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第54回

128〜129話

2021.06.09更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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滕文公(上)


1‐1 事を成すときは初めに非常な覚悟で大いに奮発することが必要


【現代語訳】
滕の文公がまだ太子であったとき、楚の国へ行こうとし、途中で宋を(わざわざ)通り、孟子に会った。孟子は、人は誰でもすばらしい資質を持っているという性善説を述べ、必ず堯と舜の二人の昔の聖王を引き合いに出して言った。滕の太子が楚からの帰りに、また孟子に会った。孟子は言った。「太子は、まだ私の言っていることを疑っているのですか。正しい道は一つなのです。昔、成覵という勇者が斉の景公に言いました。『彼も一個の男子であり、私も一個の男子です。どうして私が彼を畏れますか』と。また、孔子の愛弟子の顔淵は、こう言いました。『舜はいかなる人間なのか。私はいかなる人間なのか。同じ人間ではないか。私が大きな志で、大いに努力すれば、私だって舜のようになれるはずである』と言ったといいます。さらに(魯の賢人である)公明儀は、『文王は我が師である。周公の言葉は、私を欺かない(だからそれを信じて努力すれば、周公にもなれる)』と言ったとされます。今、太子の滕の国を見ると、領土を長短まとめて四角にして考えると、大体五十里四方になります。これだけあれば、善い国として立派にやっていけます。そのためには、『書経』にもあるように、『めまいを起こすほどの薬でなければ、その病気は治らない(事を成すには、初めに非常な覚悟で大いに奮発しなければならない)』のです。どうか大奮発してください」。

【読み下し文】
滕(とう)の文公(ぶんこう)世子(せいし)(※)たりしとき、将(まさ)に楚(そ)に之(ゆ)かんとし、宋(そう)(※)に過(よぎ)りて孟子(もうし)を見(み)る。孟子(もうし)性善(せいぜん)(※)を道(いい、言い)えば必(かなら)ず堯(ぎょう)・舜(しゅん)を称(しょう)す。世子(せいし)楚(そ)より反(かえ)りて、復(また)孟子(もうし)を見(み)る。孟子(もうし)曰(いわ)く、世子(せいし)吾(わ)が言(げん)を疑(うたが)うか。夫(そ)れ道(みち)は一(いつ)のみ(※)。成覵(せいけん)(※)斉(せい)の景公(けいこう)に謂(い)いて曰(いわ)く、彼(かれ)も丈夫(じょうふ)なり。我(わ)れも丈夫(じょうふ)なり。吾(わ)れ何(なん)ぞ彼(かれ)を畏(おそ)れんや、と。顔がん淵えんは曰いわく、舜しゅん何なんぴと人ぞや。予われ何なんぴと人ぞや。為なす有ある者もの亦また是かくの若ごとし、と。公明儀(こうめいぎ)(※)は曰(いわ)く、文王(ぶんおう)は我(わ)が師(し)なり。周公(しゅうこう)豈(あに)我(われ)を欺(あざむ)かんや、と。今(いま)、滕(とう)は長(ちょう)を絶(た)ち短(たん)を補(おぎな)わば(※)、将(まさ)に五十里(ごじゅうり)にならんとす。猶(な)お以(もっ)て善国(ぜんこく)たるべし。書(しょ)に曰(いわ)く、若(も)し薬(くすり)瞑眩(めんけん)(※)せずんば、厥(そ)の疾(やまい)瘳(い)えず、と。

(※)世子……太子。
(※)宋……現在の河南省商邱県の地にあった。滕の国は現在の山東省滕県あたりにあったから、太子は、わざわざ会うために通ったことになる。
(※)性善……人はもともと善なる性質を持っている。いわゆる孟子の性善説。ここで初めて性善という言葉が出てくる。すでに見た四端説(公孫丑(上)第六章)にもつながるが、詳しくは告子(上)で展開される。
(※)道は一のみ……正しい道は一つである。『論語』にも、孔子が似たような言い方をしているところがある。「子(し)曰(いわ)く、参(しん)よ、吾(わ)が道(みち)は一(いつ)を以(もっ)て之(これ)を貫(つらぬ)く」。曾子は、これを「夫子(ふうし)の道(みち)は忠如(ちゅうじょ)のみ」と説明している(里仁第四)。ここでは、自分の言う性善説を信じて、かつ、仁政を行うしか道はないことを意味していると思われる。孔子の言いたかった忠如は、性善説と仁政を行うことにも通じるので、孟子の言う「道は一つ」は、孔子からはずれたものではないと解される。
(※)成覵……斉の勇者。景公に仕えたという。
(※)公明儀……魯の賢人。詳しくはわかっていない。『論語』に出てくる公明賈(憲問第十四)の系列の人とか、曾参(曾子)の弟子だった人とかいわれている。
(※)長を絶ち短を補わば……長短をまとめて四角にして考えると。
(※)瞑眩……めまいを起こすこと。「若(も)し薬(くすり)瞑眩(めいけん)せずんば厥(そ)の病(やまい)瘳(い)えず」は、『書経』の名言とも、『孟子』の名言ともとられ格言としても有名となっている。なお、「瞑眩」は「めんけん」のほかに「めんげん」とも「めいげん」とも読まれている。意味は「もし薬を飲んでも、目まいがするほどの反応がなければその病気は治らない。忠言・忠告をするにしてもそれによって相手がはげしい反応を起こすほどのものでなければその非はなおらないものだ」とされている(『故事ことわざの辞典』 小学館)。

