第4回
不織布
北園克衛
2016.08.09更新
【 この連載は… 】 各界のクリエイターと紙にまつわる物語を綴り、紙好き、デザイン好きの間で大きな反響を呼んだ『かみさま』(大平一枝著/ポプラ社)。大幅加筆を加え、7月7日に『紙さまの話』として新版化されました。手のぬくもり、痕跡の残るささやかな紙きれと、クリエイター達の知られざる話とは――。
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紙というからには、「本」にふれなければ落ち着かない。だが、広すぎて何をどういう切り口でとりあげたらいいだろうと、考えあぐねていた矢先。これまでの人生でいちばん好きな本棚に出会った。自分が持っている本もだいぶ重なっていたけれど、それでも端から端まで好きな本ばかりで、気分が昂揚した。その棚の持ち主は、グラフィックデザイナーの守先正さん。
本書の取材で事務所に行ったら、打ち合わせテーブルの守先さん越しにこの魅力的な本棚があって、本当に困った。うっかりするとすぐ気がそぞろになり、本の背表紙を目で追ってしまう自分がいたからだ。
その彼が、「ぼくのとっておきの本」と言って見せてくれたのが戸田ツトム(※1)氏が装幀した『2角形の詩論』である。詩人、北園克衛(※2)の珍しいエッセイである。ぱらぱらとめくるなり、その奇抜なデザインに、古くさい言い方だが、電流が走った。こういう感覚、何年ぶりだろうと記憶をたどっても思い出せないくらいだ。
まず、表紙カバーからして変わっている。クラフト紙を二枚貼り合わせたターポリン紙を採用。これは紙にアスファルトを塗布して防水・防湿機能を高めたもので、パリパリと音がしそうなケミカルな印象。いかにも前衛詩を極めた詩人らしい。中はもっと衝撃的だ。
本文に使われている紙は二種類あり、一つはざらざら、一つはつるつるとした手触りだ。“ざらざら”は「印刷せんか紙」という。古紙パルプだけを用いた更紙で、印刷工場や製本工場から出る切り落としの紙を集めてリサイクルされたものだそうだ。一見するとコミック用紙のようだが、上品なうす緑色をしている。“つるつる”の用紙には、見開きごとに黄色や水色、ピンクと、四角形の色面が印刷され、繰り返し明滅している。本文の見出しは「現代詩の諸問題」や「詩と俳句」であり、北園的詩論の堅い展開なのだが、色ベタが入っていることでぐっと新鮮で、楽しげで、実験的で躍動感がある。想像力をかき立てる強い力が、本文デザインにある。
さらに前半と後半に一枚ずつ、目の覚めるようなビビッドなイエローの、厚くて柔らかな紙がはさみこまれている。手触りはかなりフェルトに近い。
「不織布(※3)ですね」
守先さんが教えてくれた。見返しと別丁扉のろう引き加工、ノンブルの入り方、ショルダーの入れ方、天が詰まっていて地と左右をあけた余白のとり方。いちいち格好よくて、実験が全部成功している感じだ。巻末に収められた北園克衛と杉浦康平と松岡正剛の鼎談にいたっては、三段組みで、本を横にして読むタブロイド紙みたいなレイアウトなのである。
宝物のように大事にしている守先さんを見て、無性に羨ましくなり、あとで古本屋で買おうと探しはじめて一か月半。もちろん絶版で入手はできず、古本サイトで検索したら、やっと見つかった一冊は、万札が何枚もいる金額ではないか。それさえも、おそれおののいている何日かの間に、とうに売れてしまい、今はもうない。
「格好いい」としか表現できない私の未熟さを、彼はこう言語化し、補正してくれた。
「紙の持ついろんな手触りの実験が一冊でなされている。ざらざらした印刷せんか紙のあと、黄色の不織布が一枚挟み込まれていてドキッとする。そしてつるっとはしているけれど、どこかひっかかりのあるもう一つの本文紙。ろう引きの加工の見返しと別丁扉に、カバーのターポリン紙。視覚だけでなく、触感で感じさせてくれる。こんな本、ほかにないです」
せんか紙の部分は日に焼けて変色をはじめている。カバーはやぶれて内側のコールタールが見えている。その朽ちていくさまもいいじゃないですか、と彼は言う。
※1
北園克衛(きたぞの・かつえ)
詩人(一九〇二~七八年)。前衛芸術誌『VOU』主宰。多数の詩集、詩論を執筆。『新しい世界の文学』(白水社)、ハヤカワ・ミステリー文庫の装幀家としても知られる。写真は『2角形の詩論』(北園克衛著、リブロポート)
※2
戸田ツトム(とだ・つとむ)
一九五一年生まれ。グラフィックデザイナーとして数々の書籍、雑誌をデザイン。著書に『森の書物』(河出書房新社)、『黄昏の記述』(平凡社)、『D-ZONEエディトリアル・デザイン 1975-1999』(青土社)などがある。
※3
不織布
繊維を結合させて作ったシートで、厳密にいうと紙ではない。『2角形の詩論』は、紙に似ているが紙ではないものを、本文中にはさみこむことによって、読む者に新鮮な驚きをもたらす。
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