第15回
36〜38話
2021.04.09更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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1‐4 民と音楽などの楽しみをともに分かち合えられれば王者に近づいていける
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「先ほどとは反対に、今、王が音楽を演奏するなどして楽しんでおられるとします。そのとき、民たちが王の鐘、太鼓の響き、笛の音を聞いて、皆、にこにこと喜んだ顔をして、お互いに語り合うとします。『我が王は、病気もなくてお元気のようだ。そうでなければ、あんなに音楽を楽しむことはできないよ』と。また、今、ここに王が狩りに出かけたとします。民たちは、王の車馬の音を聞き、美しい鳥の羽根や牛のしっぽで飾った旗ざおを見て、にこにこと喜んだ顔をして、お互いに語り合うでしょう。『我が王は、病気もなくてお元気のようだ。そうでなければ、狩りに出かけるなどできないよ』と。このようになるのは、当たり前のことです。それは、王がいつも民と一緒に楽しみを、わかち合おうとしているからです。今、王が民と楽しみを一緒にしようとするのであれば、天下の王者になることができます」。
【読み下し文】
今(いま)、王(おう)此(ここ)に鼓楽(こがく)せんに、百姓(ひゃくせい)、王(おう)の鍾鼓(しょうこ)の声(こえ)、管籥(かんやく)の音(おと)を聞(き)き、挙(みな)欣欣然(きんきんぜん)として(※)喜色(きしょく)有(あ)り、而(しか)して相(あい)告(つ)げて曰(いわ)く、吾(わ)が王(おう)疾痛(しつぺい)無(な)きに庶幾(ちか)からん(※)か。何(なに)を以(もっ)て能(よ)く鼓楽(こがく)せんや、と。今(いま)、王(おう)此(ここ)に田猟(でんりょう)せんに、百姓(ひゃくせい)、王(おう)の車馬(しゃば)の音(おと)を聞(き)き、羽旄(うぼう)の美(び)を見(み)、挙(みな)欣(きん)欣(きん)然(ぜん)として喜色(きしょく)有(あ)り、而(しか)して相(あい)告(つ)げて曰(いわ)く、吾(わ)が王(おう)疾病(しつぺい)無(な)きに庶幾(ちか)からんか。何(なに)を以(もっ)て能(よ)く田猟(でんりょう)せんや、と。此(こ)れ他(た)無(な)し、民(たみ)と楽(たの)しみを同(おな)じくすればなり。今(いま)、王(おう)百姓(ひゃくせい)と楽(たの)しみを同(おな)じくせば、則(すなわ)ち王(おう)たらん。
(※)欣欣然として……にこにこと喜んだ顔をして。
(※)庶幾からん……おそらく。なお、「庶幾」を「さいわいに」と読む説もある。
【原文】
今、王鼓樂於此、百姓、聞王鍾鼓之聲、管籥之音、擧欣欣然有喜色、而相告曰、吾王庶幾無疾病與、何以能鼓樂也、今王田獵於此、百姓、聞王車馬之音、見羽旄之美、擧欣欣然有喜色、而相告曰、吾王庶幾無疾病與、何以能田獵也、此無他、與民同樂也、今、王與百姓同樂、則王矣、
2‐1 人の評価を知る
【現代語訳】
斉の宣王が問うて言った。「昔、周の文王が所有していた狩り場(鳥獣を飼育していた所)は、七十里四方もあったということである。これは本当のことだろうか」。孟子は答えて言った。「言い伝えでは、そうなっています」。王は言った。「そんなにも広かったのか」。これについて孟子は言った。「当時の民は、それでも小さすぎると思っていたとのことです」。王は言った。「私の狩り場は四十里四方しかないのに、民は広すぎると言うのはなぜだろう」。孟子は答えた。「文王の狩り場は、七十里四方あったけれども、そのなかには、草を刈り取る者も木を斬る者も行くことが自由でしたし、雉(きじ)や兎(うさぎ)を捕まえる狩猟人も行くことができました。つまり、文王はその狩り場を独占することなく、民とともに使ったのです。民が七十里四方を小さすぎると思ったのは、もっともなことではございませんか」。
