第170回
420〜422話
2021.11.29更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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28‐1 国家の宝は①土地、②人民、③政事(主権)である
【現代語訳】
孟子は言った。「諸侯の宝には三つのものがある。①土地、②人民、③政事である。しかし、この宝を理解することなく、珠玉を宝と思うような者には、必ず災いが身に及ぶことになる(滅亡することになる)」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、諸侯(しょこう)の宝(たから)は三(さん)(※)あり。土地(とち)・人民(じんみん)・政事(せいじ)なり。珠玉(しゅぎょく)を宝(たから)とする者(もの)は、殃(わざわい)必(かなら)ず身(み)に及(およ)ぶ。
(※)三……三つある。近代国家の三条件として挙げられている①領土、②国民、③主権と似ているところがある。吉田松陰の名言の一つに、「地(ち)を離(はな)れて人(ひと)なく、人(ひと)を離(はな)れて事(こと)なし。人事(じんじ)を論(ろん)ずる者(もの)は、地理(ちり)より始(はじ)む」というのがあるが、これはすでに孟子が本章で言っていたことと気づいたと『講孟箚記』で述べている。少し意味が違うような気もするが、これは松陰一流の謙そん、そして孟子愛からだと思う。
【原文】
孟子曰、諸侯之寶三、土地・人民・政事、寶珠玉者、殃必及身。
29‐1 ちょっとした才能におぼれ、仁義を学び身につけないと破滅することになる
【現代語訳】
盆成括が斉に仕えることになった。孟子は言った。「殺されることになろうな、盆成括は」。その後、実際に盆成括は殺されることになった。そこで門人が問うた。「先生はどうして彼が、殺されることになることを予測したのですか」。孟子は答えた。「彼という人物は、ちょっと才能があった。しかし、君子の大道、すなわち仁義の道はまだ学んで身につけていなかった。だから、そのちょっとだけの才能に頼り、それを振りかざし無理をすることになる。となれば身を滅ぼすに十分となろう」。
【読み下し文】
盆成括(ぼんせいかつ)(※)、斉(せい)に仕(つか)う。孟子(もうし)曰(いわ)く、死(し)なん、盆成括(ぼんせいかつ)は。盆成括(ぼんせいかつ)殺(ころ)さる。門人(もんじん)問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)は何(なに)を以(もっ)て其(そ)の将(まさ)に殺(ころ)されんとするを知(し)るか。曰(いわ)く、其(そ)の人(ひと)と為(な)りや、少(すこ)しく才(さい)有(あ)り。未(いま)だ君子(くんし)の大道(たいどう)(※)を聞(き)かざるなり。則(すなわ)ち以(もっ)て其(そ)の軀(み)を殺(ころ)すに足(た)るのみ。
(※)盆成括…盆成が姓で括が名。孟子に学んだが、まだ学問修養不十分のまま去って後に斉に仕えたとされる。
(※)君子の大道……ここでは仁義の大道を指している。
【原文】
盆成括、仕於齊、孟子曰、死矣、盆成括、盆成括見殺、門人問曰、夫子何以知其將見殺、曰、其爲人也、小有才、未聞君子之大衜也、則足以殺其軀而已矣。
30‐1 去る者は追わず来る者は拒まず
【現代語訳】
孟子が滕の国に行って、上宮(離宮)に泊まった。たまたま、その宿舎の窓の上につくりかけの靴が置いてあった。その靴が紛失して館の人が探したが、見つからなかった。ある人がこのことを孟子に聞いた。「こんなことをするのですか。先生の従者ともあろう人が靴を隠すなんて」。孟子は言った。「あなたは、私の従者が靴を盗みにやってきたとでも思っているのですか」。孟子は続けて言った。「いや。そうではないでしょう。そもそも私が教科を設けて弟子を取る場合、去る者は追わず来る者は拒まず、という考えです。いやしくも、学ぼうと思ってくる人がいたら受け入れています(そうなると過去など問いませんから、まだ学びが進まずにいて、あるいは、靴を隠すような出来心もある人もいるかもしれません。私はそうではないと思っていますが)」。
【読み下し文】
孟子(もうし)滕(とう)に之(ゆ)き、上宮(じょうきゅう)(※)に館(かん)す。牖上(ゆうじょう)に業屨(ぎょうふく)(※)有(あ)り。館人(かんじん)之(これ)を求(もと)むれども、得(え)ず。或(ある)ひと之(これ)を問(と)うて曰(いわ)く、是(かく)の若(ごと)きか、従者(じゅうしゃ)の廋(かく)すや。曰(いわ)く、子(し)は是(こ)れ屨(くつ)を窃(ぬす)むが為(ため)に来(き)たれりと以(おも)えるか。曰(いわ)く、殆(ほとん)ど非(ひ)なり。夫(そ)れ予(われ)の科(か)を設(もう)くるや(※)、往(ゆ)く者(もの)は追(お)わず、来(く)る者(もの)は拒(こば)まず。苟(いやしく)も是(こ)の心(こころ)を以(もっ)て至(いた)らば、斯(ここ)に之(これ)を受(う)くるのみ。
(※)上宮……離宮。ほかにも上等の宿舎や上宮という名の宿舎などの説がある。
(※)業屨……つくりかけの靴。
(※)夫れ予の科を設くるや……ここでは、私は孟子の言葉として解釈した。しかし、原文の「夫予」を「夫子」とし、前の「日、殆非也」から終わりまで館人の言葉として見る説も根強い。吉田松陰もそうであり、孟子を「君子(くんし)長者(ちょうじゃ)の風(ふう)なし」と批判したうえで、館人をほめちぎっている。その松陰の言葉を現代訳してみると、館人は、「先生の従者といっても、すべての人が顔回(がんかい)(顔淵)・曾参(そうしん)(曾子)・冉求(ぜんきゅう)・閔損(びんそん)のような人ではないことは知っています。そのなかにはまだ入ったばかりの未熟な少年もいることでしょう。ひょっとしたら、そのような人が靴を隠したのかもしれません。しかし、先生は『往く者は追わず、来るものは拒まず』という方針の下で、道を求めたい心がある者を入門させていらっしゃいます。だから、もしそのなかのまだ未熟な人がひょんなことから靴を隠してしまったとしても、何の問題があるというのでしょうか。かえって先生の度量の広大さがわかるというものです」としている。そして次のように高らかに自らの主義を宣言する。「今(いま)諸君(しょくん)と松下村(まつしたむら)の風化(ふうか)起(おこ)さんと欲(ほっ)す。宜(よろ)しく此(こ)の語(ご)を令(れい)甲(こう)となすべし。遺忘(いぼう)することなかれ。『往(ゆ)く者(もの)は追(お)わず』、然(しか)れども其(そ)の前日(ぜんじつ)の善美(ぜんび)を忘(わす)るることなかれ。『来(く)る者(もの)は拒(こば)まず』、また其(そ)の前日(ぜんじつ)の過悪(かあく)を記(き)することなかれ」(『講孟箚記』)。これが後の松下村塾の方針となっているのはいうまでもない(まだ未熟だった伊藤博文や山県有朋でも入塾させているのだから)。なお、「令甲」とは、法令の第一条とか規則、方針の第一とかの意味である。
【原文】
孟子之滕、館於上宮、有業屨於牖上、館人求之、弗得、或問之曰、若是乎、從者之廋也、曰、子以是爲竊屨來與、曰、殆非也、夫予之設科也、徃者不追、來者不拒、苟以是心至、斯受之而已矣。
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