第161回
393〜395話
2021.11.15更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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尽心(下)
1‐1 他国を侵略して戦うのは仁に反する典型例
【現代語訳】
孟子は言った。「不仁であることよ。梁の恵王は。仁者はその愛する者に対する心を、まだ愛していない者に及ぼしていく。反対に不仁者は、その愛しない者に対する心を、愛する者にまで及ぼしていくのである」。これを聞いて(弟子の)公孫丑は問う。「どういう意味ですか」。孟子は答えた。「梁の恵王は、土地をさらに欲しいと思って民に血肉がただれるようになるまで戦いをさせたが、結局は大敗してしまった。今度はこれに復讐(ふくしゅう)しようとして、今度もまた勝つことができないのを恐れた。そのために、自分の愛する子弟(太子甲など)を駆り出して戦わせたが敗れてしまい、子弟まで犠牲にして死なせた。こういうのを愛しない者に対する心を、愛する者にまで及ぼしたというのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、不仁(ふじん)なるかな梁(りょう)の恵(けい)王(おう)や。仁者(じんしゃ)は其(そ)の愛(あい)する所(ところ)を以(もっ)て、其(そ)の愛(あい)せざる所(ところ)に及(およ)ぼし、不仁者(ふじんしゃ)は其(そ)の愛(あい)せざる所(ところ)を以(もっ)て、其(そ)の愛(あい)する所(ところ)に及(およ)ぼす。公孫(こうそん)丑(ちゅう)曰(いわ)く、何(なん)の謂(いい)ぞや。梁(りょう)の恵(けい)王(おう)は土地(とち)の故(ゆえ)を以(もっ)て、其(そ)の民(たみ)を糜爛(びらん)(※)して之(これ)を戦(たたか)わしめ、大(おお)いに敗(やぶ)れたり。将(まさ)に之(これ)を復(ふく)せんとして、勝(か)つこと能(あた)わざるを恐(おそ)る。故(ゆえ)に其(そ)の愛(あい)する所(ところ)の子弟(してい)を駆(か)りて、以(もっ)て之(これ)に殉(じゅん)ぜしむ(※)。是(これ)を之(これ)其(そ)の愛(あい)せざる所(ところ)を以(もっ)て、其(そ)の愛(あい)する所(ところ)に及(およ)ぼすと謂(い)うなり。
(※)糜爛……血肉がただれるようにさせる。「糜」とはかゆのこと。なお、本章の話は、梁恵王(上)第五章を参照。
(※)殉ぜしむ……犠牲にした(ここでは、死なせたの意)。
【原文】
孟子曰、不仁哉梁惠王也、仁者以其所愛、及其所不愛、不仁者以其所不愛、及其所愛、公孫丑曰、何謂也、梁惠王以土地之故、糜爛其民而戰之、大敗、將復之、恐不能勝、故驅其所愛子弟、以殉之、是之謂以其所不愛、及其所愛也。
2‐1 春秋に義戦なし
【現代語訳】
孟子は言った。「孔子が書いたとされる『春秋』をよく見てみると、義にかなった戦争というものはまったくなかった。あの戦いは、この戦いよりは良いというものがある程度である。もともと征とは、人を正すということであり、上である天子が、下である諸侯のなかで不正を行ったものを伐ち正すというものである。諸侯同士が敵同士となり、勝手に戦うことでは征といえないのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、春秋(しゅんじゅう)(※)に義戦(ぎせん)無(な)し(※)。彼(かれ)、此(こ)れより善(よ)きは、則(すなわ)ち之(これ)有(あ)り。征(せい)とは、上(かみ)、下(しも)を伐(う)つなり。敵国(てきこく)は相(あい)征(せい)せざるなり。
(※)春秋……孔子が書いたとされる魯の歴史書である(滕文公(下)第九章三参照)。この二百四十二年間を春秋時代と呼んでいる(孔子の生きた時代である)。続く時代が戦国時代である(孟子の生きた時代である)。
(※)春秋に義戦なし……この言葉は孟子がここで述べた意味を超えて、世の平和主義論者や歴史家を中心として歓迎するものとなり使われている。つまり、戦争というのは、いくら正義を掲げても、その正義の戦争があったためしがない、という意味としてよく使われている。
【原文】
孟子曰、春秋無義戰、彼、善於此、則有之矣、征者、上、伐下也、敵國不相征也。
3‐1 本を鵜呑みにしない
【現代語訳】
孟子は言った。「『書経』に書いてあることをことごとく信じたら、間違ったことを理解することもあるので、そうなると『書経』などないほうが良いことになる。私は『書経』の武成篇においても、そのなかの二、三策を信じるだけである。なぜなら、例えば武王が紂王を伐ったときに、戦死者が多くて、血が杵(きね)を流したということが書いてある。しかし、仁者は天下に敵などない。武王のような至仁者が、紂のような不仁者を伐つのに、そんな激戦があったはずはないのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、尽(ことごと)く書(しょ)(※)を信(しん)ぜば、則(すなわ)ち書(しょ)無(な)きに如(し)かず。吾(わ)れ武成(ぶせい)に於(お)いて、二三策(にさんさく)を取(と)るのみ。仁人(じんじん)は天下(てんか)に敵(てき)無(な)し。至仁(しじん)(※)を以(もっ)て至(し)不仁(ふじん)(※)を伐(う)つ。而(しか)るに何(なん)ぞ其(そ)の血(ち)にして杵(きね)を流(なが)さんや。
(※)書……ここでは、『書経』を指す。ただ、本章の孟子の言葉を一般化して、どんな古典やすばらしい本であっても、これをすべて信じるべきでないという意味に使われることもある。なお、吉田松陰の『講孟箚記』でも、初めに次のように述べている。「経書(けいしょ)を読(よ)むの第一(だいいち)義(ぎ)は、聖賢(せいけん)に阿(おも)ねらぬこと道(みち)明(あき)らかならず、学(まな)ぶとも益(えき)なくして害(がい)あり」。ここに『経書』とは、孔子、孟子の書などを指している。
(※)至仁……ここでは、武王を指す。
(※)至不仁……ここでは、紂王を指す。
【原文】
孟子曰、盡信書、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。
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