第101回
245〜246話
2021.08.17更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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万章(上)
1‐1 孝子の心
【現代語訳】
(弟子の)万章が問うた。「(歴山で耕作していたころ)舜は田に出かけると天に向かって大声を上げて泣いたということですが、どうしてそんなに号泣したのですか」。孟子は答えた。「父母が自分を愛してくれないことを怨み、それでも親を慕う心を天に訴えたのだ」。万章は言った。「『父母が愛してくれれば、それを喜んで忘れない。父母が自分を憎んでも、自分の至らなさを心配して、父母は怨まない』といわれています。先生のお話によると、舜は父母を怨んだのでしょうか」。孟子は言った。「昔、長息という者が(先生の)公明高に聞いた。『舜が田に出て働いたことについては、すでに先生から教えていただきましたのでよくわかりました。ですが、天に向かい、父母とのことを号泣したわけがわかりません』と。公明高は次のように答えたという。『これは、(なかなか難しくて)お前にはまだわからないだろう』と。おそらく公明高は、こう考えたと思われる。『つまり、舜のような孝子の心というものは、そんな冷淡なものではない、ということだ。自分は力いっぱい田を耕し、親を養うために子としての職分を果たすだけである。たとえ親が自分を愛してくれなかったとしても、それはもう自分ではどうしようもないといった冷淡なものではないということだ』と(仇として怨むとは違うものである)」。
【読み下し文】
万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、舜(しゅん)、田(でん)に往(ゆ)き、旻天(びんてん)(※)に号泣(ごうきゅう)す。何(なん)為(す)れぞ其(そ)れ号泣(ごうきゅう)するや。孟子(もうし)曰(いわ)く、怨慕(えんぼ)(※)すればなり。万章(ばんしょう)曰(いわ)く、父母(ふぼ)之(これ)を愛(あい)すれば(※)、喜(よろこ)んで忘(わす)れず。父母(ふぼ)之(これ)を悪(にく)めば、労(ろう)して怨(うら)みず、と。然(しか)らば則(すなわ)ち舜(しゅん)は怨(うら)みたるか。曰(いわ)く、長息(ちょうそく)(※)、公明高(こうめいこう)(※)に問(と)うて曰(いわ)く、舜(しゅん)の田(でん)に往(ゆ)くは、則(すなわ)ち吾(わ)れ既(すで)に命(めい)を聞(き)くことを得(え)たり。旻天(びんてん)に父母(ふぼ)に号泣(ごうきゅう)するは、則(すなわ)ち吾(わ)れ知(し)らざるなり、と。公明高(こうめいこう)曰(いわ)く、是(こ)れ爾(なんじ)の知(し)る所(ところ)に非(あら)ざるなり、と。夫(か)の公明高(こうめいこう)は、孝子(こうし)の心(こころ)を以(もっ)て、是(かく)の若(ごと)く恝(かつ)ならず(※)と為(な)す。我(われ)は力(ちから)を竭(つく)して田(でん)を耕(たがや)し、子(こ)たるの職(しょく)に共(きょう)するのみ。父母(ふぼ)の我(われ)を愛(あい)せざるは、我(われ)に於(お)いて何(なん)ぞや、と。
(※)旻天……天。あわれみ深い天。この「旻天」の下に「于父母」の三文字が脱しているとの説もある。三文字が加わると「天に向かって訴えたり、父母の名を呼んだ」などと解釈することになる。
(※)怨慕……怨み、また慕う。
(※)愛すれば……孔子は、「仁」を問われて、「人を愛する」ことだと言った(顔淵第十二)。「仁」とは、孔子の一番重要視する人としての優れた人格のことで幅は広く定義は難しいが、「愛」を中心とした概念であることは間違いない。その愛とは今の日本語で言えば、思いやり、いとおしむ、というような意味に近い。ここで孟子も「愛する」という言葉を使っており、これも孔孟の時代から重視されていた言葉であったのがよくわかる。なお、離婁(下)第二八章一も参照。
(※)長息……公明高の弟子。
(※)公明高……曾子の弟子。
(※)恝ならず……冷淡なものではない。なお、「恝」の字は、元来「●」だったとし、「ゆる」がせる、とか、「かい」とか読ませる説もある。意味は同じである。
(注)●の漢字は「介」の下に「心」。
【原文】
萬章問曰、舜、徃于田、號泣于旻天、何爲其號泣也、孟子曰、怨慕也、萬章曰、父母愛之、喜而不忘、父母惡之、勞而不怨、然則舜怨乎、曰、長息、問於公明高曰、舜徃于田、則吾既得聞命矣、號泣于旻天于父母、則吾不知也、公明高曰、是非爾所知也、夫公明高、以孝子之心、爲不若是恝、我竭力畊田、共爲子職而已矣、父母之不我愛、於我何哉。
1‐2 大孝の人は一生ずっと父母を慕う
