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第73回

171〜172話

2021.07.06更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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10‐1 何が本質なのかを自ら考え見抜く


【現代語訳】
(斉の人である)匡章は言った。「陳仲子は、まことの廉潔な士ではありませんか。彼は兄の禄を不義であるとして実家を飛び出して、於陵というところに住み、あるときは食べ物がなくて三日間も何も食べずにいたため、耳が聞こえなくなり、目が見えなくなったそうです。井戸のそばに李(すもも)の木があって、すくも虫がその実の半分を食べていた実が落ちていました。彼は、這ってそこまで行き、拾ってそれを食べました。三口ほど食べるとやっと耳も聞こえ、目も見えるようになりました」。孟子は言った。「確かに私も斉国の士のなかでは、仲子は大物に入ると思います。しかし、本当に廉潔の士と言うのには賛成できませんね。仲子の考える節操を完成させるなら、みみずにでもなって初めて可能になるというものでしょう。みみずというのは、上では乾いた土を食い、下では地中の水を飲んで、ほかのことは考えずに気ままに生きています。仲子の住んでいる家は、伯夷のような清廉な人がつくったものであろうか、盗跖のような大泥棒がつくったものか。また、彼の食べている穀物は、伯夷のような清廉な人が育てたものであろうか、盗跖のような人が育てたものであろうか。そういうことまでは、わからないでいます」。

【読み下し文】
匡章(きょうしょう)(※)曰(いわ)く、陳仲子(ちんちゅうし)は、豈(あに)誠(まこと)の廉士(れんし)ならずや。於陵(おりょう)に居(お)り、三日(さんじつ)食(くら)わず。耳(みみ)聞(き)こゆる無(な)く、目(め)見(み)ゆる無(な)きなり。井上(せいじょう)(※)に李(すもも)有(あ)り。螬(すくもむし)、実(み)を食(くら)う者(もの)半(なか)ばに過(す)ぐ。匍匐(ほふく)して往(ゆ)き、採(と)りて之(これ)を食(くら)う。三咽(さんえん)して、然(しか)る後(のち)に耳(みみ)聞(き)こゆる有(あ)り、目(め)見(み)ゆる有(あ)り。孟子(もうし)曰(いわ)く、斉国(せいこく)の士(し)に於(お)いて、吾(わ)れ必(かなら)ず仲子(ちゅうし)を以(もっ)て巨擘(きょはく)(※)と為(な)さん。然(しか)りと雖(いえど)も、仲子(ちゅうし)悪(いずく)んぞ能(よ)く廉(れん)ならんや。仲子(ちゅうし)の操(そう)を充(み)たさんとならば、則(すなわ)ち蚓(いん)(※)にして後(のち)可(か)なる者(もの)なり。夫(そ)れ蚓(いん)は、上(かみ)、槁壌(こうじょう)を食(くら)い、下(しも)、黄泉(こうせん)を飲(の)む。仲子(ちゅうし)の居(お)る所(ところ)の室(しつ)は、伯夷(はくい)(※)の築(きず)ける所(ところ)か、抑〻(そもそも)亦(また)盗跖(とうせき)の築(きず)ける所(ところ)か。食(くら)う所(ところ)の粟(ぞく)は、伯夷(はくい)の樹(う)えし所(ところ)か、抑〻(そもそも)亦(また)盗跖(とうせき)(※)の樹(う)えし所(ところ)か。是(こ)れ未(いま)だ知(し)るべからざるなり。

