第4回
新古典主義とロマン主義
2016.11.30更新
絵画は意外とおしゃべり。描かれた当時の事件や流行、注文主の趣味、画家の秘密……。名画が発するメッセージをキャッチして楽しむちょっとしたコツをお教えします。
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フランス革命前夜からその最中にかけて生まれたのが、新古典主義とロマン主義です。同じ時代に活躍したライバルでしたが、アカデミーで正統とされたのはラファエッロを規範とする新古典主義。ロマン主義は、個人の感情や感性をダイナミックに表現しました。
■フランス革命後の社会で流行。普遍性を求めた新古典主義
18世紀後半、ヨーロッパが経験した最大の事件のひとつがフランス革命。啓蒙思想の影響もあり、偏見を取り払い、人間本来の理性を取り戻そうという思想が広まりました。一方、自然科学がより発展。ポンペイ遺跡も発掘され、古代への関心が高まります。
そもそもヨーロッパでは、政治が共和制へと振れるたびに共和政ローマや古代ギリシャが理想視されます。共和制が志向された革命後の社会も同様で、芸術分野でも古代を模範とする新たな芸術様式が求められました。
目指すべきは形式的な美と写実性、励むべきはデッサン。フランスアカデミーを中心に支配的となったこうした芸術思潮が新古典主義。古典の影響やナポレオンの出現で、荘厳で重厚な英雄的テーマが好まれたのも特徴です。
■変革が大きなうねりとなり近代のロマン主義へ
フランス革命で生まれた社会的・政治的変動は、フランス一国の変革にとどまりませんでした。その余波はヨーロッパ中に広がり、各地で旧体制の秩序が崩壊。近代の幕開けへとつながっていきます。思想や価値観を一変させる大きなうねりの中で、芸術もまたさらなる変化の時代を迎えました。それが、ロマン主義とよばれる運動です。
新古典主義が理性を重んじたのに対し、ロマン主義が重視したのは情熱や感受性など個人の内面世界。それは、ルネサンス期以来続いていた合理主義的思想を覆す劇的な変化といえます。
また、ナポレオンのエジプト遠征やギリシャ独立戦争、歴史研究などを経て世界が空間的・時間的に拡大。従来のヨーロッパ伝統の理想ではなく、多種多様な美の基準も誕生していきます。
■背中の歪みは誤り? あえて? 新古典主義の巨匠が挑んだ境地
磁器のような肌、思いきり湾曲した背中から腰のライン。静かな視線とともに、見る者を魅了する裸婦像です。
しかし、よく見ると背中と腕は伸びすぎているし、臀部と太ももは太すぎることにも気づきます。調和や写実性を重んじる当時の画壇で、本作は「脊椎骨が二つ三つ多い」「デフォルメしすぎ」「ゴシック的」と批判されました。
もちろん、同時代の画家たちの中でも特にデッサン力に優れたアングルにそれがわからなかったはずはありません。あえて大胆なデフォルメで挑んだのは、理想の美を表現するためでした。
現在は『ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)』と並ぶルーヴルの二大美女と称される本作。新古典主義の目指す写実を超えた様式美を備え、時を超えて美とは何かを語りかけます。
① オダリスク
近代国家として歩み始めたヨーロッパ各国が勢力を広げるのに従い、オリエンタリズムが流行。特にオダリスク(宮廷の女)は異国趣味、囚われの女性、豊かな色彩などの観点からアングルやドラクロワなどこの時代の画家たちに好まれ、従来の神話の世界に代わって多くの裸婦像が描かれました。本作ではトルコ的な装飾品が特徴ですが、アングルはほかにもオダリスクを描いています。
② 東方趣味
オリエンタリズム的モチーフは当時のサロンでも人気を博しました。19世紀中頃以降は、画家本人が北アフリカなどを旅してモチーフを探しに行くことも。
③ 伝統的なポーズ
女性は伝統的な女神のポーズで描かれています。肩ごしに振り返るポーズは師匠であるダヴィッドの『レカミエ夫人の肖像』の影響と考えられます。
④ こだわりの造形美
デッサンや後に描かれたグリザイユでは人体のシワや腕の肉付きがリアル。歪みや誇張、装飾品で写実と抽象の間にある究極の美を目指しています。
○注文主
本作を注文したのは、ナポレオンの妹でナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラ。ただし完成時にはナポレオンが失脚していたため、本作は届けられませんでした。
■ラファッエロの熱烈なファン。新古典主義に独自の美意識を
