第98回
239〜240話
2021.08.12更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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30‐1 自分の正しい評価基準を持つ
【現代語訳】
(孟子の弟子の)公都子が問うた。「(斉の)匡章については、国中の人が皆、彼を不孝者だと言っています。それなのに先生は、彼と交遊し、そのうえ、敬意を払っておられます。あえてお尋ねしますが、いったいどうしてそうなされるのですか」。孟子は答えた。「世でいわゆる不孝と言われているものには五つのものがある。第一は、自分の手足を動かすのを怠け、父母を養うことを考えないというもの。第二は、かけ事をしたり、酒を飲んでばかりいて、父母を養うことを考えないというもの。第三は、お金もうけばかりを考え、そしてお金を貯めて、妻子だけは手厚くするが、父母を養うことを考えないというもの。第四は、自分の耳目の欲ばかりをほしいままにして、そのため父母にまで恥をかかせてしまうというもの。第五に、むやみに勇を好み、人と喧嘩したり、暴れたりして父母の身まで危害が及ぶようにするというものである。では聞くが、匡章には、この五つのなかの一つでもあてはまるものがあるのだろうか」。
【読み下し文】
公都子(こうとし)曰(いわ)く、匡章(きょうしょう)(※)は通国(つうこく)(※)皆(みな)不孝(ふこう)と称(しょう)す。夫子(ふうし)之(これ)と遊(あそ)び(※)、又(また)従(したが)って之(これ)を礼(れい)貌(ぼう)す。敢(あえ)て問(と)う何(なん)ぞや。孟子(もうし)曰(いわ)く、世俗(せぞく)の所謂(いわゆる)不孝(ふこう)なる者(もの)五(ご)あり。其(そ)の四支(しし)を惰(おこた)り、父母(ふぼ)の養(やしな)いを顧(かえり)みざるは、一(いつ)の不孝(ふこう)なり。博弈(ばくえき)し、好(この)んで酒(さけ)を飲(の)み、父母(ふぼ)の養(やしな)いを顧(かえり)みざるは、二(に)の不孝(ふこう)なり。貨財(かざい)を好(この)み、妻子(さいし)に私(わたくし)して、父母(ふぼ)の養(やしな)いを顧(かえり)みざるは、三(さん)の不孝(ふこう)なり。耳目(じもく)の欲(よく)を従(ほしいまま)にし、以(もっ)て父母(ふぼ)の戮(りく)(※)を為(な)すは、四(し)の不孝(ふこう)なり。勇(ゆう)を好(この)みて鬪很(とうこん)(※)し、以(もっ)て父母(ふぼ)を危(あや)うくするは、五(ご)の不孝(ふこう)なり。章子(しょうし)は是(ここ)に一(いつ)有(あ)るか。
(※)匡章……滕文公(下)第十章一参照。
(※)通国……国中。
(※)遊び……交遊。
(※)戮……ここでは恥をかかせること。「戮」には殺す、さらす、辱める、などの意味がある。
(※)闘很……ここでは、人と喧嘩をしたり、暴れたりすること。「很」には、もとる、たがう、争うなどの意味がある。
【原文】
公都子曰、匡章通國皆稱不孝焉、夫子與之遊、又從而禮貌之、敢問何也、孟子曰、世俗所謂不孝者五、惰其四支、不顧父母之羪、一不孝也、愽弈、好飮酒、不顧父母之羪、二不孝也、好貨財、私妻子、不顧父母之羪、三不孝也、從耳目之欲、以爲父母戮、四不孝也、好勈鬪很、以危父母、五不孝也、章子有一於是乎。
30‐2 善を責むるは朋友の道なり
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「だから君子には、生涯を通じての憂い(問題意識)はあるものの、突然にふりかかるような患いというものはないのである。その君子が生涯を通じての憂いとするものは、次のようなことである。『聖人の舜も人であり、私も人である。しかし、舜は人の天下に模範となることを行って、後世にまでそれを伝えている。それに比べて私は未だに、何もできないでいる田舎の一凡人にすぎないではないか』と。これが君子の憂うべきことなのである。では、このような憂いをどうするべきか。それは、舜のような行いをするだけである。だからその君子にとって、ほかの患いなどないのである。君子は仁でなければならないし、礼にかなわぬことは行わない。だから、突然にふりかかるような患いについては、(自分にやましいことは何もないのであるから)君子にとっての患いとはならないのである」。
【読み下し文】
夫(か)の章子(しょうし)は、子父(しふ)善(ぜん)を責(せ)めて(※)、相(あい)遇(あ)わざるなり。善(ぜん)を責(せ)むるは、朋友(ほうゆう)の道(みち)(※)なり。父子(ふし)善(ぜん)を責(せ)むるは、恩(おん)を賊(そこな)うの大(だい)なる者(もの)なり。夫(か)の章子(しょうし)は、豈(あに)夫妻(ふさい)子母(しぼ)の属(ぞく)有(あ)るを欲(ほっ)せざらんや。罪(つみ)を父(ちち)に得(え)て近(ちか)づくことを得(え)ざるが為(ため)に、妻(つま)を出(いだ)し子(こ)を屛(しりぞ)けて、終身(しゅうしん)養(やしな)われず。其(そ)の心(こころ)を設(もう)くること、以(お)為(も)えらく是(かく)の若(ごと)くならざれば、是(こ)れ則(すなわ)ち罪(つみ)の大(だい)なる者(もの)なり。是(こ)れ則(すなわ)ち章子(しょうし)のみ。
(※)子父善を責めて……親子の間で善を責め合って、それをやってはいけないのではないかと意見がぶつかった。一説によると両親の間が不和であり、それについて父に諫言して、父の怒りを買ったのではないかといわれている。なお、離婁(上)第十八章参照。
(※)善を責むるは、朋友の道……善を責め合うのは、親しい友人間で行う道である。
【原文】
夫章子、子父責善、而不相遇也、責善、朋友之衜也、父子責善、賊恩之大者、夫章子、豈不欲有夫妻子母之屬哉、爲得罪於父不得近、出妻屛子、終身不羪焉、其設心、以爲不若是、是則罪之大者、是則章子已矣。
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