第107回
259〜261話
2021.08.25更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐1 義と道にはずれたことは絶対にしない
【現代語訳】
万章が問うて言った。「世の中の人が次のようなことを言っています。『伊尹はまず料理人になって、湯王に取り入った』と。これは本当でしょうか」。孟子は答えた。「いや。そんなことはない。伊尹は有莘というところで、農耕をして、堯舜の道すなわち仁義の道を楽しんで暮らしていた。そして、義にはずれたことや道にはずれたことであれば、たとえ天下を俸禄として与えると言われて招かれても、振り向きもしなかったのだ。馬車につなぐ馬四千頭を贈り物にしても見向きもしなかった。また、義にはずれたこと、道にはずれたことであれば、たとえ一本の草でも人に与えなかったし、人からもらおうともしなかったのだ」。
【読み下し文】
万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、人(ひと)言(い)えること有(あ)り。伊尹(いいん)は割烹(かっぽう)(※)を以(もっ)て湯(とう)に要(もと)む(※)、と。諸(これ)有(あ)りや。孟子(もうし)曰(いわ)く、否(いな)、然(しか)らず。伊尹(いいん)は有莘(ゆうしん)の野(の)に耕(たがや)して、堯舜(ぎょうしゅん)の道(みち)(※)を楽(たの)しむ。其(そ)の義(ぎ)に非(あら)ざるや、其(そ)の道(みち)に非(あら)ざるや、之(これ)を禄(ろく)するに天下(てんか)を以(もっ)てするも、顧(かえり)みざるなり。繫馬千駟(けいばせんし)も、視(み)ざるなり。其(そ)の義(ぎ)に非(あら)ざるや、其(そ)の道(みち)に非(あら)ざるや、一介(いっかい)(※)も以(もっ)て人(ひと)に与(あた)えず。一介(いっかい)も以(もっ)て諸(これ)を人(ひと)に取(と)らず。
※)割烹……料理。料理人。なお、現在日本でも「割烹」という言葉は使われているが、日本料理の店として使われているのが面白い。『新明解国語辞典』(三省堂)によると、「割は切る、烹は煮るの意。(本格的な)日本料理(店)」とある。
(※)要む……取り入る。仕官を求める。
(※)堯舜の道……仁義の道。
(※)一介……一本の草。
【原文】
萬章問曰、人有言、伊尹以割烹要湯、有諸、孟子曰、否、不然、伊尹耕於有莘之野、而樂堯舜之道焉、非其義也、非其道也、祿之以天下、弗顧也、繫馬千駟、弗視也、非其義也、非其道也、一介不以與人、一介不以取諸人。
7‐2 先覚者
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「湯王は、使いをやって礼物を用意して伊尹を招聘させた。しかし、伊尹は、無欲泰然として言った。『私を湯王からの礼物で招聘しようとしても意味はない(出仕などしない)。というのも私は、田畑のなかで暮らしながら、堯舜の道(仁義の道)を楽しんでいることが一番の幸せなのだ』と。それでも、湯王は、三たび使者をやって招聘させた。(その熱意に心を動かされ)遂に伊尹は初志をひるがえして言った。『私は田畑のなかにいて、堯舜の道を楽しむより、(出仕して)湯王を堯舜のような名君にすることのほうが良いのではないか。また、民を教え導いて堯舜の民のようにすることのほうが良いのではないか。こうすることで自分自身の目で、仁義の道が世の中で実現されていくさまを直接見たほうが良いのではないか。そもそも天がこの世に民を生じさせるにあたっては、先に物事の事実を知った者に、後から知る者を教えるようにさせ、先に物事の道理を知った者に、まだ道理を知らない者を教えるようにするものである。私は、こうした天が生んだ民のなかにおける先覚者である。