第96回
233〜235話
2021.08.10更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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25‐1 生まれつきの美人才人より、生まれてからの磨きが大切である
【現代語訳】
孟子は言った。「絶世の美人と言われた西施(せいし)でも、不潔なものをかぶっていたら、人は皆鼻をつまんでそばを通りすぎるだろう。(逆に)どんなに醜い人であっても、斎戒沐浴して心身を清めたならば、上帝(天の神さま)もその人の祀(まつ)りを受け入れてくださるだろう」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、西(子(せいし)(※)も不潔(ふけつ)を蒙(こうむ)らば、則(すなわ)ち人(ひと)皆(みな)鼻(はな)を掩(おお)いて之(これ)を過(す)ぎん。悪人(あくにん)有(あ)りと雖(いえど)も、斎戒(さいかい)沐浴(もくよく)すれば、則(すなわ)ち以(もっ)て上帝(じょうてい)を祀(まつ)るべし。
(※)西子……西施のこと。呉王夫差(ふさ)が寵愛した絶世の美女とされる。「西施(せいし)の顰(ひそ)みに倣(なら)う」ということわざがある。意味は「美人の西施が病の苦しみに胸をかかえて眉をひそめた姿が極めて美しかったのを見て、近隣の醜女がその真似をして自分も眉をひそめたところ、かえって気味悪がられたという『荘子、天運』にみえる寓話から、物事の本質をとらえず、うわべだけむやみに人の真似をして世間の物笑いになることのたとえ。また、人にならって物事をする場合に謙遜していう」とされる(『故事ことわざ辞典』小学館)。福沢諭吉の『学問のすゝめ』(第十五編)でもこの話が使われている。文明開化の風潮が(西洋文化が何でも良いと真似するのは)、この「西施の顰みに倣う」と同じようになってはいけないと、例のごとく西施の話を含め面白いたとえ話をいくつも挙げて説いている。
【原文】
孟子曰、西子蒙不絜、則人皆掩鼻而過之、雖有惡人、齋戒沐浴、則可以祀上帝。
26‐1 過去の経験、事実を正しく素直に見る
【現代語訳】
孟子は言った。「天下における人の本性がどういうものかを論じるためには、過去の経験的事実だけを基礎にしなければならない(私の性善説もこうして得られたものだ)。その過去の経験的事実は、無理のない自然のありのままを根本的なものにすべきである。智の嫌がられるところは、詮索しすぎる(自然のありのままを無視する)ところである。もし智者が、禹が水をうまく通したように物を考えるとするならば、智は嫌がられたりはしない。禹が水をうまく通したのは、無理のない自然の勢いに従ったのであって、もし智者もそのように自然なやり方を用いたならば、その智の徳も大きなものとなる。天のように高いところも、星のように遠い所も、過去の経験的事実をきちんと調べて計算し求めれば、千年後の冬至の日も、坐ったままで知ることができるのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、天下(てんか)の性(せい)を言(い)う(※)や、則(すなわ)ち故(こ)(※)のみ。故(こ)なる者(もの)は、利(り)(※)を以(もっ)て本(もと)と為(な)す。智(ち)に悪(にく)む所(ところ)の者(もの)は、其(そ)の鑿(さく)する(※)が為(ため)なり。如(も)し智者(ちしゃ)にして禹(う)の水(みず)を行(や)る(※)が若(ごと)くならば、則(すなわ)ち智(ち)に悪(にく)むこと無(な)し。禹(う)の水(みず)を行(や)るや、其(そ)の事(こと)無(な)き所(ところ)に行(や)る。如(も)し智者(ちしゃ)も亦(また)其(そ)の事(こと)無(な)き所(ところ)に行(や)らば、則(すなわ)ち智(ち)も亦(また)大(だい)なり。天(てん)の高(たか)きや、星辰(せいしん)の遠(とお)きや、苟(いやしく)も其(そ)の故(こ)を求(もと)むれば、千歳(せんざい)の日(にっ)至(し)(※)も、坐(ざ)して致(いた)すべきなり。
