第16回
39〜40話
2021.04.12更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐1 仁者は天を楽しみ智者は天を畏れる
【現代語訳】
斉の宣王が問うて言った。「隣国と交わるにおいて何か良いやり方があるだろうか」。孟子が答えて言った。「あります。ただ仁者だけが、自分の国は大国でありながら、近隣の小国に対しても、侮ることなく礼をもって交わることができます。昔、殷(いん)の湯王が葛伯とうまく交わり、周の文王が昆夷とうまく交わったのが良い例です。また、ただ智者のみが自分の国が小国である場合において、礼をつくしてうまく大国と交わることができます。昔、(周の文王の祖父であった)大王は、燻鬻(匈奴(きょうど))とうまく交わり、越王の句践は呉とうまく交わったのが良い例です。こちらが大国でありながら、小国に対しても礼をもってよく交わることができる者は、天を楽しむ者です。反対にこちらが小国でありながらも、大国に礼をつくして、よく交わることができる者は天を畏れる者です。天を楽しむ者は、天下を保つことができ、天を畏れる者は、自分の国を保つことができます。『詩経』にも、『天の威を畏れる者は、それによって初めて良く自分の国を保つことができる』とあります」。
【読み下し文】
斉(せい)の宣王(せんおう)問(と)うて曰(いわ)く、鄰国(りんこく)に交(まじ)わるに道(みち)有(あ)りや。孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、有(あ)り。惟(ただ)仁者(じんしゃ)のみ(※)能(よ)く大(だい)を以(もっ)て小(しょう)に事(つか)うる(※)ことを為(な)す。是(こ)の故(ゆえ)に湯(とう)は葛(かつ)(※)に事(つか)え、文王(ぶんおう)は昆夷(こんい)に事(つか)えたり。惟(ただ)智者(ちしゃ)のみ能(よ)く小(しょう)を以(もっ)て大(だい)に事(つか)うる(※)ことを為(な)す。故(ゆえ)に大(だい)王(おう)は燻鬻(くんいく)(※)に事(つか)え、句践(こうせん)(※)は呉(ご)に事(つか)えたり。大(だい)を以(もっ)て小(しょう)に事(つか)うる者(もの)は、天(てん)を楽(たの)しむ者(もの)なり。小(しょう)を以(もっ)て大(だい)に事(つか)うる者(もの)は、天(てん)を畏(おそ)るる者(もの)なり。天(てん)を楽(たの)しむ者(もの)は天下(てんか)を保(たも)ち、天(てん)を畏(おそ)るる者(もの)は其(そ)の国(くに)を保(たも)つ。詩(し)に云(い)う、天(てん)の威(い)を畏(おそ)れ、時(とき)に于(おい)て之(これ)を保(たも)つ、と。
(※)惟仁者のみ……ただ仁者だけが。「惟仁者のみ」という文章ですぐ思い浮かぶのが『論語』の言葉である。孔子は「惟(た)だ仁者(じんしゃ)のみ、能(よ)く人(ひと)を好(この)み、能(よ)く人(ひと)を悪(にく)む」(里仁第四)という。また、『論語』には仁者と知者について述べている箇所がいくつかあるが、「仁者(じんしゃ)は仁(じん)に安(やす)んじ、知者(ちしゃ)は仁(じん)を利(り)とす」(同上)、「知者(ちしゃ)は惑(まど)わず。仁者(じんしゃ)は憂(うれ)えず」(子罕第九)とあるのが、本項でも参考になる。以上を鑑(かんが)みて、「仁者」は最高に徳が身についている者だし、「智者」はその仁者を目指していて、仁の大切さをわかり、修得しようとしている賢い者であるという一応の定義をしておく。
(※)事うる……交わる。「仕える」とする説もあるが、大国が小国に「仕える」とするには少し無理があるようだ。吉田松陰も心配しているように本項の「事うる」を読んで、外国に仕えるのが仁者、智者であると誤解する人もありうる。したがってここでは、「交わる」と解したほうが良いだろう。
(※)葛……湯王が亳(はく)というところにいたころの隣国。なお、葛については滕文公(下)第五章に詳しい。
(※)小を以て大に事うる……小国が、うまく(礼をつくして)大国と交わる。なお、よく小さい国の朝鮮が中国という大国に近づき、何かと保護してもらうことを「事大主義」と批判するが、本来の「事大」は、ここで孟子が説くように、礼をつくしながらも、智を使い、うまく交わることを言ったものだと思う。
(※)燻鬻……北狄の国の名。なお、この話は梁恵王(下)第十四章と第十五章に詳しく出てくる。