すなわち私は、この道つまり堯舜の道を、民に教え導くために生まれてきた。私がこれをやらなくて誰がやるのか』と。こうして伊尹は、天下の民、名もなき人々のなかで、一人でも堯舜の恩沢を受けられない人がいたとするならば、自分がそういう人を溝のなかに落としたかのように(苦しみに落としたかのように)考えたのである。このように、伊尹は天下の重い責任を自分が背負っているように感じたのだ。だからこそ、湯王の下に就いて、暴政を行っている夏の桀王を討ち、民を苦しみから救うべきことを説いたのである」。
【読み下し文】
湯(とう)、人(ひと)をして弊(へい)(※)を以(もっ)て之(これ)を聘(へい)せしむ。囂囂然(ごうごうぜん)(※)として曰(いわ)く、我(われ)何(なん)ぞ湯(とう)の聘幤(へいへい)を以(もっ)て為(な)さんや。我(われ)豈(あに)畎畝(けんぽ)の中(なか)に処(お)り、是(これ)に由(よ)りて以(もっ)て堯舜(ぎょうしゅん)の道(みち)(※)を楽(たの)しむに若(し)かんや、と。湯(とう)三(み)たび往(ゆ)きて之(これ)を聘(へい)せしむ。既(すで)にして幡然(はんぜん)(※)として改(あらた)めて曰(いわ)く、我(われ)畎畝(けんぽ)の中(なか)に処(お)り、是(これ)に由(よ)りて以(もっ)て堯舜(ぎょうしゅん)の道(みち)を楽(たの)しまんよりは、吾(わ)れ豈(あに)是(こ)の君(きみ)をして堯舜(ぎょうしゅん)の君(きみ)たらしむるに若(し)かんや。吾(わ)れ豈(あに)是(こ)の民(たみ)をして堯舜(ぎょうしゅん)の民(たみ)たらしむるに若(し)かんや。吾(わ)れ豈(あに)吾(わ)が身(み)に於(お)いて親(した)しく之(これ)を見(み)るに若(し)かんや。天(てん)の此(こ)の民(たみ)を生(しょう)ずるや、先知(せんち)(※)をして後知(こうち)を覚(さと)さしめ、先覚(せんかく)(※)をして後(こう)覚(かく)を覚(さと)さしむ。予(われ)は天(てん)民(みん)の先覚者(せんかくしゃ)なり。予(われ)将(まさ)に斯(こ)の道(みち)を以(もっ)て斯(こ)の民(たみ)を覚(さと)さんとす。予(われ)之(これ)を覚(さと)すに非(あら)ずして誰(たれ)ぞや、と。天下(てんか)の民(たみ)、匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)、堯舜(ぎょうしゅん)の沢(たく)を被(こうむ)らざる者(もの)有(あ)るを思(おも)うこと、己(おのれ)推(お)して之(これ)を溝中(こうちゅう)(※)に内(い)るるが若(ごと)し。其(そ)の自(みずか)ら任(にん)ずるに天下(てんか)の重(おも)きを以(もっ)てすること此(かく)の如(ごと)し。故(ゆえ)に湯(とう)に就(つ)きて之(これ)を説(と)くに、夏(か)を伐(う)ち民(たみ)を救(すく)うことを以(もっ)てす。
(※)弊……礼物、贈り物。
(※)囂囂然……無欲泰然。無欲閑静。
(※)堯舜の道……仁義の道。
(※)幡然……翻然。初志をひるがえして。
(※)先知……先に事実を知った者。先知者の「知」と先覚者の「覚」の違いをそれぞれ「事実」と「道理」とするのが通説。ほかにも「知」は浅くて「覚」は深いとするなどの説がある。
(※)先覚……先に道理を知った者。「先覚」とか「先覚者」とか、今でもよく使われる言葉の語源。意味は、「世人に先んじて必要を悟り、いち速くそのことを実行したり研究したりする人」とされる(『新明解国語辞典』三省堂)。なお、本章全体は伊尹について述べていて(先覚者ということもそうだが)、孟子自身のことと重ねて言っているように思える。
(※)溝中……溝のなか。苦しみ。
【原文】
