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第87回

208〜210話

2021.07.27更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐1 自分の相手の見方次第で相手も変わる


【現代語訳】
孟子が斉の宣王に告げて言った。「君が臣をみること自分の手足のようにいたわるようであると、臣は君を重んじ見ること自分の腹や心(胸)のように大切に思うものです。しかし、君が臣を見ること犬や馬のようであると(こき使うだけのものと考えると)、臣が君をみること自分と無関係のどうでもよい人のようでありましょう。また、君が臣を見ること土やあくた(ごみ)同然であるようならば、臣が君を見ること仇やかたきのようになるでしょう」。

【読み下し文】
孟子(もうし)斉(せい)の宣王(せんおう)に告(つ)げて曰(いわ)く、君(きみ)の臣(しん)を視(み)ること手足(てあし)の如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち臣(しん)の君(きみ)を視(み)ること腹心(ふくしん)の如(ごと)し。君(きみ)の臣(しん)を視(み)ること犬馬(けんば)の如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち臣(しん)の君(きみ)を視(み)ること国人(こくじん)(※)の如(ごと)し。君(きみ)の臣(しん)を視(み)ること土(ど)芥(かい)の如(ごと)くなれば、則(すなわ)ち臣(しん)の君(きみ)を視(み)ること寇讐(こうしゅう)(※)の如(ごと)し。

(※)国人……自分と無関係のどうでもいい人。路傍の人。
(※)寇讎……仇やかたき。なお、本章の孟子の言葉に対しては、後世批判も多い。特に主従関係を重んじ、忠君泰公を大事とした封建体制の下ではそうだった。日本でも忠君の思想は強調されたためこの部分は非難が強かった。本居宣長などは「孟軻(もうか)が大悪(たいあく)を悟(さと)るべし」と酷評している。吉田松陰もこれは斉の宣王に対しての君主としてのあり方を教えているもので、臣たる者がとるべき道を論じたものではなく、臣道においては「君々(きみぎみ)たらずと云(い)えども、臣(しん)以(もっ)て臣(しん)たらざるべからず」と言う(『講孟箚記』)。しかし、梁恵王(下)第八章で見たように「仁(じん)を賊(そこな)う者之(ものこれ)を賊(ぞく)と謂(い)い、義(ぎ)を賊(そこなう)う者(もの)之(これ)を残(ざん)と謂(い)う」、それは君ではなく、「一夫」にすぎないとする孟子からすると当然の結論ではないかと思う。いくら忠君を重んじた封建の時代でも、仁義のない君には、臣も尽くさなかったはずだ。いくら中国のように革命論、放伐論が定着しなかった日本でも(特に天皇に対しては君臣、君民一体であるとした)、藩主、君主などの主人に対しては諫言を主とするが、あまり聞かれないと政治は安定するものではなかった。究極の事例は幕末の倒幕運動であろう。戦国時代も君は臣を見ること我が子のように大事でないと一致団結した強い国とはならなかった(岡谷繁実『名将言行録』参照)。『孫子』も次のように言っている。将軍は「卒(そつ)を視(み)ること嬰児(えいじ)の如(ごと)し、故(ゆえ)にこれと深谿(しんけい)に赴(おもむ)くべし。卒(そつ)を視(み)ること愛子(あいし)の如(ごと)し、故(ゆえ)にこれと倶(とも)に死(し)すべし」(地形篇)。そもそも勝てる軍をつくるには、君主が(国が)「君民一体」となれる道がある政治をしているかどうかが一番大切であるとしている(計篇)。以上から考えると、孟子のここでの論は、中国的背景はあるとしても、世界共通の論であり、とても納得できることを述べていると解する。

【原文】
孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心、君之視臣如犬馬、則臣視君如國人、君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。

 

