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第17回

41〜42話

2021.04.13更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐3 大きな勇気は民のための勇気


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「『書経』で周の武王は次のように言っています。『天が民たちを地上に降ろし、その民たちのために君主を作り、民の師をつくった。そして上帝(天帝)は言われた。君師は、よく我を助けよ、と。だからこそこれを四方の人々に、天帝の寵愛している者として示すのである。だから罪を犯す者があればこれを罰し、罪のない者たちはそれを安んじる。すべて我が取り裁いていく。この故、天下においては、どうして私の志を背き越えるようなことをしていいはずがあろうか』と。このように、一人でも天下に横暴な行いをする者がいると、武王はこれを恥としました。これが武王の大勇です。そして武王もまた(文王のように)一たび怒って、天下の民を安んじたのです。今、我が王も、(文王、武王のように)天下の横暴な者に対して一たび怒りを発するようになれば、そのような大勇を王が好まないことを恐れることでしょう」。

【読み下し文】
書(しょ)に曰(いわ)く、天(てん)、下民(かみん)(※)を降(くだ)して、之(これ)が君(きみ)を作(つく)り、之(これ)が師(し)を作(つく)る。惟(こ)れ曰(いわ)く、其(そ)れ上帝(じょうてい)(※)を助(たす)けよ、と。之(これ)を四方(しほう)に寵(ちょう)す。罪(つみ)有(あ)るも罪(つみ)無(な)きも、惟(ただ)我(われ)在(あ)り。天下(てんか)曷(いずく)んぞ敢(あえ)て厥(そ)の志(こころざし)を越(こ)ゆる有(あ)らんや、と。一人(いちにん)(※)天下(てんか)に衡行(こうこう)(※)するは、武王(ぶおう)之(これ)を恥(は)ず。此(こ)れ武王(ぶおう)の勇(ゆう)なり。而(しか)して武王(ぶおう)も亦一(またひと)たび怒(いか)りて、天下(てんか)の民(たみ)を安(やす)んぜり。今(いま)、王(おう)も亦(また)一(ひと)たび怒(いか)りて、天下(てんか)の民(たみ)を安(やす)んぜば、民(たみ)惟(ただ)王(おう)の勇(ゆう)を好(この)まざるを恐(おそ)るるなり。

(※)下民……民のこと。天に対して下にいる者という意味。なお、ここの孟子の『書経』の考え方の説明が、梁恵王(下)第八章に展開する孟子の討伐論、革命論(中国のいわゆる易姓革命の思想の原点)の出発点となるものである。この考え方と日本の考え方についてはうまく吉田松陰が解説している(『講孟箚記』)。少し長いが重要なところなので、私の現代訳で紹介したい。
「およそ中国の流儀は次のようなものである。天が人間を地上に降ろしたものの、それを治めるには君となり師となる人物が求められる。そこで多数の人々のなかから傑出した人を選んでこれを指導するように命じるのである。帝堯や帝舜や湯王、武王のような人たちである。このゆえに、その人物がその職にふさわしくなく、人々を治めることができない場合は、天がまた必ずその人物を、その地位から引きずり下ろすことになる、桀王、紂王(ちゅうおう)のような人たちである。こうして天の命ずる指導者を、天の命ずるところに従って廃し、これを討つのである。しかし、我が国はこれとまったく違っている。天照大神のご子孫が天地とともに永遠にましますのであり、この日本の国土は、天照大神が開かれ、そのご子孫、すなわち天皇がこれからも末永く守られるものである。したがって日本人は、天皇とともに喜びも一つのものと感じて(我が先祖、我が子孫、我が国土も天皇と一体のものであることを思い)、他念を持つようなことがあってはいけないのである」。この説明は立派で、現日本国憲法の『象徴』天皇制も説いているようだとされている。
(※)上帝……天帝。天下にはこの宇宙を主宰する天帝がいるというのが古代中国の考え方である。
(※)一人……一人。ここでは、特に殷(いん)の紂王を指していると見る説もある。
(※)衡行……横暴な行い。

