第115回
281〜282話
2021.09.06更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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4‐1 目上の人からの贈り物の取り扱い方
【現代語訳】
万章が問うて言った。「あえてお尋ねしますが、人と交際するとき、どういう心がけが大事ですか」。孟子は答えた。「恭、すなわちうやうやしく慎むということだ」。万章は、続けて聞いた。「では、先方からの贈り物を辞退すべきであるときにも、辞退することを不恭とするのは、どうしてでしょうか」。孟子は答えた。「それは目上の人がその品物をくださったときに、その品物の出所が義にかなっているかどうかを考え、義にかなっていると思えば受け取り、かなっていないと思うときには受けないとすると、目上の人の贈り物に対して、疑いを抱くことになるから、不恭ということになる。だから目上からの贈り物はそのまま受け取るのである」。さらに万章は聞いた。「では、正面から不義の理由を口に出してこれを断るのではなく、自分の心のなかで、目上の人が、これを民から搾取した不義の物であると考え、これを別の言葉で体よく断るのはいけませんか」。孟子は答えた。「目上の人が道にかなった交際をし、礼にかなった付き合い方をしているなら、辞退することはない。あの孔子だってこういうときには受け取ったのである」。
【読み下し文】
万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、敢(あえ)て問(と)う、交際(こうさい)は何(なん)の心(こころ)ぞや。孟子(もうし)曰(いわ)く、恭(きょう)なり。曰(いわ)く、之(これ)を卻(しりぞ)くべきに、之(これ)を卻(しりぞ)くるを不恭(ふきょう)と為(な)すは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、尊者(そんしゃ)(※)之(これ)を賜(たま)うに、其(そ)の之(これ)を取(と)る所(ところ)の者(もの)、義(ぎ)か不義(ふぎ)かと曰(い)いて、而(しか)る後(のち)に之(これ)を受(う)く。是(これ)を以(もっ)て不恭(ふきょう)と為(な)す。故(ゆえ)に卻(しりぞ)けざるなり。曰(いわ)く、請(こ)う辞(じ)を以(もっ)て之(これ)を卻(しりぞ)くること無(な)く、心(こころ)を以(もっ)て之(これ)を卻(しりぞ)け、其(そ)の諸(これ)を民(たみ)に取(と)るの不義(ふぎ)なるを曰(い)いて、而(しか)して他(た)辞(じ)を以(もっ)て受(う)くること無(な)きは、不可(ふか)ならんか。曰(いわ)く、其(そ)の交(まじ)わるや道(みち)を以(もっ)てし、其(そ)の接(せっ)するや礼(れい)を以(もっ)てせば、斯(すなわ)ち孔子(こうし)も之(これ)を受(う)けたり(※)。
(※)尊者……目上の人。ここでは当時の諸侯を指していると見られる。
(※)孔子も之を受けたり……滕文公(下)第七章で論じているように、孔子は権力者の陽貨から蒸し豚を贈られ、それを受け取っている。陽貨は魯の大夫の家来で実力者であった。厳密には諸侯ではないから、これを受け取らなくても問題はなさそうだが、陽貨は魯で実力者となっていて、目上の人と見たのであろう。孔子が陽貨をとても嫌っていたのは『論語』の表現からも読み取れる。それでも礼に従って贈り物をされたら、拒否はしていないのである。これが目上との交際上の礼だったのであろう。
【原文】
萬章問曰、敢問、交際何心也、孟子曰、恭也、曰、卻之卻、之爲不恭、何哉、曰、尊者賜之、曰其所取之者、義乎不義乎、而後受之、以是爲不恭、故弗卻也、曰、請無以辭卻之、以心卻之、曰其取諸民之不義也、而以他辭無受、不可乎、曰、其交也以衜、其接也以禮、斯孔子受之矣。
4‐2 明らかに犯罪行為で得た物を贈り物として受けとってはならない
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。万章は、さらに聞いた。「今、国都の門外で人を追いはぎする者がいたとします。その者が道にかなった交際をし、礼にかなって追いはぎで得た物を贈り物としてきたら、受けてもよいのでしょうか」。孟子は言った。「それはだめだ。『書経』の康誥篇にも、『財貨を得るために人を殺し倒し、道理もわからずに死も恐れずに平気でいる人間は、誰でもこれを憎まない人はいない』とある。このような悪人は教戒するまでもなくすぐに誅すべき者である。これは、夏から殷に、さらに殷から周にと廃止されずに受け継がれている明白な定めとなっている。どうしてこんな物を受けとることができようか」。
【読み下し文】
万章(ばんしょう)曰(いわ)く、今(いま)、人(ひと)を国門(こくもん)の外(そと)(※)に禦(ぎょ)する(※)者(もの)有(あ)りとせん。其(そ)の交(まじ)わるや道(みち)を以(もっ)てし、その餽(おく)るや礼(れい)を以(もっ)てせば、斯(すなわ)ち禦(ぎょ)を受(う)くべきか(※)。曰(いわ)く、不可(ふか)なり。康誥(こうこう)に曰(いわ)く、人(ひと)を貨(か)に殺越(さつえつ)し、閔(びん)(※)として死(し)を畏(おそ)れざる、凡(およ)そ民(たみ)譈(にく)まざること罔(な)し、と。是(こ)れ教(おし)うるを待(ま)たずして誅(ちゅう)する者(もの)なり。殷(いん)は夏(か)に受(う)け、周(しゅう)は殷(いん)に受(う)け、辞(じ)せざる所(ところ)なり。今(いま)に於(お)いて烈(れつ)と為(な)す(※)。之(これ)を如何(いかん)ぞ其(そ)れ之(これ)を受(う)けん。
(※)国門の外……国都の門外。中国の昔の都市は城壁で囲まれていて門が設けられていた。その門の外を意味する。つまり、人気のない寂しいところ。
(※)禦する……ここでは、追いはぎをすること。
(※)禦を受くべきか……ここでは、追いはぎで得た物を贈り物として受けとることができるかの意味。
(※)閔……道理もわからない。
(※)烈と為す……明白な定めとなっている。なお、原文の原文の殷受賞以下の十四文字は、本来ここにはなかったとする説(朱子ほか)も有力である。
【原文】
萬章曰、今、有禦人於國門之外者、其交也以衜、其餽也以禮、斯可受禦與、曰、不可、康誥曰、殺越人于貨、閔不畏死、凡民罔不譈、是不待敎而誅者也、殷受夏、周受殷、所不辭也、於今爲烈、如之何其受之。
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