3‐2 君の礼遇が厚いと臣もそれに応えるようになる


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。斉の宣王が尋ねて言った。「礼によると、もと仕えていた君が亡くなった場合に、今は君臣の関係がなくても喪に服するとあるが、どのような状態にあればこの喪に服すことになるのだろうか」。孟子は答えた。「(ここに一人の臣がいたとします)その臣の諫言はよく聞き入れられ、そして用いられたことで、そのことによって恩恵が民にまで及びました。ところが、ある事情で、その臣は国を出なくてはならなくなったとします。この場合に、君は人をつけてその臣を国境まで送り、またその行き先でも仕官などがうまくいくように便宜をはかってやります。そしてその臣が国を去って、三年も帰らなくなり、そうなって初めて田や家を没収するのです。このような君のやり方を三有礼と言います。このような君の待遇があって初めて、臣もその恩義を感じて喪に服すようになるのです」。

【読み下し文】
王(おう)曰(いわ)く、礼(れい)に旧君(きゅうくん)の為(ため)に服(ふく)する有(あ)り、と。何如(いか)なれば斯(すなわ)ち為(ため)に服(ふく)すべき。曰(いわ)く、諫(いさめ)行(おこな)われ言(げん)聴(き)かれ、膏(こう)沢(たく)(※)民(たみ)に下(くだ)る。故(ゆえ)有(あ)りて去(さ)れば、則(すなわ)ち君(きみ)、人(ひと)をして之(これ)を導(みちび)いて疆(さかい)を出(い)でしめ、又(また)其(そ)の往(ゆ)く所(ところ)に先(さき)んず。去(さ)って三年(さんねん)反(かえ)らず、然(しか)る後(のち)にその田里(でんり)(※)を収(おさ)む。此(これ)を之(これ)三有礼(さんゆうれい)と謂(い)う。此(かく)の如(ごと)くなれば則(すなわ)ち之(これ)が為(ため)に服(ふく)す。

(※)膏沢……「膏」は油、「沢」は水。油と水はものを潤すことから「恩恵」の意となる。
(※)田里……田と家。

【原文】
王曰、禮爲舊君有服、何如斯可爲服矣、曰、諫行言聽、膏澤下於民、有故而去、則君使人導之出疆、又先於其所往、去三年不反、然後收其田里、此之謂三有禮焉、如此則爲之服矣、

 

3‐3 仇やかたきと思われる君主となってはいけない


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「ところが今の時代は、臣となり、いくら君を諫めても、それは行われず、また良い進言でも聞き入れられることはありません。そしてその恩恵も民には及びません。何か事情があって国を出ていくことになったとき、君は、臣が国境を出る前に捕らえてしまおうとします。仮に国を出られたとしても、行く先で困窮させるように邪魔をし、国を去る日にすぐに田や家を没収してしまいます。こういうやり方を仇やかたきの行いといいます。仇やかたきの君に対しては、喪に服するなどありえません」。

【読み下し文】
今(いま)や臣(しん)と為(な)りて、諫(いさ)めは則(すなわ)ち行(おこな)われず、言(げん)は則(すなわ)ち聴(き)かれず。膏沢(こうたく)は民(たみ)に下(くだ)らず。故(ゆえ)有(あ)りて去(さ)れば、則(すなわ)ち君(きみ)之(これ)を搏(はく)執(しつ)(※)し、又(また)之(これ)を其(そ)の往(ゆ)く所(ところ)に極(きわ)め(※)、去(さ)るの日(ひ)遂(つい)に其(そ)の田里(でんり)を収(おさ)む。此(これ)を之(これ)寇讎(こうしゅう)と謂(い)う。寇讎(こうしゅう)には何(なん)の服(ふく)か之(これ)有(あ)らん。

(※)搏執……臣を捕らえること。
(※)極め……困窮させるように邪魔をすること。

【原文】
今也爲臣、諫則不行、言則不聽、膏澤不下於民、有故而去、則君搏執之、又極之於其所往、去之日遂收其田里、此之謂寇讎、寇讎何服之有。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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