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第136回

325話〜327話

2021.10.07更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐1 親を大事に思う心

【現代語訳】
(弟子の)公孫丑が問うて言った。「斉の高子は『詩経』の小弁は小人のつくったものだと言っていますが、そうでしょうか」。孟子は言った。「どうしてそう言うのだろうか」。公孫丑は言った。「親をうらんでいると言っているからでしょう」。孟子は言った。「こちこちに固くてどうしようもないものだな、高老人(高子)の詩の解し方は。今、ここにある人がいたとしよう。その人に向かって越人が弓を引いて射ようとしたら、自分は笑顔で、『射るのはやめなさい』と言うだろう。それはほかでもない。その越人は自分の遠くの人で関係も薄いからである。これに対して、自分の兄が弓を引いて、先の男を射ようとすると、涙を流して制止するだろう。それはほかでもない。兄は肉親であり、そんな罪を犯す行いは、何としても止めたいからである。小弁の詩が親をうらんだのも、これと同じで、親の過ちが大きいかったからである。これは親を心から親しむからだ。この親を親しむ心は仁(人間愛の表れ)である。そこを考えないとは高老人はあまりにも固い詩の見方をしているといえよう」。そこで公孫丑は問うた。「では、凱風の詩は、なぜ親をうらんでないのでしょうか」。孟子は言った。「凱風の詩のほうは、親の過ちが小さいからだ。これに対し、小弁の詩のほうは過ちが大きい。親の過ちが大きいのにこれをうらまないで、どうでもよく思うのは、ますます親を疎遠に思う冷たいことといえる。一方、親の過ちが小さいのにこれをうらむのは、事を荒立ててしまうことになる(これはいきすぎたことである)。親を疎遠に思うことも不孝だが、事を荒立だて、いきすぎることをするのも不孝である。孔子は言っている。『舜は、本当に最高の孝行者である。五十歳になっても親を慕っている』と」。

【読み下し文】
公孫丑(こうそんちゅう)問(と)うて曰(いわ)く、高子(こうし)(※)曰(いわ)く、小弁(しょうばん)は小人(しょうじん)の詩(し)なり、と。孟子(もうし)曰(いわ)く、何(なに)を以(もっ)て之(これ)を言(い)うか。曰(いわ)く、怨(うら)みたればなり、と。曰(いわ)く、固(こ)なるかな、高叟(こうそう)の詩(し)を為(おさ)むるや。此(ここ)に人(ひと)有(あ)り。越人(えつひと)弓(ゆみ)を関(ひ)きて之(これ)を射(い)んとせば、則(すなわ)ち己(おのれ)談笑(だんしょう)して之(これ)を道(い)わん。他(た)無(な)し、之(これ)を疏(うと)んずればなり。其(そ)の兄(あに)弓(ゆみ)を関(ひ)きて之(これ)を射(い)んとせば、則(すなわ)ち己(おのれ)涕(てい)泣(きゅう)を垂(た)れて之(これ)を道(い)わん。他(た)無(な)し、之(これ)を戚(いた)めばなり。小弁(しょうばん)の怨(うら)めるは、親(おや)を親(した)しめばなり。親(おや)を親(した)しむは仁(じん)なり。固(こ)なるかな、高叟(こうそう)の詩(し)を為(おさ)むるや。曰(いわ)く、凱風(がいふう)は何(なに)を以(もっ)て怨(うら)みざる。曰(いわ)く、凱風(がいふう)(※)は、親(おや)の過(あやま)ち小(しょう)なる者(もの)なり。小弁(しょうばん)は、親(おや)の過(あやま)ち大(だい)なる者(もの)なり、親(おや)の過(あやま)ち大(だい)にして怨(うら)みざるは、是(こ)れ愈〻(いよいよ)疏(うと)んずるなり。親(おや)の過(あやま)ち小(しょう)にして怨(うら)むるは、是(こ)れ磯(き)す(※)べからざるなり。愈〻(いよいよ)疏(うと)んずるは、不孝(ふこう)なり。磯(き)すべからざるも、亦(また)不孝(ふこう)なり。孔子(こうし)曰(いわ)く、舜(しゅん)は其(そ)れ至(し)孝(こう)(※)なり。五十(ごじゅう)にして慕(した)う、と。

