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第116回

283〜284話

2021.09.07更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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4‐3 不義にもいろいろある(端端となる形式主義は弊害)

【現代語訳】
〈前項から続いて〉。万章が問うた。「今の諸侯が民から搾取していることは、まるで追いはぎのようです。それなのに諸侯が交際の礼儀を良くしているならば、君子は贈り物を受け取るとはどういうことですか。あえてお尋ねさせてください」。孟子は答えた。「お前は次のことをどう思うか。もし今、王者が起こったとしたら、その王者は諸侯たちを並べて、(追いはぎのように搾取したから)誅するようなことをするだろうか。それとも、今までの行いを変えるように教え、改めない者を誅するだろうか。そもそも自分の物ではない物を取る者は、皆盗人であるというように考えるのは、不義の同類をすべて推し進めて、道理を極端まで突き詰めたような議論である(理屈ではそうなることも考えられるが、それは実際の事情を考えないものである)。孔子が魯に仕えたとき(魯の人は猟較をしており、それがいずれ改めるべき善くないことと知りながらも)、魯の習慣に従って猟較に参加された。猟較のようなものでもこの場合許されるなら、ましてや諸侯からの贈り物を受けとってもよいのではないか」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、今(いま)の諸侯(しょこう)は、之(これ)を民(たみ)に取(と)るや、猶(な)お禦ぎょ)のごときなり。苟(いやしく)も其(そ)の礼際(れいさい)を善(よ)くせば、斯(すなわ)ち君子(くんし)も之(これ)を受(う)くとは、敢(あえ)て問(と)う何(なん)の説(せつ)ぞや。曰(いわ)く、子(し)以為(おも)えらく、王者(おうじゃ)作(おこ)る有(あ)らば、将(まさ)に今(いま)の諸侯(しょこう)を比(ひ)して(※)之(これ)を誅(ちゅう)せんとするか。其(そ)れ之(これ)を教(おし)え、改(あらた)めずして而(しか)る後(のち)に之(これ)を誅(ちゅう)せんか。夫(そ)れ其(そ)の有(ゆう)に非(あら)ずして之(これ)を取(と)る者(もの)は盗(とう)なりと謂(い)うは、類(るい)を充(み)て義(ぎ)の尽(つ)くるに至(いた)るなり。孔子(こうし)の魯(ろ)に仕(つか)うるや、魯人(ろひと)猟較(りょうかく)(※)すれば、孔子(こうし)も亦(また)猟較(りょうかく)せり。猟較(りょうかく)すら猶(な)お可(なおか)なり。而(しか)るを況(いわ)んや其(そ)の賜(し)を受(う)くるをや。

(※)比して……並べて。
(※)猟較……狩猟の獲物の多少を競い、少ないものを没収して祖先の祭祀に供えるというもの。

【原文】
曰、今之諸侯、取之於民也、猶禦也、苟善其禮際矣、斯君子受之、敢問何説也、曰、子以爲、有王者作、將比今之諸侯而誅之乎、其教之、不改而後誅之乎、夫謂非其有而取之者盜也、充類至義之盡也、孔子之仕於魯也、魯人獵較、孔子亦獵較、獵較猶可、而況受其賜乎。