湯、使人以幤聘之、囂囂然曰、我何以湯之聘幤爲哉、我豈若處畎畝之中、由是以樂堯舜之衜哉、湯三使徃聘之、既而幡然改曰、與我處畎畝之中、由是以樂堯舜之衜、吾豈若使是君爲堯舜之君哉、吾豈若使是民爲堯舜之民哉、吾豈若於吾身親見之哉、天之生此民也、使先知覺後知、使先覺覺後覺也、予天民之先覺者也、予將以斯衜覺斯民也、非予覺之而誰也、思天下之民、匹夫匹婦、有不被堯舜之澤者、若己推而內之溝中、其自任以天下之重如此、故就湯而說之、以伐夏救民。
7‐3 自分の行いは身を潔くすることに帰着する
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「私は、これまで一度も、自分をまげるような人間が、他人を正しくするということを聞いたことがない。ましてや、自分を辱めておきながら天下を正していった人間などありはしない。聖人の行いはさまざまであろう。世を避けて隠遁(いんとん)することもあれば、仕官して君に近づくこともあり、官を辞して国を去ることもあり、国にとどまって努力することもある。こうしてさまざまな行いをするが結局のところ自分の行いというものは、身を潔くすることに帰着するのである。私は、伊尹が堯舜の道(仁義の道)をもって湯王に仕官を求めたのは聞いている。だが、料理人になって湯王に取り入ったことなど聞いたことがない。『書経』の伊訓篇にも、『天誅を加えるため攻伐を行ったのは桀王の宮殿からである。私の(伊尹の)湯王を助ける仕事は、都の亳の地でこの謀りごとに参画したことが初めてであった』とあるのだ」。
【読み下し文】
吾(わ)れ未(いま)だ己(おのれ)を枉(ま)げて人(ひと)を正(ただ)す者(もの)(※)を聞(き)かざるなり。況(いわ)んや己(おのれ)を辱(はずか)しめて以(もっ)て天下(てんか)を正(ただ)す者(もの)をや。聖人(せいじん)の行(おこな)いは同(おな)じからざるなり。或(ある)いは遠(とお)ざかり或(ある)いは近(ちか)づき、或(ある)いは去(さ)り或(ある)いは去(さ)らず。其(そ)の身(み)を潔(いさぎよ)くするに帰(き)するのみ。吾(わ)れ其(そ)の堯舜(ぎょうしゅん)の道(みち)を以(もっ)て湯(とう)に要(もと)むるを聞(き)く。未(いま)だ割烹(かっぽう)を以(もっ)てするを聞(き)かざるなり。伊訓(いくん)に曰(いわ)く、天誅(てんちゅう)(※)攻(せ)むることを造(な)す(※)は、牧宮(ぼくきゅう)(※)よりす。朕(われ)は亳(はく)より載(はじ)む、と。
(※)己を枉げて人を正す者……滕文公(下)第一章二参照。なお、ここでの言葉は、孟子自身の一つの信条でもあったように解される。
(※)天誅……天の命で誅罰を加えること。なお、この言葉は今も日本語で使われている。意味は「天が(に代わって)罰を加えること。【悪人を殺すことのえんきょく表現】」などとされる(『新明解国語辞典』三省堂)。
(※)攻むることを造す……攻伐を行う。なお、ここの解釈では争いがある。ほかの一つは、「造」は「始」であるとして、初めて攻めると解釈する。もう一つは、「造」は「作」でありとし、「(攻伐を受けるのは)桀王が自らその罪をつくったからなどと解する。
(※)攻むることを造す……攻伐を行う。なお、ここの解釈では争いがある。ほかの一つは、「造」は「始」であるとして、初めて攻めると解釈する。もう一つは、「造」は「作」でありとし、「(攻伐を受けるのは)桀王が自らその罪をつくったからなどと解する。
【原文】
吾未聞枉己而正人者也、況辱己以正天下者乎、聖人之行不同也、或遠或近、或去或不去、歸絜其身而已矣、吾聞其以堯舜之道要湯、未聞以割烹也、伊訓曰、天誅造攻、自牧宮、朕載自亳。
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