(※)匡章……斉の人。孟子の弟子という説もあるが、離婁(下)第三十章に詳しく出てくるが、それを読むと、孟子の友人的な存在のように思う。そこでは匡章は、親不孝者と評判されていても、孟子の基準を示して、それとは違うとはっきり言っている。ここでは、その匡章がほめる陳仲子を孟子の価値基準で、そうとは言えないとするのが面白い。孟子は、世間や人がどう言おうと、自分自身の見方でよく考えて判断し、それを貫くという人であったのがよくわかる。『論語』にもこうある。「子(し)曰(いわ)く、衆(しゅう)、之(これ)を悪(にく)むは、必(かなら)ずこれを察(さっ)し、衆(しゅう)、之(これ)を好(この)むも、必(かなら)ずこれを察(さっ)す」(衛霊公第十五)、「子(し)曰(いわ)く、是(こ)れ聞(き)こゆるなり。達(たつ)に非(あら)ざるなり」(顔淵第十二)。いずれも自分自身で、その本質を考え、見抜くことを教えている。
(※)井上……井戸のそば。なお、「井」を井田法との関係から、土地区画としての井の間である道とする説もある。
(※)巨擘……大物。五本指のなかの親ゆびのこと。大した大物ではないとのニュアンスであるとの説もある。
(※)蚓……みみず。
(※)伯夷……公孫丑(上)第二章十参照。
(※)盗跖……大泥棒とされている。

【原文】
匡章曰、陳仲子、豈不誠廉士哉、居於陵、三日不⻝、耳無聞、目無見也、井上有李、螬、⻝實者過半矣、匍匐徃、將⻝之、三咽、然後耳有聞、目有見、孟子曰、於齊國之士、吾必以仲子爲巨擘焉、雖然仲子惡能廉、充仲子之操、則蚓而後可者也、夫蚓、上、⻝槁壤、下、飲黃泉、仲子所居之室、伯夷之所築與、抑亦盜跖之所築與、所⻝之粟、伯夷之所樹與、抑亦盜跖之所樹與、是未可知也。

 

10‐2 人情、人の倫理を正しく実践し、偏屈な独りよがりではいけない


【現代語訳】
〈前項から続いて匡章は言った〉。「それは、考える必要はないのでしょうか。彼は自分で靴を織り、妻は麻をつむいで、それらと必要な物を交換しているくらいですから」。これに対し、孟子はさらに言った。「仲子の家は代々斉の禄をもらっている家柄である。彼の兄の戴が蓋の地で万鍾の禄をもらっている。しかるに、彼は兄の禄を不義のものだとし、自分はそれを食べない。また、兄の家も不義の家として住まない。そして兄を避けて、母から離れて於陵に住んでいる。ある日、彼が実家に帰っていると、ある人が兄に生きたガチョウを送っていた。彼は顔をしかめて、言った。『どうしてこんなガアガア鳴くものを贈り物にするのかな(また、受け取る方も受け取るほうだ)』と。また、ある日、実家に帰ったとき、母親がこのガチョウをしめて、これを仲子に食べさせた。そこへ兄が帰ってきた。そして言った。『この肉は例のガアガア鳴くガチョウのそれだぞ』と。仲子は外に出て、この肉を吐き出したという。母の料理だと何のかんの言って食べないことがあり、妻がつくる料理だと疑いもせずに食べる。また、兄の家だと不義の家だと言って住まずに、於陵の家なら、何も疑いも持たないで住む。彼の生き方を見ると、筋が通っていないように見える。私が仲子のような生き方は、みみずになってこそ、初めて筋が通ると言うゆえんです」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、是(こ)れ何(いず)ぞ傷(いた)まんや。彼(かれ)は身(み)屨(くつ)を織(お)り、妻(つま)は纑(ろ)(※)を辟(う)み(※)、以(もっ)て之(これ)に易(か)うるなり。曰(いわ)く、仲子(ちゅうし)は斉(せい)の世家(せいか)(※)なり。兄(あに)の戴(たい)が蓋(こう)の禄(ろく)万鍾(ばんしょう)(※)あり。兄(あに)の禄(ろく)を以(もっ)て不義(ふぎ)の禄(ろく)と為(な)して、食(くら)わざるなり。兄(あに)の室(しつ)を以(もっ)て、不義(ふぎ)の室(しつ)と為(な)して、居(お)らざるなり。兄(あに)を辟(さ)け母(はは)を離(はな)れて、於陵(おりょう)に処(お)る。他日(たじつ)帰(かえ)れば、則(すなわ)ちそ其(そ)の兄(あに)に生鵝(せいが)を饋(おく)る者(もの)有(あ)り。己(おのれ)頻顣(ひんしゅく)して曰(いわ)く、悪(いずく)んそ是(こ)の鶃鶃(ぎつぎつ)の者(もの)(※)を用(もち)うるを為(な)さんや、と。他日(たじつ)其(そ)の母(はは)是(こ)の鵝(が)を殺(ころ)すや、之(これ)に与(あた)えて之(これ)を食(くら)わしむ。其(そ)の兄(あに)外(そと)より至(いた)りて曰(いわ)く、是(こ)れ鶃鶃(ぎつぎつ)の肉(にく)なり、と。出(い)でて之(これ)を哇(は)く。母(はは)を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち食(くら)わず、妻(つま)を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち之(これ)を食(くら)う。兄(あに)の室(しつ)を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち居(お)らず、於陵(おりょう)を以(もっ)てすれば則(すなわ)ち之(これ)に居(お)る。是(こ)れ尚(な)お能(よ)く其(そ)の類(るい)を充(み)たす(※)と為(な)さんや。仲子(ちゅうし)の若(ごと)き者(もの)は、蚓(いん)にして後(のち)、其(そ)の操(そう)を充(み)たす者(もの)なり。

