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第19回

45〜47話

2021.04.15更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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4‐4 諫言(かんげん)は君臣が一体となり喜ぶために行う


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「景公は、この晏子の話を聞いて喜び、大いに仁政の布告を出し、自ら郊外に出て宿し、民情を視察しました。ここで初めて民政を振興し米倉を開いて、民の足りない食糧を補ったのです。そして、音楽担当の長官を呼んで、『我がために、君臣がお互いに喜び合うことを主題とする曲をつくれ』と命じました。今に伝わる徴招・角招という楽曲がこれです。その歌詩の句に、『君に諫言したのは、君のことを心から思い、ゆえに君臣一体となって苦楽をともにするということであり、どうしてとがめることなどあろうか』とあります。君に諫言するのは、君を心から思うからです」。

【読み下し文】
景公(けいこう)説(よろこ)び(※)、大(おお)いに国(くに)を戒(いまし)(※)めて、出(い)でて郊(こう)に舎(しゃ)す。是(ここ)に於(お)いて始(はじ)めて興発(こうはつ)(※)し、足(た)らざるを補(おぎな)う。大師(たいし)(※)を召(め)して曰(いわ)く、我(わ)が為(ため)に君(臣(くんしん)相(あい)説(よろこ)ぶの楽(がく)を作(つく)れ、と。蓋(けだ)し徴招(ちしょう)・角招(かくしょう)是(これ)なり。其(そ)の詩(し)に曰(いわ)く、君(きみ)を畜(とど)むる(※)何(なん)ぞ尤(とが)めん、と。君(きみ)を畜(とど)むる者(もの)は君(きみ)を好(よみ)すればなり。

(※)説び……喜び。悦と同じ。
(※)戒む……布告を出す。国中に広く告げる。
(※)興発……民政(仁政)を振興し、米倉を開くこと。
(※)大師……音楽の長官。なお、『論語』にも「大師」という言葉が出てきており、音楽の長官を意味している(微子第十八参照)。
(※)畜むる……止める。君に諫言する。なお、「畜」を「よみする」と読む人、また「よろこぶ」と読む場合もある。本書では諫言するの意に解した。そうすることで、「畜君者好君也」の意味が孟子の主張によく合うものとなるからである。日本の武士道では、主君への諫言は、武士にとっても殿様にとっても命懸けの真剣なものであったとされる(『葉隠』参照)。ここの孟子の記述は、かなり日本の武士道にも影響を与えたものと解する。つまり、諫言の本来の趣旨を通し続けたのが、日本の武士道の中身の一つであったろう。新渡戸稲造の『武士道』では、孟子の影響を次のように述べている。「孟子の力強く、かつ、とても民主的な考え方は思いやりのある人たちの心をしっかりと捉えた。その考えは武士の社会の秩序にとっては危険であり、秩序を破壊するものであると見られ、孟子の書は長い間、禁書とされていた。それにもかかわらず、孟子の言葉は武士の心のなかに永遠に宿ったのである」(野中訳)。ひるがえって孟子以後の中国の歴史を見ると悲しさに耐えない。吉田松陰も述べる。「漢土(かんど)聖人(せいじん)の典籍(てんせき)、具(つぶ)さに存(そん)すと雖(いえど)も、王(おう)政(せい)已(すで)に地(ち)を掃(はら)う」と(『講孟箚記』)。

【原文】
景公説、大戒於國、出舍於郊、於是始興發、補不足、召大師曰、爲我作君臣相説之樂、蓋徴招・角招是也、其詩曰、畜君何尤、畜君者好君也、

 

5‐1 建築物の歴史的意義を知る


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。斉の宣王が問うて言った。「人は皆、現在においては役に立たない明堂を壊すことをすすめる。さて、先生はこれを壊したらいいと思うか、壊さないほうがいいと思うか、どちらと考えるか」。孟子は、答えて言った。「いったい、明堂というものは、王者が諸侯を集めて政治を行う堂です。王が、もし王者の政治を行おうと望んで、それを目指しているのなら、明堂を壊すべきではありません」。

