第94回
229〜230話
2021.08.05更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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22‐1 孔子に私淑する
【現代語訳】
孟子は言った。「徳の高い君子でも、普通の人間でも、その遺沢は、五世、すなわち百五十年も経てば消えてしまうものだ。私は孔子より遅く生まれたので、直接の弟子とはなれなかった。しかし、今なお孔子の遺沢は残っており、それを伝える人に学んで、密かに自分の身を修め善くすることができるのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、君子(くんし)の沢(たく)(※)は、五世(ごせい)(※)にして斬(た)え(※)、小人(しょうじん)の沢(たく)も、五世(ごせい)にして斬(た)ゆ。予(われ)未(いま)だ孔(こう)子(し)の徒(と)たるを得(え)ざるなり。予(われ)私(ひそ)かに諸(これ)を人(ひと)に淑(よ)くするなり(※)。
(※)沢……遺沢、余沢。
(※)五世……一世(一代)は、おおよそ三十年とされるので約百五十年ということになる。
(※)斬える……消えてしまう。絶える。
(※)予私かに諸を人に淑くするなり……孔子の遺沢を伝える人に学んで、密かに自分の身を修め善くすることができるのである。前にも述べたように、孟子は孔子の高弟の曾子に学んだ孔子の孫の子思に学んだ人に師事し、学んだとされている。時期的には孔子の死後約百年余後といわれている。その意味で、本章の説明がよく理解できるところである。なお、この文章が今日も使われている「私淑」という言葉の語源となっている。「私淑」の意味は通常、「尊敬する人に直接には教えが受けられないが、その人を模範として慕い、学ぶこと」(『岩波国語辞典』岩波書店)とされている。
【原文】
孟子曰、君子之澤、五世而斬、小人之澤、五世而斬、予未得爲孔子徒也、予私淑諸人也。
23‐1 大義の勇と匹夫の勇
【現代語訳】
孟子は言った。「取っても、取らなくても良い場合には、取らないほうが良い。なぜなら取ると廉潔であるという徳を傷つけてしまうからである。与えても良いし、与えなくても良いときには、与えないほうが良い。なぜなら与えるとかえって恵という徳を傷つけてしまうからである。死んでも良く、死ななくても良いというときは、死なないほうが良い。なぜなら死ぬとかえって勇の徳を傷つけることになるからである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、以(もっ)て取(と)るべく、以(もっ)て取(と)る無(な)かるべし。取(と)れば廉(れん)(※)を傷(きず)つく。以(もっ)て与(あた)うべく、以(もっ)て与(あた)うる無(な)かるべし。与(あた)うれば恵(けい)(※)を傷(きず)つく。以(もっ)て死(し)すべく、以(もっ)て死(し)する無(な)かるべし。死(し)すれば勇(ゆう)を傷(きず)つく(※)。
(※)廉……清廉、潔白の意。
(※)恵……人に恵む心のこと。恩恵。
(※)死すれば勇を傷つく……死ぬとかえって勇の徳を傷つけることになる。新渡戸稲造の『武士道』は徳川光圀(水戸黄門)の次の言葉を紹介している。「戦場に飛び込み、死ぬのは簡単であって、身分の低い者でも、誰でもできることである。生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬのが真の勇なのである」。そして次のようにも言う。「いやしくも武士の若者において『大義の勇』と『匹夫の勇』という言葉を聞かなかった者などいないはずである」(以上、野中訳)一方、『葉隠』の次の言葉は有名である。「武士道(ぶしどう)と云(い)うは、死(し)ぬ事(こと)と見(み)付(つ)けたり。二(ふた)つ二(ふた)つの場(ば)にて、早(はや)く死(しぬ)方(ほう)に片(かた)付(づく)ばかり也(なり)。別(べつ)に子細(しさい)なし。胸(むね)すわって進(すす)む也(なり)。図(ず)に当(あた)らぬは、犬死(いぬじに)などという事(こと)は、上方風(かみがたふう)の打上(うちあがり)たる武道(ぶどう)なるべし」。『葉隠』は孟子と正反対の立場である。『葉隠』の言い分は、人間は生きたがるゆえ、生きるべきか死ぬべきかと迷う場合、弱い武士になり、かえって武士の自由かっ達な強さ、魅力を失ってしまうというものである。これが代表的な日本の武士道であったろう。徳川光圀は殿様であり、かつ『論語』などを愛した学問の素養がかなりあった人である(当然、『孟子』も学んでいたはずである)。
【原文】
孟子曰、可以取、可以無取、取傷廉、可以與、可以無與、與傷惠、可以死、可以無死、死傷勇。
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