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「帝堯は、自分の子の九人の男子と二人の娘に、諸役人、牛や羊、穀物倉庫などをつけて、田野で働いていた舜に仕えさせた。すると天下の人士たちも(舜の徳を慕って)舜に従う者が多くなった。そこで帝堯は、天下のすべてを挙げて、何もかも舜に譲ろうとした。ところが舜は、父母に気に入られないために、心楽しまずに困窮している人が、身を寄せるところがないような様子であった。天下の人士が喜んで帰服することは、誰でも望むところなのに、それは舜の心の憂いを解くに足りなかったのである。また、美人は誰もが妻としたいものだが、帝堯の二人の美しい娘を妻としながら、それも舜の心の憂いを解くに足りなかったのである。富も、人の欲するところであるが、天下の富を得ても、舜の憂いを解くには足りなかったのである。さらに舜は天子という貴い身分を得ても、それが憂いを解くに足りなかったのである。このように、天下の人が喜んで帰服しても、美人を得ても、富貴を手にしても、それらが憂いを解くものに足りなかったのである。ただ父母に気に入られるということだけが、舜の憂いを解くものだったのである。人は小さいときは父母を慕うものだが、色気づいてくると若くて美しい娘を慕い、妻子を持つようになると妻子を慕い、仕官すると君を慕い、君に認められないと何とか認められるようにしようと熱中するものである。このようななかで、大孝の人だけは、一生涯ずっと父母を慕うのである。それでも五十にもなって、なお父母を慕う者は、私は偉大なる舜において、初めてこれを見たのである」。
【読み下し文】
帝(てい)(※)、其(そ)の子(こ)九男(きゅうだん)二女(にじょ)をして、百官(ひゃっかん)・牛羊(ようぎゅう)・倉廩(そうりん)を備(そな)え、以(もっ)て舜(しゅん)に畎畝(けんぽ)(※)の中(うち)に事(つか)えしむ。天下(てんか)の士(し)、之(これ)に就(つ)く者(もの)多(おお)し。帝(てい)将(まさ)に天下(てんか)を胥(ひき)いて(※)、之(これ)を遷(うつ)さんとす。父母(ふぼ)に順(したが)われざるが為(ため)に、窮人(きゅうじん)(※)の帰(き)する所(ところ)無(な)きが如(ごと)し。天下(てんか)の士(し)之(これ)を悦(よろこ)ぶは、人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり。而(しか)も以(もっ)て憂(うれ)いを解(と)くに足(た)らず。好色(こうしょく)(※)は人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり。帝(てい)の二女(にじょ)を妻(さい)とすれども、而(しか)も以(もっ)て憂(うれ)いを解(と)くに足(た)らず。富(とみ)は人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり。富(とみ)天下(てんか)を有(たも)てども、而(しか)も以(もっ)て憂(うれ)いを解(と)くに足(た)らず。貴(とうと)きは人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり。貴(とうと)きこと天子(てんし)と為(な)れども、而(しか)も以(もっ)て憂(うれ)いを解(と)くに足(た)らず。人(ひと)之(これ)を悦(よろこ)び、好色(こうしょく)・富貴(ふうき)あるも、以(もっ)て憂(うれ)いを解(と)くに足(た)る者(もの)無(な)し。惟(ただ)父母(ふぼ)に順(したが)わるれば、以(もっ)て憂(うれ)いを解(と)くべし。人(ひと)少(わか)ければ則(すなわ)ち父母(ふぼ)を慕(した)い、好色(こうしょく)を知(し)れば則(すなわ)ち少艾(しょうがい)(※)を慕(した)い、妻子(さいし)有(あ)れば則(すなわ)ち妻子(さいし)を慕(した)い、仕(つか)うれば則(すなわ)ち君(きみ)を慕(した)い、君(きみ)に得(え)ざれば則(すなわ)ち熱(ねっ)中(ちゅう)す。大孝(たいこう)は終身(しゅうしん)父母(ふぼ)を慕(した)う。五十(ごじゅう)にして慕(した)う者(もの)は、予(われ)大舜(たいしゅん)に於(お)いて之(これ)を見(み)る。
(※)帝……帝堯のこと。
(※)畎畝……田野。「畎」は田の間の溝。「畝」は田のあぜ。
(※)天下を胥いて……天下のすべてを挙げて。
(※)窮人……困窮している人。
(※)好色……美人の意。なお、次に出てくる「好色を知れば」については、「美人が気になれば」ということから「色気づいてくると」と訳した。
(※)少艾……若くて美しい女性。
【原文】
帝、使其子九男二女、百官・牛羊・倉廩備、以事舜於畎畝之中、天下之士、多就之者、帝將胥天下、而遷之焉、爲不順於父母、如窮人無所歸、天下之士悦之、人之所欲也、而不足以解憂、好色人之所欲、妻帝之二女、而不足以解憂、富人之所欲、富有天下、而不足以解憂、貴人之所欲、貴爲天子、而不足以解憂、人悦之、好色・富貴、無足以解憂者、惟順於父母、可以解憂、人少則慕父母、知好色則慕少艾、有妻子則慕妻子、仕則慕君、不得於君則熱中、大孝終身慕父母、五十而慕者、予於大舜見之矣。
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