(※)高子……斉の人。公孫丑(下)第十二章一や尽心(下)第二十一章、二十二章に出てくる高子と同じ人という説もあるが、「高叟」(高老人)と孟子が言っており、文章の内容からも別人と見るほうが良いように思える。
(※)凱風……『詩経』にある邶(はい)風の篇名。
(※)磯す……事を荒立てる(いきすぎる)。これに対し、「磯」は「幾諫の幾」とする説もある。そうすると「諫めることを見限る」などと訳することになる。ただ、わざわざこれ不孝と見るのはいきすぎのような気もする(『論語』里仁第四参照)。ここは、朱子のように、「水(みず)、石(いし)に激(げき)する」と解し、事を荒立てることと解すると通りが良いように思う。
(※)至孝……最高の孝行。ここでの舜の話は、万章(上)第一章一に出てくる。

【原文】
公孫丑問曰、高子曰、子弁小人之詩也、孟子曰、何以言之、曰、怨、曰、固哉、高叟之爲詩也、有人於此、越人關弓而射之、則己談笑而衜之、無他、疏之也、其兄關弓而射之、則己垂泣涕而衜之、無他、戚之也、小弁之怨親親也、親親仁也、固矣夫、高叟之爲詩也、曰、凱風何以不怨、曰、凱風親之過小者也、小弁、親之過大者也、親之過大而不怨、是愈疏也、親之過小而怨、是不可磯也、愈疏、不孝也、不可磯、亦不孝也、孔子曰、舜其至孝矣、五十而慕。

4‐1 物事の根本を考えて説く

【現代語訳】
平和論者の遊説家として知られている宋牼が楚に行こうとして、孟子と石丘というところで会った。孟子は言った。「先生は、どこに行こうとしているのですか」。宋牼は答えた。「私は、秦と楚とが戦争を始めるという話を聞きました。だから、楚王に会って、戦争をするのをやめるようにと説きたいと思っています。もし楚王がこれを喜んで受け入れないときは、秦王に会って、戦争をやめるように説くつもりです。二人の王のうちどちらかは、私の考えをわかって戦争をやめてくれるのではないかと思っています」。そこで孟子は聞いた。「その詳しい先生の話の内容をお伺いはしませんが、どうか私にその要旨をお聞かせください」。宋牼は答えた。「私は、戦争をすることは、自国に不利を起こすことを説こうと思います」。すると孟子は言った。「先生の志はまことに立派なものです。ですが、先生の利、不利を理由に掲げて説得なさるのは、良くないことだと考えます」。

【読み下し文】
宋牼(そうこう)(※)将(まさ)に楚(そ)に之(ゆ)かんとす。孟子(もうし)石丘(せききゅう)に遇(あ)う。曰(いわ)く、先生(せんせい)将(まさ)に何(いず)くに之(ゆ)かんとする。曰(いわ)く、吾(わ)れ秦(しん)・楚兵(そへい)を構(かま)う(※)と聞(き)く。我(われ)将(まさ)に楚王(そおう)に見(まみ)えて、説(と)いて之(これ)を罷(や)めしめんとす。楚王(そおう)悦(よろこ)ばずんば、我(われ)将(まさ)に秦(しん)王(おう)に見(まみ)えて、説(と)いて之(これ)を罷(や)めしめんとす。二王(におう)のうち我(われ)将(まさ)に遇(あ)う所(ところ)有(あ)らんとす。曰(いわ)く、軻(か)や請(こ)う。其(そ)の詳(しょう)を問(と)うこと無(な)く、願(ねが)わくは其(そ)の指(むね)(※)を聞(き)かん。之(これ)を説(と)くこと将(まさ)に如何(いかん)せんとする。曰(いわ)く、我(われ)将(まさ)に其(そ)の不利(ふり)を言(い)わんとす。曰(いわ)く、先(せん)生(せい)の志(こころざし)は則(すなわ)ち大(だい)なり。先生(せんせい)の号(ごう)(※)は則(すなわ)ち不(ふ)可(か)なり。

(※)宋牼……「そうこう」とも「そうけい」とも読む。孟子が「先生」と言っているので、孟子より年上であろう。
(※)兵を構う……戦争を始めようとする。「兵」はここでは、戦争を意味する。
(※)指……要旨。
(※)号……理由に掲げること。名目。

【原文】
宋牼將之楚、孟子遇於石丘、曰、先生將何之、曰、吾聞秦・楚搆兵、我將見楚王、說而罷之、楚王不悅、我將見秦王、說而罷之、二王我將有所遇焉、曰、軻也請、無問其詳、願聞其指、說之將何如、曰、我將言其不利也、曰、先生之志則大矣、先生之號則不可。