トゥールーズの王立美術アカデミー会員だった装飾画家の家に生まれたアングル。17歳でパリのダヴィッドのアトリエに入門し、正統派の新古典主義を吸収します。26歳でローマへ渡ると、フィレンツェへ移り18年間もイタリアに滞在。ルネサンス期の画家、特にラファエッロに心酔するとともに『グランド・オダリスク』などを発表します。
古典を重んじるルネサンス美術への尊敬とともに、独自の美意識を強くもっていたアングル。そこにこそ現代の私たちをも魅了する作品の根源があるのですが、新古典主義一色だった当時のパリでは強い批判も。しかしイタリアからの帰国後には、台頭してきたロマン主義に対抗する旗手として期待を集め、新古典主義を代表するアカデミーの最高権威者に上りつめました。
※1『玉座のナポレオン』1806年/軍事博物館(パリ)
※2『ユピテルとテティス』1811年/グラネ美術館(エクサン・プロヴァンス)
※3『グランド・オダリスク』
※4『ルイ13世の誓願』1824 年/ノートルダム大聖堂(モントーバン/フランス)
※5ドラクロワ『キオス島の虐殺』1824 年/ルーヴル美術館(パリ)
※6『トルコ風呂』1863年/ルーヴル美術館(パリ)
※7『モワテシエ夫人の肖像』1856年/ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
■革命そのものより鮮やかに。革命の精神を目に焼きつける
1830年にフランスで起きた七月革命を題材にした作品です。現在のフランス国旗である三色旗を掲げる女性。彼女に鼓舞され前進する男たち。足元には同胞の死体が累々としており、戦いの壮絶さを表しています。しかし見る者を圧倒するのは、死を恐れず立ち上がる民衆の力強さと勝利への高揚感。彼らを駆り立てる熱情まで見えるかのようです。これぞ画家の壮大な表現力の賜物でしょう。
七月革命は画家が生きるパリでリアルタイムに発生しました。画家自身は蜂起には参加せず、ロマン主義運動の指導者として「気高く、美しく、偉大な」市民の栄誉を称える目的で本作を描きます。当時の批評家からは批判されますが、後に革命のシンボル、フランスのシンボルとなります。
○七月革命
1830年7月27日から29 日にフランスで起こった市民革命。フランス革命の成果を無視した、時代錯誤の王政の横暴に対して民衆が蜂起。王を退位に追い込みます。ヨーロッパ各国の革命運動に影響を与えました。
① マリアンヌ
自由の象徴とされるフリギア帽を被った女神。本作以後、マリアンヌはフランスの象徴となります。女神像としては理想化せず写実に徹しており、下品であると批判の対象になりました。
② 少年
不公正に対し立ち上がった若者、崇高な目的に捧げられた尊い犠牲を象徴。抵抗の印である黒い帽子姿は『レ・ミゼラブル』のガヴロッシュのモデルに。
③ ヘクトル
ホメロスの英雄を現実世界に表現したヘクトルとよばれる人物。中央の女神とともに本作を彩る神話的人物のひとりです。
④ ドラクロワ
山高帽を被り、狩猟用の銃を手にする男性はドラクロワまたは友人のひとりという説が。
⑤ ノートルダムの突塔
革命の際に三色旗が掲げられた自由とロマン主義の象徴で、パリという場所性を示す存在。ただし位置関係は不正確です。
⑥ 赤と白を青
光によって際立っている中央の三色旗を中心に、光と影の中にひそむ赤、白、青のモチーフが画面全体に統一感を与えています。色彩の魔術師とよばれた本領が既に本作にも見られます。
■激しいタッチや大胆な細部省略。後世の画家が師と仰ぐ巨匠
裕福な政治家とルイ16世の宮廷家具師の娘の間に生まれたドラクロワ。19歳で新古典主義の画家ゲランのアトリエで絵画を学びます。ここでジェリコーと知り合い、大きな影響を受けたことが見てとれます。20代前半で頭角を現し、新古典主義に対抗するロマン派の旗手とみなされていきました。
27歳で訪れたロンドンでバイロンを筆頭とする英国文学の世界に、34歳で訪れたアルジェリアとモロッコで色彩と光の重要性に覚醒。多彩な主題の設定、荒々しく劇的な場面構成、巧みな心象の表現などを得意とし、多数の作品を発表。特に細部を省略する大胆な筆使いと、輝くような光と色彩の調和はモローやセザンヌなど後世の画家に、師と仰がれるほどの影響を与えています。
※1『ダンテの小舟』1822 年/ルーヴル美術館(パリ)
※2『キオス島の虐殺』
※3『アルジェの女たち』1834年/ルーヴル美術館(パリ)
※4『モロッコのスルタン』1845年/オーギュスタン美術館(トゥールーズ/フランス)
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