【読み下し文】
他日(たじつ)、王(おう)に見(まみ)えて曰(いわ)く、王(おう)嘗(かつ)て荘子(そうし)に語(かた)るに楽(がく)を好(この)むを以斉(せい)の宣王(せんおう)問(と)うて曰(いわ)く、文王(ぶんおう)の囿(ゆう)(※)は、方(ほう)七十里(しちじゅうり)。諸(これ)有(あ)りや。孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、伝(でん)に於(お)いて之(これ)有(あ)り。曰(いわ)く、是(かく)の如(ごと)く其(そ)れ大(だい)なるか。曰(いわ)く、民(たみ)猶(な)お以(もっ)て小(しょう)なりと為(な)すなり。曰(いわ)く、寡人(かじん)の囿(ゆう)は、方(ほう)四十里(しじゅうり)。民(たみ)猶(な)お以(もっ)て大(だい)なりと為(な)すは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、文王(ぶんおう)の囿(ゆう)は、方(ほう)七十里(しちじゅうり)。芻(すう)蕘(じょう)の者(もの)(※)も往(ゆ)き、雉(ち)兎(と)の者(もの)(※)も往(ゆ)く。民(たみ)と之(これ)を同(おな)じうす。民(たみ)以(もっ)て小(しょう)なりと為(な)すも、亦(また)宜(むべ)ならずや。
(※)囿……狩り場。古代の王は、田畑を踏み争うことなく、いつも狩りができるように、広い空き地を使って、鳥獣を飼養していたとされる。「囿」を「その」と読む人もいる。
(※)芻蕘の者……(牧草などに使うため)草を刈る者、(薪などを取るため)木を斬る者。
(※)雉兎の者……雉や兎を捕まえる狩猟人。
【原文】
齊宣王問曰、文王之囿、方七十里、有諸、孟子對曰、於傳有之、曰、若是其大乎、曰、民猶以爲小也、曰、寡人之囿、方四十里、民猶以爲大、何也、曰、文王之囿、方七十里、芻蕘者住焉、雉免者往焉、與民同之、民以爲小、不亦宜乎、
2‐2 民の評価はだいたい当たっている
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「私が、初めて斉の国境に来たとき、この国の重大な禁令は何かを確かめた上で、決心して入国しました。私は、そのとき聞いたのですが、『斉では、郊外四方の関所以内に四十里四方の狩り場がある。そこで大鹿や小鹿を殺した者は、人を殺したのと同様の罪になる』ということでした。これでは、まるで四十里四方という大きな落とし穴を国のなかにつくっているようなものです。民が、王の狩り場を大きすぎると思うのも、やはりもっともなことでしょう」。
【読み下し文】
臣(しん)始(はじ)めて境(きょう)に至(いた)り、国(くに)の大禁(たいきん)を問(と)い、然(しか)る後(のち)敢(あえ)て入(い)れり。臣(しん)聞(き)く、郊(こう)関(かん)(※)の内(うち)、囿(ゆう)有(あ)る方(ほう)四十里(しじゅうり)。其(そ)の麋(び)鹿(ろく)を殺(ころ)す者(もの)は、人(ひと)を殺(ころ)すの罪(つみ)の如(ごと)し、と。則(すなわ)ち是(こ)れ方(ほう)四十里(しじゅうり)、阱(せい)(※)を国中(こくちゅう)に為(つく)るなり。民(たみ)以(もっ)て大(だい)なりと為(な)すも、亦宜(またむべ)ならずや。
(※)郊関……郊外四方の関所。
(※)阱……落とし穴。
【原文】
臣始至於境、問國之大禁、然後敢入、臣聞、郊關之内、有囿方四十里、殺其麋鹿者、如殺人之罪、則是方四十里、爲阱於國中、民以爲大、不亦宜乎、
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