4‐2 利益ばかりを考えているといずれだめになる

【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「先生が利をもって秦や楚の王に説いて、秦や楚の王が利を喜んで、自国の全軍を引き揚げたら、全軍の将士も戦争が止まったことを楽しみ、その利を喜ぶことでしょう。こうして人の臣たる者は、利を思って君に仕え、人の子たる者は、利を思って父に仕え、人の弟たる者は、利を思って兄に仕えることになるようになると、君臣・父子・兄弟の間は、遂に仁義を捨て、利ばかりを考えて互いに接するようになります。そうなってしまって亡びない国はこれまでもなかったのです。これに対して、先生が仁義をもって秦や楚の王に説いて、秦や楚の王が仁義を喜んで、自国の全軍を引き揚げたら、全軍の将士も戦争が止まったことを楽しみ、その仁義を喜ぶことでしょう。こうして人の臣たる者は仁義を思って君に仕え、人の子たる者は、仁義を思って父に仕え、人の弟たる者は、仁義を思って兄に仕えるようになると、君臣・父子・兄弟の間は利よりも、仁義を思って互いに接するようになります。このようになって、王者とならなかったことなど、今までにないことです。だから先生も、利を言うことなどないと思います」。

【読み下し文】
先生(せんせい)利(り)を以(もっ)て秦(しん)・楚(そ)の王(おう)に説(と)かんに、秦(しん)・楚(そ)の王(おう)利(り)を悦(よろこ)び、以(もっ)て三軍(さんぐん)の師(し)(※)を罷(や)めば、是(こ)れ三軍(さんぐん)の士(し)、罷(や)むることを楽(たの)しみて利(り)を悦(よろこ)ばん。人(ひと)の臣(しん)たる者(もの)、利(り)を懐(いだ)きて以(もっ)て其(そ)の君(きみ)に事(つか)え、人(ひと)の子(こ)たる者(もの)、利(り)を懐(いだ)きて以(もっ)て其(そ)の父(ちち)に事(つか)え、人(ひと)の弟(おとうと)たる者(もの)、利(り)を懐(いだ)きて以(もっ)て其(そ)の兄(あに)に事(つか)えば、是(こ)れ君臣(くんしん)・父子(ふし)・兄弟(けいてい)、終(つい)に仁義(じんぎ)を去(さ)り、利(り)を懐(いだ)きて以(もっ)て相(あい)接(せっ)する(※)なり。然(しか)り而(しこう)して亡(ほろ)びざる者(もの)は、未(いま)だ之(これ)有(あ)らざるなり。先生(せんせい)仁義(じんぎ)を以(もっ)て秦(しん)・楚(そ)の王(おう)に説(と)かんに、秦(しん)・楚(そ)の王(おう)仁義(じんぎ)を悦(よろこ)び、而(しこう)して三軍(さんぐん)の師(し)を罷(や)めば、是(こ)れ三軍(さんぐん)の士(し)、罷(や)むことを楽(たの)しみて仁義(じんぎ)を悦(よろこ)ばん。人(ひと)の臣(しん)たる者(もの)、仁義(じんぎ)を懐(いだ)きて以(もっ)て其(そ)の君(きみ)に事(つか)え、人(ひと)の子(こ)たる者(もの)、仁義(じんぎ)を懐(いだ)きて以(もっ)て其(そ)の父(ちち)に事(つか)え、人(ひと)の弟(おとうと)たる者(もの)、仁義(じんぎ)を懐(いだ)きて以(もっ)て其(そ)の兄(あに)に事(つか)えば、是(こ)れ君臣(くんしん)・父子(ふし)・兄弟(けいてい)、利(り)を去(さ)り、仁義(じんぎ)を懐(いだ)きて、以(もっ)て相(あい)接(せっ)するなり。然(しか)り而(しこう)して王(おう)たらざる者(もの)は、未(いま)だ之(これ)有(あ)らざるなり。何(なん)ぞ必(かなら)ずしも利(り)と曰(い)わん。

(※)三軍の師……「師」は軍隊。古代中国では一軍は一万二千五百人とされた。三軍は諸侯をの持つ軍隊で、三万七千五百人の大軍。
(※)相接する……互いに接する。

【原文】
先生以利說秦・楚之王、秦・楚之王悅於利、以罷三軍之師、是三軍之士、樂罷而悅於利也、爲人臣者、懐利以事其君、爲人子者、懐利以事其父、爲人弟者、懐利以事其兄、是君臣・父子・兄弟、終去仁義、懐利以相接、然而不亡者、未之有也、先生以仁義說秦楚之王、秦・楚之王悅於仁義、而罷三軍之師、是三軍之士、樂罷而悅於仁義也、爲人臣者、懐仁義以事其君、爲人子者、懐仁義以事其父、爲人弟者、懐仁義以事其兄、是君臣・父子・兄弟、去利、懐仁義、以相接也、然而不王者、未之有也、何必曰利。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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