第89回
214〜216話
2021.07.29更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐1 徳や才能は人のために役立つために与えられている
【現代語訳】
孟子は言った。「中庸の徳が備わっている者が、まだ中庸の徳が育ってない者を教え導き、天から才能を与えられた者が、才能のないほかの人のために教え導くために尽くす。これは天の与えたしくみを実践することであるから、世の人々は、賢父兄が出てくるのを楽しみ喜びとするのである。それなのに、中庸の徳のある人が、まだ徳がない人を見向きもせずに教え導かず、才能のある人が才能のないほかの人々を見向きもせずに教え導くことに尽くさないなら、(中庸の徳や才能は)何の価値もないことになる。そうなれば、賢者と思われる人と不肖な愚か者と思われている人の差は、一寸の違いもないものとなろう」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、中(ちゅう)(※)は不中(ふちゅう)を養(やしな)い(※)、才(さい)は不才(ふさい)を養(やしな)う。故(ゆえ)に人(ひと)、賢(けん)父兄(ふけい)有(あ)るを楽(たの)しむ(※)。如(も)し中(ちゅう)は不中(ふちゅう)を棄(す)て、才(さい)は不才(ふさい)を棄(す)つれば、則(すなわ)ち賢(けん)不肖(ふしょう)の相(あい)去(さ)ること、其(そ)の間(かん)(※)、寸(すん)を以(もっ)てすること能(あた)わず。
(※)中……中庸の徳が備わった者。『論語』にも「子(し)曰(いわ)く、中庸(ちゅうよう)の徳(とく)たるや、其(そ)れ至(いた)れるかな」(雍也第六)とある。なお、『菜根譚』にも、あちこちにこの中庸の徳が目指すべきところとすることが述べられている。ちょうど良い、ほど良いところを見出すには相当の自己修養が求められる。
(※)養う……教え導く。
(※)楽しむ……楽しみ喜びとする。なお、「楽」を「ねが(う)」と読む人もある。
(※)其の間、寸を以てすること能わず……「差は一寸の違いもないものとなろう」。以上のように解するのが通説であるが、それでは意味が通らないところがあるので、逆に「差は、一寸どころではない大きなものとなるだろう」とする説もある。しかし、孟子などの儒教の立場からすると、徳や才能というのは、ほかの一般の人々のために役立ち尽くすために天から与えられたものと見ていると思われる。例えば、『菜根譚』にこういうのがある。「士君子(しくんし)、幸(さいわ)いに頭角(とうかく)を列(つら)ね、復(ま)た温飽(おんぽう)に遇(あ)うも、好言(こうげん)を立(た)て好事(こうじ)を行(おこな)うこと思(おも)わざれば、是(こ)れ世(よ)に在(あ)ること百年(ひゃくねん)なりと雖(いえど)も、恰(あたか)も未(いま)だ一日(いちにち)をも生(い)きざるに似(に)たり」(前集六十)。つまり、才能があったとしても、人のためにそれを役立てないと生きている価値もない人だとするのである。この徳や才能を伸ばし、大きく役立つ人に対して、天はさらに厳しい試練を与えていくという(告子(下)第十五章参照)。これも徳や才能ある人に対する天の期待と見るのである。こうして孟子は天の与えた仕組みから考えて、人に役立たない徳や才能というのは、何の価値もないと見るのであろう(『菜根譚』前集二百十九参照)。
【原文】
孟子曰、中也羪不中、才也羪不才、故人樂有賢父兄也、如中也棄不中、才也棄不才、則賢不肖之相去、其閒不能以寸。
8‐1 人為さざるあり
【現代語訳】
孟子は言った。「人にはしてはならないことがある。それができて初めて、大きなこともできるようになるのだ」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)為(な)さざる有(あ)り(※)、而(しか)る後(のち)以(もっ)て為(な)す有(あ)るべし。
(※)人為さざる有り……人にはしてはいけないことがある。だめなものはだめである。なお、尽心(上)第十七章には「其(そ)の為(な)さざる所(べき)を為(な)すこと無(な)く、其(そ)の欲(ほっ)せざる所(べき)を欲(ほっ)すること無(な)し」とある。
【原文】
孟子曰、人有不爲也、而後可以有爲。
9‐1 人の悪口を言うのは楽しいかもしれないが、後の患いもあるのでほどほどにする
【現代語訳】
孟子は言った。「人の善くないこと、失敗、欠点などの悪口を言うのは楽しいかもしれないが、ほどほどにしないと仕返しを受けてしまうだろう。そのような後の患いにどう対処するつもりなのか(人の悪口はあまり言うべきではない)」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、人(ひと)の不善(ふぜん)(※)を言(い)わば、当(まさ)に後患(こうかん)(※)を如(いか)何(に)すべき。
(※)不善……ここでは、「善くないこと、失敗、欠点など」と広く解する。
(※)後患……仕返しなどの後の患い。『菜根譚』も次のように述べる。「人(ひと)の小過(しょうか)を責(せ)めず、人(ひと)の陰(いん)私(し)を発(あば)かず、人(ひと)の旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず。三者(さんしゃ)、以(もっ)て徳(とく)を養(やしな)うべく、亦(また)以(もっ)て害(がい)に遠(とお)ざかるべし」(前集百五)。つまり、人の悪口を言わないことは、徳を高めていくことになるし、後の患いもなくなるのだとする。
【原文】
孟子曰、言人之不善、當如後患何。
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