【読み下し文】
斉(せい)の宣王(せんおう)問(と)うて曰(いわ)く、人(ひと)皆(みな)我(われ)に明堂(めいどう)(※)を毀(こぼ)てと謂(い)う。諸(これ)を毀(こぼ)たんか、已(や)めんか。孟(もう)子(し)対(こた)えて曰(いわ)く、夫(そ)れ明堂(めいどう)なる者(もの)は、王者(おうじゃ)の堂(どう)なり。王(おう)、王政(おうせい)を行(おこな)わんと欲(ほっ)せば、即(すなわ)ち之(これ)を毀(こぼ)つこと勿(な)かれ。

(※)明堂……泰山のふもとにあったという建物。昔、周の天子が巡狩のとき諸侯を会合させ、政令を発布したところ。たまたまそれが斉の領内にあったが、天子でもない宣王は、維持費もかかるので壊そうかと考えていた。しかし、孟子は宣王に王者になるつもりなら、そこで諸侯を集め再び政治を行ったらいいと、王者の道を進むようにけしかけている。

【原文】
齊宣王問曰、人皆謂我毀明堂、毀諸、已乎、孟子對曰、夫明堂者、王者之堂也、王、欲行王政、則勿毀之矣、

 

5‐2 王者の政治はまず弱き者を救うから始まる


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。宣王が聞いた。「王者の政治とはどういうものか教えてもらえるかな」。孟子は答えて言った。「昔、文王がまだ諸侯の一人として岐という領地を治めていたときの政治は次のようでした。農民からは九分の一の軽い税を取り、仕官している者には禄を世襲のものとし、関所や市場では、悪い者を取り締まるだけで通行税や物品税などは取りませんでした。また、池沼で梁(やな)をつくり魚を捕ることを禁ぜず、罪人に対しては本人だけを罰し、妻子には連座させないようにしました。さて年老いて妻がない者を鰥といい、年老いて夫のない者を寡といい、年老いて子どものない者を独といい、幼くして父のいない者を孤といいます。この四者は天下のなかで最も困窮した民であり、苦しみを訴えることもできない者たちです。文王が政令を発し、仁政を施すに当たっては、必ず、まずこの四者を救うことから始められたのです。『詩経』でも、『豊かな人はそのままでいいが、身寄りのない人は哀れむべきである』と述べているのはこのことです」。

【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、王政(おうせい)聞(き)くことを得(う)べきか。対(こた)えて曰(いわ)く、昔者(むかし)、文王(ぶんおう)の岐(き)を治(おさ)むるや、耕(たがや)す者(もの)は九(きゅう)の一(いつ)(※)、仕(つか)うる者(もの)は禄(ろく)を世々(よよ)にし(※)、関市(かんし)は譏(き)して(※)征(せい)せず(※)、沢梁(たくりょう)(※)は禁(きん)無(な)く、人(ひと)を罪(つみ)するに孥(ど)せず(※)。老(お)いて妻(つま)無(な)きを鰥(かん)と曰(い)い、老(お)いて夫(おっと)無(な)きを寡(か)と曰(い)い、老(お)いて子(こ)無(な)きを独(どく)と曰(い)い、幼(よう)にして父(ちち)無(な)きを孤(こ)と曰(い)う。此(こ)の四者(ししゃ)は、天下(てんか)の窮民(きゅうみん)にして告(つ)ぐる無(な)き者(もの)なり。文王(ぶんおう)政(まつりごと)を発(はっ)し仁(じん)を施(ほどこ)すに、必(かなら)ず斯(こ)の四者(ししゃ)を先(さき)にせり。詩(し)に云(い)う、哿(よ)いかな富(と)める人(ひと)、此(こ)の煢独(けいどく)(※)を哀(あわ)れむ。

(※)九の一……井田法による税率。井田法では、一井九百畝を九等分し、八家の者が百畝ずつを耕し、中央にある百畝を八家が共同で耕し収穫したものを租税として出した。
(※)禄を世にし……禄を世襲にして。
(※)譏して……取り締まって。
(※)征せず……税を取らない。
(※)沢梁……池や沼で梁をつくり魚を捕ること。
(※)孥せず……「孥」は妻子。よって罪を妻子に連座させないという意味となる。
(※)煢独……身寄りのない。

【原文】
王曰、王政可得聞與、對曰、昔者、文王之治岐也、耕者九一、仕者世祿、關市譏而不征、澤梁無禁、罪人不孥、老而無妻曰鰥、老而無夫曰寡、老而無子曰獨、幼而無父曰孤、此四者天下之窮民而無告者、文王發政施仁、必先斯四者、詩云、哿矣富人、哀此煢獨、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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