るが若(ごと)く然(しか)り。及(およ)ぶべからざるに似(に)たるなり。何(なん)ぞ彼(かれ)をして幾及(ききゅう)すべくして、日(ひ)に孳孳(しし)たらしめ(※)ざるや。孟子(もうし)曰(いわ)く、大匠(たいしょう)は拙(せつ)工(こう)の為(ため)に縄(じょう)墨(ぼく)を改廃(かいはい)せず。羿(げい)(※)は拙射(せつしゃ)の為(ため)に其(そ)の穀率(こくりつ)を変(へん)ぜず。君子(くんし)は引(ひ)いて発(はっ)せず、躍如(やくじょ)(※)たり。中道(ちゅうどう)(※)にして立(た)つ。能者(のうしゃ)之(これ)に従(したが)う。
(※)幾及……ほとんど及ぶこと。
(※)孳孳たらしめ……努力すること。「孜孜」と同じ。
(※)羿……離婁(下)第二十四章参照。
(※)躍如……いよいよ弓を射って的に当てようという躍りたつ、意気が盛り上がっている様子。
(※)中道……中庸。最高の状態。理想の状態。つまり、全力で、最高と思える状態のものを教えることを指す。手を抜いてこのあたりでどうかという教え方をしない。なお、『論語』で孔子が次のように述べているのが参考になる。「子(し)曰(いわ)く、吾(わ)れに知(ち)有(あ)らんや。知(ち)無(な)きなり。鄙夫(ひふ)有(あ)りて我(われ)に問(と)うに、空空(くうくう)如(じょ)たり。我(われ)は其(そ)の両端(りょうたん)を叩(たた)いてこれを竭(つく)す」(子罕第九)。つまり、自分にあるすべてを出して全力で最高のものを教えるということである。吉田松陰も、まさにここの教えを実践した先生であったとされる。相手がどんなに年少の人でも、全力で教えた。そのため、教え子は必ず大きく育った。
【原文】
公孫丑曰、道則高矣、美矣、宜若登天然、似不可及也、何不使彼爲可幾及、而日孳孳也、孟子曰、大匠不爲拙工改廢繩墨、羿不爲拙射變其彀率、君子引而不發、躍如也、中道而立、能者從之。
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