Facebook
Twitter
RSS

第18回

43〜44話

2021.04.14更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら

4‐2 昔の名君たちの仕事を学ぶ


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「昔、斉の景公が、宰相の晏子に問うて言いました。『自分は、転附や朝儛の山を見て、海岸に沿って南下し、琅邪まで行こうと思う。どのようにしたら、先王の巡遊と肩を並べるほどのものになるのか』と。晏子は答えて言った。『それは、良い質問でございます。天子が諸侯の領地を巡視することを巡狩といいます。巡狩とは、諸侯の守っている領地を巡視するという意味です。諸侯が天子のところに参朝するのを述職といいます。述職とは、諸侯が、天子に自分の職務について述べる(報告する)という意味です。この二つのことはとても重要なものであり、ただ遊び出かけたものではないのです。そして春なら、耕作するのをよく見て、道具など足りないものを補ってやるようにし、秋は、収穫の状態をよく見て、人手などの足りないものを助けるようにしたのです。夏のことわざに次のようなものがあります。『我が王が遊行されないと、我々は休息できない。王が視察を楽しまないと、我々を助けてくれるものがなくなる』と。このように、先の一遊一予(一遊一楽)は、諸侯の行動規範となったのです」。

【読み下し文】
昔者(むかし)、斉(せい)の景公(けいこう)、晏子(あんし)(※)に問(と)うて曰(いわ)く、吾(わ)れ、転附(てんぷ)・朝儛(ちょうぶ)(※)を観(かん)し、海(うみ)に遵(したが)って南(みなみ)し、琅邪(ろうや)に放(いた)(※)らんと欲(ほっ)す。吾(わ)れ何(なに)を脩(おさ)めて以(もっ)て先王(せんおう)の観(かん)に比(ひ)すべきや、と。晏子(あんし)対(こた)えて曰(いわ)く、善(よ)いかな問(とい)や。天子(てんし)、諸侯(しょこう)に適(ゆ)くを巡狩(じゅんしゅ)と曰(い)う。巡狩(じゅんしゅ)とは、守(まも)る所(ところ)を巡(めぐ)るなり。諸侯(しょこう)、天子(てんし)に朝(ちょう)するを述職(じゅつしょく)と曰(い)う。述職(じゅつしょく)とは、職(しょく)とする所(ところ)を述(の)ぶるなり。事(こと)に非(あら)ざる者(もの)無(な)し。春(はる)は耕(たがや)すを省(かえり)みて足(た)らざるを補(おぎな)い、秋(あき)は斂(おさ)むるを省(かえり)みて給(た)らざるを助(たす)く。夏(か)の諺(ことわざ)に曰(いわ)く、吾(わ)が王遊(おうゆう)せずんば、吾(わ)れ何(なに)を以(もっ)て休(きゅう)せん。吾(わ)が王(おう)予(よ)(※)せずんば、吾(わ)れ何(なに)を以(もっ)て助(たす)からん、と。一遊一予(いちゆういちよ)、諸侯(しょこう)の度(ど)と為(な)る。

(※)晏子……名は嬰。字は「仲」。諡名(おくりな)は「平」。『論語』にも出てくる斉の名臣(孔子と同時代の人)。『論語』では次のようにある「晏平仲(あんべいちゅう)は善(よ)く人(ひと)と交(まじ)わる。久(ひさ)しくして之(これ)を敬(けい)す」(公冶長第五)。
(※)転附・朝儛……斉の国内にある山の名。
(※)放る……至ると同意。
(※)王予……王が楽しむ。なお、佐藤一斎の『言志四録』のなかで、「予楽」という言葉があり、これは私の大好きな言葉の一つである。一斎は次のように述べる。「病(やまい)を病(やまい)無(な)き時(とき)に慎(つつ)しめば則(すなわ)ち病(やまい)なし。患(うれい)を患(うれい)無(な)き日(ひ)に慮(おもんばか)れば則(すなわ)ち患(うれい)無(な)し。是(こ)れを予(よ)と謂(い)う。事(こと)に先(さき)だつの予(よ)は、即(すなわ)ち予楽(よらく)の予(よ)にて、一(いつ)なり」。つまり、将来のために手を打つことは、そのこと自体が楽しいということを、「予」という言葉は示している。「予」も「楽」も同じ意味ということだ。こうした使い方をおそらく一斎も『孟子』でよく学び、実際の文章でうまく表現しているのは、さすが幕末一の学者といわれているだけのことがあると思う。