(※)性を言う……人の本性がどういうものかを言う。人の本性を論じる。
(※)故……過去の経験的事実。吉田松陰などはこれを「あと」と読む。なお、これを『淮南子(えなんじ)』の「智故」を参考にして「智計、推理」と解する説もある。そうすると「人の本性を言うには、智的な推理だけを基礎にしなければならない」などと訳する。
(※)利……自然のありのまま。なお、これに対し、「利」は「智」であると解する説もある。
(※)鑿する……詮索する。
(※)禹の水を行る……禹がうまく水を通した。禹が堯・舜の下、水を担当し、うまく通した話はすでに滕文公(上)第四章五に詳しく出ている。
(※)千歳の日至……千年後の冬至。なお、千年前の冬至と見る説もある。当時は冬至をもって暦の初めとしたので、暦のことを冬至で代表させた。
【原文】
孟子曰、天下之言性也、則故而已矣、故者以利爲本、所惡於智者、爲其鑿也、如智者若禹之行水也、則無惡於智矣、禹之行水也、行其所無事也、如智者亦行其所無事、則智亦大矣、天之高也、星辰之遠也、苟求其故、千歲之日至、可坐而致也。
27‐1 礼はおべっかに優先する(孟子の意地)
【現代語訳】
(斉の大夫である)公行子の長男の喪儀が行われた。そこに右師の王驩が弔問に来た。王驩が門に入ると、すぐに進んで行って王驩と言葉を交わす者がいた。そして、王驩が席に着くと、そこに寄ってきて王驩のご機嫌を伺う者がいた。ところが孟子は王驩に言葉をかけなかった。王驩はこのことが面白くなくて言った。「諸君子は皆、私に言葉をかけるのに、孟子だけ一人私に挨拶をしない。これは私を軽んじていると思われる」。孟子はこれを聞いて言った。「礼によると、朝廷では他人の席を通り過ぎて行って話をしてはならず、また階段を隔てて挨拶してはならないとされる。この喪は、朝廷の礼にならうべきで、私はその礼に従いたいのだ。それなのに子敖(しごう)(王驩)が失礼などと言うのは、おかしなことである」。
【読み下し文】
公行子(こうこうし)、子(こ)の喪(も)有(あ)り。右師(ゆうし)(※)往(ゆ)きて弔(ちょう)す。門(もん)に入(い)るや、進(すす)みて右師(ゆうし)と言(い)う者(もの)有(あ)り。右師(ゆうし)の位(くらい)(※)に就(つ)きて、右師(ゆうし)と言(い)う者(もの)有(あ)り。孟子(もうし)右(ゆう)師(し)と言(い)わず。右師(ゆうし)悦(よろこ)ばずして曰(いわ)く、諸君子(しょくんし)皆(みな)驩(かん)と言(い)うに、孟子(もうし)独(ひと)り驩(かん)と言(い)わず。是(こ)れ驩(かん)を簡(かん)(※)にするなり。孟子(もうし)之(これ)を聞(き)きて曰(いわ)く、礼(れい)に、朝廷(ちょうてい)には位(くらい)を歴(へ)て(※)相(あい)与(とも)に言(い)わず、階(かい)を踰(こ)えて相揖(あいゆう)(※)せず、と。我(われ)礼(れい)を行(おこな)わんと欲(ほっ)するに、子敖(しごう)は我(われ)を以(もっ)て簡(かん)なりと為(な)す。亦(また)異(い)ならずや。
(※)右師……右師は官名。王驩はそのとき右師であった。王驩については、すでに公孫丑(下)第六章、離婁(上)第二十四章、二十五章に出ている。孟子がとても嫌っていた人物のようだ。本章でも、孟子の王驩に対する意地みたいなものを感じる。
(※)位……席。
(※)簡……簡略、軽んじるの意。
(※)位を歴て……ほかの席を通り過ぎて。
(※)相揖……お互いに挨拶する。胸のところに手を組んでお互いに挨拶すること。
【原文】
公行子、有子之喪、右師徃弔、入門、有進而與右師言者、有就右師之位、而與右師言者、孟子不與右師言、右師不悅曰、諸君子皆與驩言、孟子獨不與驩言、是蕑驩也、孟子聞之曰、禮、朝廷不歷位而相與言、不踰階而相揖也、我欲行禮、子敖以我爲蕑、不亦異乎。
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