第166回
408〜410話
2021.11.22更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
16‐1 仁(義)があってこその人である
【現代語訳】
孟子は言った。「仁は人の人たる徳である(仁があってこその人である)。人とその仁の徳が合わさっての、人の道と言うことができる」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、仁(じん)なる者(もの)は人(ひと)なり。合(がっ)して之(これ)を言(い)えば、道(みち)(※)なり。
(※)道……もちろん、ここでの道が儒教の教えでいう道である。つまり、修養し、人として励んでいくべき正しい生き方なのである。これに対し老子の道は、万物の根源である。人間を超えた宇宙の仕組みのようなものである(拙著『全文完全対照版 老子コンプリート』参照)。なお、本章は何らかの脱簡があるのではないかとの見解も強い。有力な説によると「仁なる者は人なり」と「合して之を言えば、道なり」の間に「義(ぎ)とは宜(ぎ)なり」が入っているとする。孟子の仁義説からは、こうすると通りが良くなる。また、離婁(下)第十九章とも整合性があることになる。この立場からは「仁と義が合わさっての人の道」となろう。
【原文】
孟子曰、仁也者人也、合而言之、道也。
17‐1 国を去る場合の道
【現代語訳】
孟子は言った。「孔子が魯の国を去るときは、『遅々として、足どり重く私は行く』と言われた。これは父母の国を去る場合の道である。斉の国を去るときは、水につけてあった米を手ですくい上げて急いで出発された。これは、他国を去る場合の道である」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、孔子(こうし)の魯(ろ)を去(さ)るや、曰(いわ)く、遅遅(ちち)として吾(わ)れ行(い)く。父母(ふぼ)の国(くに)を去(さ)るの道(みち)なり。斉(せい)を去(さ)るや、淅(せき)を接(せっ)して行(い)く。他国(たこく)(※)を去(さ)るの道(みち)なり。
(※)他国……ここでは、父母の下に自分が生まれた魯の国以外の国。なお、本章とほぼ同じ文章が、万章(下)第一章四にあるが、そこには「他国を去るの道なり」がない。
【原文】
孟子曰、孔子之去魯、曰、遲遲吾行也、去父母國之道也、去齊、接淅而行、去他國之道也。
18‐1 大人物もわかってくれる人がいないと苦労する
【現代語訳】
孟子は言った。「孔子が、陳と蔡の間で、大変な災難に遭ったのは、それらの国の君主も家臣も皆つまらぬ小人で孔子と交わるような人物がいなかったためである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、君子(くんし)(※)の陳(ちん)・蔡(さい)の間(かん)に(※)戹(やく)する(※)は、上下(しょうか)の交(まじ)わり(※)無(な)ければなり。
(※)君子……ここでは孔子を指している。
(※)陳・蔡の間に……陳も蔡も国の名。この二つの国の間で大変な災難にあったことが『論語』にも書かれている。「陳(ちん)に在(あ)りて糧(りょう)を絶(た)つ。従者(じゅうしゃ)病(や)み、能(よ)く興(た)つこと莫(な)し。子路(しろ)慍(いか)り見(まみ)えて曰(いわ)く、君子(くんし)も亦(ま)た窮(きゅう)する有(あ)るか。子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)固(もと)より窮(きゅう)す。小人(しょうじん)は窮(きゅう)すれば斯(ここ)に濫(みだ)る」(衛霊公第十五)。
(※)戹する……大変な災難に遭う。
(※)上下の交わり……君と臣との交わり。本章では孔子と交わるほどの人がいなかったため、孔子も大変な災難に遭うことになったという。これは暗に、自分という大人物を理解し、交わる人がいない世を嘆く孟子自身のことを示しているとも解される(孟子らしい表現である)。
【原文】
孟子曰、君子之戹於陳・蔡之閒、無上下之交也。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く