(※)句践……越王句践のこと。なお、格言の「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」で有名。意味は「怨みをはらしたり、目的を成し遂げたりするために、長い間苦心、苦労を重ねること。将来の成功を期して艱難辛苦に耐えること」である(『故事ことわざの辞典』小学館)。
【原文】
齊宣王問曰、交鄰國有道乎、孟子對曰、有、惟仁者爲能以大事小、是故湯事葛、文王事昆夷、惟智者爲能以小事大、故大王事獯鬻、勾踐事吳、以大事小者、樂天者也、以小事大者、畏天者也、樂天者保天下、畏天者保其國、詩云、畏天之威、于時保之、
3‐2 小勇でなく大勇を持つ
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。王は言った。「先生の言葉は、なるほど立派なものであるなあ。ただ、私には一つの病気がある。それは、勇を好むというものだ」。そこで、孟子は言った。「王よ。勇を好まれるのなら、どうか小勇を好まないでください。小勇は、すぐに刀のつかに手をやり相手をにらみつけ、『お前なんかが私に敵うものか』と言うようなものです。これは匹夫の勇であって、一人の敵に対するものでしかありません。王よ。こんな小勇ではなく、大勇を好んでいただきたいものです。『詩経』に次のようにあります。『文王は大変怒り、ここにその軍隊を整え、莒を伐とうした国(密国)の軍勢を食い止めた。こうして周の幸いをあつくし、そして天下の期待にも応えた』とあります。これが文王の大勇です。文王は一たび怒るとき、天下の民を安んじたのです」。
【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、大(だい)なるかな言(げん)や(※)。寡人(かじん)疾(やまい)有(あ)り、寡人(かじん)勇(ゆう)を好(この)む。対(こた)えて曰(いわ)く、王(おう)、請(こ)う小勇(しょうゆう)(※)を好(この)むこと無(な)かれ。夫(そ)れ剣(けん)を撫(ぶ)し疾視(しつし)して(※)曰(いわ)く、彼(かれ)悪(いずく)んぞ敢(あえ)て我(われ)に当(あ)たらんや。此(こ)れ匹夫(ひっぷ)(※)の勇(ゆう)、一人(いちにん)に敵(てき)する者(もの)なり、王(おう)、請(こ)う之(これ)を大(だい)にせよ。詩(し)に云(い)う、王赫(おうかく)として(※)斯(ここ)に怒(いか)り、爰(ここ)に其(そ)の旅(りょ)(※)を整(ととの)へ、以(もっ)て莒(きょ)に徂(ゆ)くを遏(とど)め、以(もっ)て周(しゅう)の祜(さいわい)(※)を篤(あつ)くし、以(もっ)て天下(てんか)に対(こた)う、と。此(こ)れ文王(ぶんおう)の勇(ゆう)なり。文王(ぶんおう)一(ひと)たび怒(いか)りて、而(しか)して天下(てんか)の民(たみ)を安(やす)んぜり。
(※)大なるかな言や……立派な言葉であるなあ。「大なるかな」は、『論語』でも何ヵ所か出てくるが、「偉大だなあ」とか「重大だなあ」とかの意味である。ここでは、宣王が孟子の言葉をとらえて、そんなの理想論ではないかのニュアンスを込めているようだ。だから「なるほど立派なものであるなあ」と訳してみた。
(※)小勇……くだらないとされる勇気。大義のない勇気。匹夫の勇。大勇と対する意味。なお、新渡戸稲造の『武士道』でも、「犬死」「匹夫の勇」は武士道における勇ではないとしている。
(※)疾視して……目をいからし、にらみつけて。日本のいわゆるチンピラ言葉で「ガンをつける」というのがあるが、それに近い。
(※)匹夫……つまらない男。小勇の人を指す。
(※)赫として……大変怒り。とても怒ることの形容。
(※)旅……ここでは軍隊を意味する。『国語大辞典』(小学館)によると、「中国の周の時代に兵士五〇〇人を一団とした軍隊。五旅を一師、五師を一軍とした。転じて軍隊」とある。なお、日本語の「旅団」も古代中国の「旅」から来ている。日本では一般に「陸軍の部隊編制で、師団と連隊の中間のもの。二個ないし四個旅団で師団を構成する」とされている。
(※)祜……幸い。福祉。
【原文】
王曰、大哉言矣、寡人有疾、寡人好勇、對曰、王、請無好小勇、夫撫劍疾視曰、彼惡敢當我哉、此匹夫之勇、敵一人者也、王、請大之、詩云、王赫斯怒、爰整其旅、以遏徂莒、以篤周祜、以對于天下、此文王之勇也、文王一怒、而安天下之民、
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