【原文】
滕文公爲世子、將之楚、過宋而見孟子、孟子道性善、言必稱堯、舜、世子自楚反、復見孟子、孟子曰、世子疑吾言乎、夫道一而已矣、成覵謂齊景公曰、彼丈夫也、我丈夫也、我何畏彼哉、顏淵曰、舜何人也、予何人也、有爲者亦若是、公明儀曰、文王我師也、周公豈欺我哉、今、滕絕長補短、將五十里也、猶可以爲善國、書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳、

 

2‐1 先人の良い話はずっと覚えておく


【現代語訳】
滕の定公が亡くなった。太子(後の文公)が、守役の然友に言った。「昔、孟子と宋で会って話を聞いたことがある。そのときの孟子の話が自分の心のなかにずっとあって、未だに忘れられない。今、不幸にして自分は父を亡くし私はお前を孟子のところにやって喪についての心がけを聞いてもらい、その後で葬儀などをやりたいと思う」。然友は故郷の鄒にいる孟子を訪ね、そのことを問うた。孟子は答えて言った。「それはとても良いお考えです。そもそも親の喪というのは、子としての自分の気持ちを十分に尽くしてやるべきものです。かつて曾子は言いました。『親が生きている間には、これに仕えるに礼をもってし、亡くなったときは、礼をもって葬儀を行い、その後祭るとき(法事)にも礼をもってする。これが孝行である』と。諸侯の礼については、まだ私は学んでおりません。ただ、次のことは聞いています。『親の喪は三年間で、その間は粗末な喪服を着、おかゆを食べるのが天子から庶民に至るまで皆同じであって、夏・殷・周三代にわたって、その点は共通しているものである』と」。

【読み下し文】
滕(とう)の定公(ていこう)薨(こう)ず(※)。世子(せいし)、然(ぜん)友(ぜんゆう)に謂(い)いて曰(いわ)く、昔者(むかし)、孟子(もうし)嘗(かつ)て我(われ)と宋(そう)に言(い)えり。心(こころ)に於(お)いて終(つい)に忘(わす)れず。今(いま)や不幸(ふこう)にして大故(たいこ)(※)に至(いた)れり。吾(わ)れ、子(し)をして孟子(もうし)に問(と)わしめ、然(しか)る後(のち)事(こと)を行(おこな)わんと欲(ほっ)す、と。然友(ぜんゆう)鄒(すう)に之(ゆ)き、孟子(もうし)に問(と)う。孟子(もうし)曰(いわ)く、亦(また)善(よ)からずや。親(おや)の喪(も)は固(もと)より自(みずか)ら尽(つ)くす所(ところ)なり。曾子(そうし)曰(いわ)く(※)、生(い)けるには之(これ)に事(つか)うるに礼(れい)を以(もっ)てし、死(し)せるには之(これ)を葬(ほうむ)るに礼(れい)を以(もっ)てし、之(これ)を祭(まつ)るに礼(れい)を以(もっ)てす。孝(こう)と謂(い)うべし、と。諸侯(しょこう)の礼(れい)は、吾(わ)れ未(いま)だ之(これ)を学(まな)ばざるなり。然(しか)りと雖(いえど)も、吾(わ)れ嘗(かつ)て之(これ)を聞(き)けり。三年(さんねん)の喪(も)(※)、斉疏(しそ)の服(ふく)(※)、飦粥(せんじゅく)の食(し)(※)は、天子(てんし)より庶人(しょじん)に達(たっ)し、三代(さんだい)之(これ)を共(とも)にす、と。

(※)薧ず……諸侯が死ぬこと。
(※)大故……親の喪。
(※)曾子曰く……『論語』では、孔子が弟子の樊遅(はんち)に言った言葉として同じものがあるが(為政第二)、孔子に教わったものを、曾子も言ったものと思われる。孟子は曾子と子思の系列に学んだ人である。
(※)三年の喪……親の喪は三年とされているが、二十五ヵ月という説と二十七ヵ月という説がある。なぜ、三年かというと、『論語』で孔子は次のように述べる。「子(こ)生(う)まれて三年(さんねん)、然(しか)る後(のち)に父母(ふぼ)の懐(ふところ)より免(まぬが)る。夫(そ)れ三年(さんねん)の喪(も)は天下(てんか)の通(つう)喪(そう)なり」(陽貨第十七)。これは宰我の三年の喪は長すぎないかという質問に答えたものだ。やはり、昔から一年の喪でいいのではという議論は多かったのだろう。
(※)斉疏の服……粗末な喪服。
(※)飦粥の食……おかゆを食べる。

【原文】
滕定公薨、世子、謂然友曰、昔者、孟子嘗與我言於宋、於心終不忘、今也不幸至於大故、吾、欲使子問於孟子、然後行事、然友之鄒、問於孟子、孟子曰、不亦善乎、親喪固所自盡也、曾子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮、可謂孝矣、諸侯之禮、吾未之學也、雖然、吾嘗聞之矣、三年之喪、齊疏之服、飦粥之食、自天子逹於庶人、三代共之。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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