第82回
195〜196話
2021.07.20更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら
19‐1 親に仕えることは、仕えることの根本である
【現代語訳】
孟子は言った。「人に仕えるということで最も大切なことは何であるかといえば、それは親に仕えるということだ。また、守るということで最も大切なことは何であるかといえば、それは自分自身を正しく守っていくことである。自分の身を正しくして身を持ち崩さなかった人が、よくその親に仕えたということはよく聞く。しかし、自分を正しく保てず身を持ち崩した人が、よく親に仕えたということは聞いたことがない。仕えるということには、いろいろな場合があるが、親に仕えるということが、仕えるということの根本である。また、守るということにもいろいろな場合があるが、自分の身を正しく守るということが、守るということの根本である」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、事(つか)うること孰(いず)れか大(だい)なりと為(な)す。親(おや)に事(つか)うるを大(だい)なりと為(な)す。守(まも)ること孰(いず)れか大(だい)なりと為(な)す。身(み)を守(まも)るを大(だい)なりと為(な)す。其(そ)の身(み)を失(うしな)わずして能(よ)く其(そ)の親(おや)に事(つか)うる者(もの)は、吾(わ)れ之(これ)を聞(き)けり。其(そ)の身(み)を失(うしな)いて能(よ)く其(そ)の親(おや)に事(つか)うる者(もの)は、吾(わ)れ未(いま)だ之(これ)を聞(き)かざるなり。孰(いず)れか事(つか)うると為(な)さざらん。親(おや)に事(つか)うるは事(つか)うるの本(もと)なり(※)。孰(いず)れか守(まも)ると為(な)さざらん。身(み)を守(まも)るは守(まも)るの本(もと)なり。
(※)親に事うるは事うるの本なり……親に仕えるというのが、仕えるということの根本である。なお、『論語』には有子の言葉として次のものがある。「有子(ゆうし)曰(いわ)く、其(そ)の人(ひと)となりや孝弟(こうてい)にして、上(かみ)を犯(おか)す好(この)む者(もの)は者(もの)は鮮(すくな)し。上(かみ)を犯(おか)すを好(この)まずして、乱(らん)を作(な)すを好(この)む者(もの)は未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり。君子(くんし)は本(もと)を務(つと)む。本(もと)立(た)ちて道(みち)生(しょう)ず。孝弟(こうてい)なる者(もの)は、其(そ)れ仁(じん)の本(もと)たるか」(学而第一)。このように儒教は、親兄弟を一番大事に考える。これに対し、先にもあったように墨翟は儒教に反対して無差別愛(兼愛)を説いた。この説は孟子の時代には相当有力だったようで、この説を論破していくために孟子は〝仁義〟を主張した。仁は人の心であり、義は人の路(みち)であった。その仁義によって一番大切なのが親に仕えるということと、自分の正しい身を守るということであった。本章はその孟子からの当然出てくる主張であったといえよう。
【原文】
孟子曰、事孰爲大、事親爲大、守孰爲大、守身爲大、不失其身而能事其親者、吾聞之矣、失其身而能事其親者、吾未之聞也、孰不爲事、事親事之本也、孰不爲守、守身守之本也。
19‐2 父の志を養う
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「(孔子の弟子である)曾子は、その父の曾皙に孝養をつくしているときに、食事を出す場合には必ず酒と肉があった。食事が済んでお膳を下げるときには、必ず、『残りをどこにあげましょうか』と尋ねた。父が、『余りがあるのか』と問うと、(たとえなくても)必ず『あります』と答えた(父のあげたいという気持ちを察して、その気持ちを満足させたいと思っていた)。その曾皙が死んで、曾元が父の曾子を孝養するようになると、食事には、やはり必ず酒肉がついた。しかし、お膳を下げるときに、『残りをどこにあげましょうか』とは尋ねなかった。そして曾子に、『余りはあるか』と問われると、『もうありません。しかし、お望みなら、もっとつくりましょう』と言った。こうした曾元のやり方は、親の肉体を満足させるだけのものである。これに対し、曾子の曾皙に対するそれは、親の志(思い)を汲んで満足させようとするものだ。親に仕えるには、この曾子のようにするのが良い」。
【読み下し文】
曾子(そうし)、曾晳(そうせき)(※)を養(やしな)うに、必(かなら)ず酒肉(しゅにく)有(あ)り。将(まさ)に徹(てつ)せん(※)とすれば、必(かなら)ず与(あた)うる所(ところ)を請(こ)う。余(あま)り有(あ)りやと問(と)えば、必(かなら)ず有(あ)りと曰(い)う。曾晳(そうせき)死(し)す。曾元(そうげん)、曾子(そうし)を養(やしな)うに、必(かなら)ず酒肉(しゅにく)有(あ)り。将(まさ)に徹(てつ)せんとするも、与(あた)うる所(ところ)を請(こ)わず。余(あま)り有(あ)りやと問(と)えば、亡(な)し。将(まさ)に以(もっ)て復(ふたた)び進(すす)めんとするなりと曰(い)う(※)。此(こ)れ所(いわ)謂(ゆる)口体(こうたい)を養(やしな)う者(もの)なり。曾子(そうし)の若(ごと)きは、則(すなわ)ち志(こころざし)を養(やしな)うと謂(い)うべきなり。親(おや)に事(つか)うること曾子(そうし)の若(ごと)き者(もの)は、可(か)なり。
(※)曾皙……曾子の父。名は点。皙は字。『論語』で一番長い文章のところで登場する。子路、冉有、公西華とともに孔子の前に侍っているときに、それぞれのやりたいことを述べるが、曾皙の発言がユニークで、それに孔子も同意するという面白いところである(先進第十一)。私も曾皙の発言に共感を持った。それは、皆が政治向きの志を述べているなかで一人違ったことを言う。「春の良い季節に新しい服を着て、若い人たちと一緒に、温泉に入って、後に涼みをして、鼻唄でも唄いながらブラブラと帰ってきたい」というようなことである。孔子も「その仲間に加わりたい」と言うが、それだけ曾皙の人柄を買っていたのかもしれない。曾子の親孝行ぶりは有名だが、そうさせた曾皙の人徳も大きかったのであろう。吉田松陰は父の杉百合之助とおじの玉木文之進がつくり上げた傑作というところがあるが、曾子という大人物も曾皙という父があってのものだったのだろう。曾子の教えの流れをくむ孟子も、曾皙を尊敬していたのではないかと私は推測している。
(※)徹せん……ここでは、お膳を下げる。「徹」は「撤」と同じ。
(※)将に以て復び進めんとするなりと曰う……『お望みならもっとつくりましょう』と言った。これに対し、「後日、残りをもう一度、親に食べさせようとするためであった」と解する朱子などの通説がある。読み方としては「余(あま)り有(あ)りやと問(と)えば、亡(な)しと曰(い)う。将(まさ)に以(もっ)て復(ふたた)び進(すす)めんとするなり」とし、「亡し」までを曾元の言葉とする。しかし、これを、尊敬する曾子親子の話として孟子が引用する内容とは思えない。やはり、本文で訳したように解すべきではないか。
【原文】
曾子、羪曾晳、必有酒肉、將徹、必請所與、問有餘、必曰有、曾晳死、曾元、羪曾子、必有酒肉、將徹、不請所與、問有餘、曰兦矣、將以復進也、此所謂羪口體者也、若曾子、則可謂羪志也、事親若曾子者、可也。
【単行本好評発売中!】
この本を購入する
感想を書く