【原文】
昔者、齊景公、問於晏子曰、吾、欲觀於轉附・朝儛、遵海而南、放于琅邪、吾何脩而可以比於先王觀也、晏子對曰、善哉問也、天子、適諸侯曰巡狩、巡狩者、巡所守也、諸侯朝於天子曰述職、述職者、述所職也、無非事者、春省耕而補不足、秋省斂而助不給、夏諺曰、吾王不遊、吾何以休、吾王不豫、吾何以助、一遊一豫、爲諸侯度、

 

4‐3 先王の良い行いを学び実行するかどうかは自分次第


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「『ところが、今の諸侯たちはそうではありません。出かけるときに、軍隊を供にし、そのため、行く先々で食糧を徴発します。よって民は飢えているときでも、食糧がなく、疲れている者でも、労役に使われて体を休める間がありません。したがって民たちは、目をそばだてて、そしり合い、上の者を怨むものです。先王の教えとは反対に(さからって)、民をしいたげ、自分たちの食糧は、水の流れるがごとく次々と取り上げる。こうした「流連荒亡」は諸侯のもたらす憂いとなっています。川の流れにしたがって下り、遊んで帰るのを忘れてしまうことを「流」といいます。川の流れに沿って上り、遊んで帰ることを忘れてしまうことを「連」といいます。獣を追って、あきることなく狩りを続けることを「荒」といいます。酒を飲んで楽しみ、それをあきることなく続けるのを、「亡」といいます。先王にはこのような「流連」の楽しみとか、「荒亡」の行いなどはありませんでした。ただ、先王のようにするのか、今の諸侯のようにするのかは、王自身が決めることです』と」。

【読み下し文】
今(いま)や然(しか)らず。師(し)(※)行(ゆ)きて糧食(りょうしょく)(※)す。飢(う)うる者(もの)は食(くら)わず、労(ろう)する者(もの)は息(いこ)わず。睊睊(けんけん)(※)として讒(あいそし)(※)り、民(たみ)乃(すなわ)ち慝(とく)を作(な)す(※)。命(めい)に方(さから)い(※)民(たみ)を虐(しいた)げ、飲食(いんしょく)流(なが)るるが若(ごと)く、流連荒亡(りゅうれんこうぼう)、諸侯(しょこう)の憂(うれ)いと為(な)る。流(なが)れに従(したが)いて下(くだ)り、而(しか)して反(かえ)るを忘(わす)る、之(これ)を流(りゅう)と謂(い)う。流(なが)れに従(したが)いて上(のぼ)り、而(しか)して反(かえ)るを忘(わす)る、之(これ)を連(れん)と謂(い)う。獣(けもの)に従(したが)いて厭(あ)く無(な)き、之(これ)を荒(こう)と謂(い)う。酒(さけ)を楽(たの)しみて厭(あ)く無(な)き、之(これ)を亡(ぼう)と謂(い)う。先王(せんおう)には流連(りゅうれん)の楽(たの)しみ、荒亡(こうぼう)の行(おこな)い無(な)かりき。惟(ただ)君(きみ)の行(おこな)う所(ところ)のままなり、と。

(※)師……軍隊。古代中国では二千五百人の兵を師といった。なお、「師」は、集団を率いる人という意味もあるので、「大勢を引き連れて」と解する説もある。
(※)糧食……兵の食糧を強制的に調達すること。
(※)睊睊……目をそばだてる様。
(※)胥讒る……そしる。不満を口にする。
(※)慝を作す……(上の者を)怨む。
(※)命に方い……先王の教えにさからって。「命」を天命とする説、「方」を放棄とする説もある。

【原文】
今也不然、師行而糧食、飢者弗食、勞者弗息、睊睊胥讒、民乃作慝、方命虐民、飮食若流、流連荒亡、爲諸侯憂、從流下、而忘反、謂之流、從流上、而忘反、謂之連、從獸無厭、謂之荒、樂酒無厭、謂之亡、先王無流連之樂、荒亡之行、惟君所行也、

「目次」はこちら

シェア

Share

感想を書く感想を書く

※コメントは承認制となっておりますので、反映されるまでに時間がかかります。

著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

矢印