4‐4 孔子の三つの仕え方

【現代語訳】
〈前項から続いて〉。(万章が聞いた)。「そうしますと、孔子が君に仕えられたのは、道を行うためでなかったのですか」。孟子は答えた。「いや、道を行うためである」。万章は続けて聞いた。「道を行うためなら、どうして猟較などなされたのですか」。孟子は言った。「(もちろんやめさせようと思ったが、習慣なので急に止めることはできなかった)孔子は、まず(根本を正し、それによって自然と猟較などがなくなるようにと)帳簿をつくって、乱れていた祭器(の数や種類)を正し、四方の遠方からくる珍奇の食べ物を、定めた祭器には供えないようにした(こうすれば祭器には定数があるため、珍奇の食べ物の量を競うこともなくなり、猟較もなくなると考えた)」。万章は言った。「道が行われないなら、なぜすぐに去らなかったのですか」。孟子は言った。「孔子は、(祭器を正して)道が行われる端緒を試みられたのである。その端緒は十分に行えたのであるが、道そのものは行われなかった。それで魯の国を去られたのだ。このようなわけで、孔子は、三年と一国にとどまることはなかった。孔子には三つの仕え方があった。一つは、見行可の仕えであり、その道が行われる可能性があるとして仕えるものである。二つめは、際可の仕えであり、君主が礼をもって遇されるので仕えるものである。三つめは、公養の仕えであり、君主が賢者を養う礼をもって遇されるので仕えるものである。孔子が魯の季桓子に対して行った仕え方は見行可の仕えである。衛の霊公の場合は、際可の仕えである。衛の孝公の場合は、公養の仕えである」。

【読み下し文】
曰(いわ)く、然(しか)らば則(すなわ)ち孔子(こうし)の仕(つか)うるや、道(みち)を事(こと)とするに非(あら)ざるか。曰(いわ)く、道(みち)を事(こと)とするなり。道(みち)を事(こと)とせば、奚(なん)ぞ猟較(りょうかく)するや。曰(いわ)く、孔子(こうし)は先(ま)ず祭器(さいき)を簿正(ぼせい)し、四方(しほう)の食(しょく)を以(もっ)て簿正(ぼせい)に供(きょう)せしめず。曰(いわ)く、奚(なん)ぞ去(さ)らざるや。曰(いわ)く、之(これ)が兆(ちょう)(※)を為(な)すなり。兆(ちょう)を以(もっ)て行(おこな)うに足(た)る。而(しか)るに行(おこな)われず。而(しか)して後(のち)去(さ)る。是(ここ)を以(もっ)て未(いま)だ嘗(かつ)て三年(さんねん)を終(お)うるまで淹(とど)まる所(ところ)有(あ)らざるなり。孔子(こうし)には見行可(けんこうか)の仕(つか)え(※)有(あ)り。際可(さいか)の仕(つか)え(※)有(あ)り。公(こう)養(よう)の仕(つか)え(※)有(あ)り。季桓子(きかんし)に於(お)いては、見行可(けんこうか)の仕(つか)えなり。衛(えい)の霊公(れいこう)に於(おい)ては、際可(さいか)の仕(つか)えなり。衛(えい)の孝公(こうこう)(※)に於(お)いては、公養(こうよう)の仕(つか)えなり。

(※)兆……道を行う端緒。
(※)見行可の仕え……道が行われる可能性を見て仕えるもの。これに対し、「行うを見て可として仕える」と読んだり、「見可行」に読み替えて解釈する説などがある。
(※)際可の仕え……君主が礼をもって遇するので仕えるもの。
(※)公養の仕え……君主が賢者を養う礼をもって遇するので仕えるもの。
(※)衛の霊公……『論語』雍也第六に出てくる「南子(なんし)」の夫。南子は品行の良くない美女だったらしいが、孔子は主の夫人と会い、それを弟子の子路が心配する。孔子は、「天」が見ているから大丈夫だと言い切る。
(※)衛の孝公……衛の霊公の孫(出公輒(ちょう))と見られている(朱子ほか)。なお、『論語』述而第七に出てくる「衛君」は、この出公輒のこととされている(「全文完全対照版 論語コンプリート」参照)。

【原文】
曰、然則孔子之仕也、非事衜與、曰、事衜也、事衜、奚獵較也、曰、孔子先簿正祭器、不以四方之⻝供簿正、曰、奚不去也、曰、爲之兆也、兆足以行矣、而不行、而後去、是以未嘗有所終三年淹也、孔子有見行可之仕、有際可之仕、有公羪之仕、於季桓子、見行可之仕也、於衞靈公、際可之仕也、於衞孝公、公羪之仕也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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