第4回
春風亭一之輔(落語家)
初めてもらった給金袋 (2)
2017.05.10更新
【 この連載は… 】ものづくりに携わる人生の先輩16名の“大切なもの”を通し、それぞれの生き方や価値観を「物語」としてつづった『あの人の宝物』(大平一枝著)が刊行されました。豊かさとはなにか、人生の“これから”を考える人へ。生き方のヒントを見つけてください。
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神様が見ている
「失敗しても、ウケなくても死ぬわけじゃない。三千円の入場料を払ったのにこの出来だからって、殺されることもない。もともと自分は、悪いことはすぐ忘れて引きずらないタイプ。この世界は合ってるなと思います」
まぁ、そう思わないとできない世界でもあるんですけど、と自分に言い聞かせるように小さな声で言葉を足した。二十一人抜きで真打ちということで取材が集中したときも、全て引き受けた。自分がそうすることで、少しでも落語が注目されたらそれが本望だからだ。
「無理はしないし、嫌なことはしませんが、基本的に“囃されたら踊れ”と思っています。そういう役目が自分にはあると思う。でもね、落語ってなにがゴールかわからないんですよ。二ツ目になって名前が変わったからってそれがゴールでもなし。何人抜いて真打ちになっても、とくにいいことがあるわけじゃない。はたから見れば、十人抜いたって聞いても、へえ、そーなんだーくらいでしょう。そんなのすぐに忘れられる。そんな、たいそうなもんじゃないです」
彼のなかには、師匠の春風亭一朝の姿が手本にある。きわめて自然体で、弟子たちに必死に稽古をしているところを一切見せない。落語は、さあここから本番ですというかっちりした開幕の合図がない。客に語りかけるようにしてマクラ(本題に入る前の世間話など)を話し、本題へすうっと移っていく。一之輔さんはその日話すネタを、マクラを話しながら、客の顔を見て変えることも多々あるという。寄席の大小にかかわらず、天気や体調や客の雰囲気や前後の噺のバランスを見て、二百ほど持ってるネタの中から、適切なものをその場で選ぶ。肩に力が入っていたら、その場の判断を見誤る。つまり、平常心であり自然体でないと成立しない芸なのだ。
過剰の外側に
「子どもを幼稚園に送って、洗濯をして、掃除をして、昼の帯ドラマを見てかみさんと蕎麦屋に行く。帰ったらラジオを聴きながら昼寝をして、夕方子どもを迎えに行って。上のふたりが空手を習ってるので送ってって、喫茶店で時間つぶして迎えに行って、晩ご飯を食べてビール飲んで風呂入って寝る。そんな日が、月に二回あればいいんです。それがあるのとないのとでは違いますね、たぶん」
実家では、七歳、十歳、十二歳上の姉の、三人の下で育った。女系家族の中で、末っ子の男の子がどれほど可愛がられたかは容易に想像がつく。
「けして裕福ではないんですが、親にあれ買ってこれ買ってと言うとたいてい買ってくれました。それを見た姉たちがやきもちを焼くのを見てきた。そこから、ものごとは“ほどほど”がいいんだなって身にしみついちゃったんです」
過剰なものを嫌い、物欲もなく、うまくいっているときもどこか自分を抑制するところがある。こんなにうまくいっていると、きっとどこかに落とし穴があるはずだ、と。
「いい噺をして調子に乗っているときほど、失敗するんです。神様は見てるんだと思う。なんでもいつもうまくいくはずなんてない。落語は生ものだから」
目標もゴールもないが、今日この十五分の高座にベストを尽くす。そのために自然体で心を整えておく。囃されたら踊るが、踊らされはしない。
古い小説のタイトルを借りてしまうのだが、どこまで話しても、この人の中にはかっちりと、冷静と情熱が共存している。やっぱり、新しい時代の人だ。
春風亭一之輔的、心のひきだし
一
囃されたら踊れ
無理はしない、納得できないことや嫌なことはしない。でも、囃されたら踊る役目が自分にはある。「いゃあ、僕なんて」と断るのはかえって失礼。
二
なんとなく帳尻を合わせる
いいことも悪いことも、神様が見ている。調子に乗っていると失敗する。無意識のうちになんとなく帳尻を合わせることは、大事だと思っている。
三
ひきずらない
いいことも悪いこともひきずらない。お客さんは毎日変わる。失敗をひきずっていたら、この仕事はできない。
春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)
1978年、千葉県生まれ。日本大学芸術学部在学中は落研に所属。卒業後、春風亭一門に入門。2004年、二ツ目となり多くの新人賞を総なめにしたのち12年、21人抜きの抜擢で真打ち昇進。同年から2年連続国立演芸場花形演芸大賞を受賞。落語家の起用は志ん朝以来といわれる雑誌『SWITCH』の表紙をはじめ、ラジオ、TV番組のレギュラー、ミュージシャンのMVにゲスト出演、ユニクロのCMなど、落語界では傑出する存在に。
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