【原文】
書曰、天降下民、作之君、作之師、惟曰、其助上帝、寵之四方、有罪無罪、惟我在、天下曷敢有越厥志、一人衡行於天下、武王恥之、此武王之勇也、而武王亦一怒、而安天下之民、今、王亦一怒、而安天下之民、民惟恐王之不好勇也、

 

4‐1 民と同憂同楽の王は王者になれる


【現代語訳】
斉の宣王が、雪宮という名の離宮で孟子と会見した。(雪宮を楽しみながら)王は言った。「賢者もまた、このようなところを楽しむことがあるのかな」。孟子は答えて言った。「あります」。孟子は続けた。「人というのは、自分もその楽しみにあずかれないと、その上すなわち王のことを非難するものです。自分が楽しみにあずかれないからと、上を非難するのは良くありませんが、民の上に立つ者が、自分だけ楽しんで民と楽しみを同じくしないのも良くないことです。民の楽しみを自分の楽しみのように思うと、民もまた、王の楽しみを自分たちの楽しいのように楽しみ、喜びます。また、民の憂いを自分の憂いと思い心配すると、民もまた、王の憂いを自分たちの憂いと思い心配するものです。楽しみも憂いも民とともに一体となっていて、王者になれなかった者は、いまだかつておりません(必ず王者になれます)」。

【読み下し文】
斉(せい)の宣王(せんおう)、孟子(もうし)を雪宮(せっきゅう)(※)に見(み)る。王(おう)曰(いわ)く、賢者(けんじゃ)(※)も亦(また)此(こ)の楽(たの)しみ有(あ)るか。孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、有(あ)り。人(ひと)得(え)ざれば、則(すなわ)ち其(そ)の上(かみ)を非(そし)る。得(え)ずして其(そ)の上(かみ)を非(そし)る者(もの)は、非(ひ)なり。民(たみ)の上(かみ)と為(な)りて、民(たみ)と楽(たのしみ)を同(おな)じうせざる者(もの)(※)も、亦(また)非(ひ)なり。民(たみ)の楽(たの)しみを楽(たの)しむ者(もの)は、民(たみ)も亦(また)其(そ)の楽(たの)しみを楽(たの)しむ。民(たみ)の憂(うれ)いを憂(うれ)うる者(もの)は、民(たみ)も亦(また)其(そ)の憂(うれ)いを憂(うれ)う。楽(たの)しむに天下(てんか)を以(もっ)てし、憂(うれ)うるに天下(てんか)を以(もっ)てす。然(しか)り而(しこう)して王(おう)たらざる者(もの)は、未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり(※)。

(※)雪宮……斉の宣王の離宮。
(※)賢者……暗に孟子のことを指していると思われる。梁恵王(上)第二章一参照。
(※)民と楽しみを同じうせざる者……民と楽しみを同じくしない者。なお、梁恵王(上)第二章二参照。そこの注でも述べた「偕楽園」と同じく、「後楽園」(東京と岡山にある)は、本項の孟子の考えである「同憂同楽」をさらに進めて北宋の政治家・笵仲淹(はんちゅうえん)が、述べた「人民の憂苦に先立って民が憂苦に陥らないよう心を配り、人民が真に楽しい生活を楽しむ」(『岳陽楼の記』)からきている「先憂後楽」の名言をその由来としている。
(※)未だ之れ有らざるなり……まだかつてないことである(必ずそうなる)。なお、この言葉の使い方が孟子は好きなようで、離婁(上)第十二章の有名な語句の「至誠(しせい)にして動(うご)かざる者(もの)は、未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり」などでも見られる。

【原文】
齊宣王、見孟子於雪宮、王曰、賢者亦有此樂乎、孟子對曰、有、人不得、則非其上矣、不得而非其上者、非也、爲民上、而不與民同樂者、亦非也、樂民之樂者、民亦樂其樂、憂民之憂者、民亦憂其憂、樂以天下、憂以天下、然而不王者、未之有也、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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