(※)纑……麻。練り麻。
(※)辟み……(麻を)つむいで。
(※)世家……代々禄を受けている家。
(※)万鐘……公孫丑(下)第十章一参照。
(※)鶃鶃の者……ガアガアと鳴くもの。
(※)其の類を充たす……筋を通す。生き方を充たす。なお、孟子は家族を尊重する主義だからか、斉の評判の人というが陳仲子の廉潔だという生き方が気にくわない。兄を無視し、母を大事にしない。もちろん家のことは考えていない。親不孝者と評判の匡章のことはかばっているが、彼の考える基準では、匡章は親不孝ではないが(離婁(下)第三十章参照)、陳仲子は許せないと考える。陳仲子は、みみずにならないとその考える生き方をまっとうできないと、例のごとく面白いたとえ話を使って断ずる。なお、孟子の家族愛は孔子以来の儒教の要でもある。孟子からすると、陳仲子は何の理由があって兄を不義とするかわからないが、もしそう思うなら兄にわからせる努力を続けるべきではないか、となろう。その注意の仕方も『論語』でもわかるように、大変気をつけなくてはならない。例えば、次のようである。「子(し)曰(いわ)く、父母(ふぼ)に事(つか)うるには幾諫(きかん)す。志(し)の従(したが)わざるを見(み)ては、又(また)敬(けい)して違(たが)わず。労(ろう)して怨(うら)みず」(里仁第四)。親や兄を決して悪く取ったり、扱ったりしてはならないのが儒教の柱である。ただ、参考までに述べておくと、吉田松陰は、「孟子は、陳仲子を批判するけれども、「巨擘」、すなわち結構な人物としているので、その清廉な人格は認めていたのだろう」としている(『講孟箚記』)。

【原文】
曰、是何傷哉、彼身織屨、妻辟纑、以易之也、曰、仲子齊之世家也、兄戴蓋祿萬鍾、以兄之祿、爲不義之祿、而不⻝也、以兄之室、爲不義之室、而不居也、辟兄離母、處於於陵、他日歸、則有饋其兄生鵝者、己頻顣曰、惡用是鶃鶃者爲哉、他日其母是鵝也、與之⻝之、其兄自外至、曰、是鶃鶃之肉也、出而哇之、以母則不⻝、以妻則⻝之、以兄之室則弗居、以於陵則居之、是尙爲能充其類也乎、若仲子者、蚓而後、充其操者也。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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