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第4回

7〜9話

2021.03.25更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐1 うまくやっているつもりでも、実際に成果が出るとは限らない


【現代語訳】
梁の恵王が言った。「私が我が国を治めるにおいては、心から人民のことを考えて、心を尽くしている。例えば、河内の地が凶作であれば、すぐに民を河東の地に移し、移せない者(病人や子どもなど)には、河東の地の余った穀物を河内に運ぶ。逆に河東の地が凶作のときは、同じように、民を河内に移し、移せない者には河内の余った穀物を河東に運ぶようにしている。これに比べて隣国の政治をよく見てみるに、私のように心から人民のことを考えて、心を尽くしているものはいないようである。それなのに隣国の民が減ることもなく、我が国の民が増えることもない。これはいったいどうしたことだろう」。

【読み下し文】
梁(りょう)の恵王(けいおう)曰(いわ)く、寡人(かじん)(※)の国(くに)に於(お)けるや、心(こころ)を尽(つく)すのみ。河内(かだい)凶(きょう)すれば、則(すなわ)ち其(そ)の民(たみ)を河東(かとう)に移(うつ)し、其(そ)の粟(ぞく)(※)を河内(かだい)に移(うつ)す。河東(かとう)凶(きょう)するも亦(また)然(しか)り。鄰国(りんごく)の政(まつりごと)を察(さっ)するに、寡人(かじん)の心(こころ)を用(もち)うるが如(ごと)き者(もの)無(な)し。鄰国(りんごく)の民(たみ)少(すく)なきを加(くわ)えず(※)、寡人(かじん)の民(たみ)多(おお)きを加(くわ)えざるは、何(なん)ぞや。

(※)寡人……諸侯が自分を謙そんして言う語。徳の少ない人という意味。
(※)粟……穀物の総称。
(※)民少なきを加えず……民が減らない。なお、当時は、人口を増やすことが、農業生産の増加や軍隊の兵力に直結した。『論語』でも、人が多いことを良い政治が行われているのを前提にした孔子の言葉がある(子路第十三)。そこで孔子は、多くいる国民をまず富まし、次に教育の重要性を説いている。この点も、孟子は孔子の考えに沿って、展開していく。

【原文】
梁惠王曰、寡人之於國也、盡心焉耳矣、河内凶、則移其民於河東、移其粟於河内、河東凶亦然、察鄰國之政、無如寡人之用心者、鄰國之民不加少、寡人之民不加多、何也、

3‐2 五十歩百歩


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。孟子は答えて言った。「王は戦争のことが好きなようですから、戦争のことをたとえとして話してみましょう。戦争が起こり、太鼓の音がドンドンと進軍を知らせ、敵味方の斬り合いが始まりました。このとき、鎧を捨て、武器をひきずって逃げ出した者たちがいます。このなかには百歩逃げて踏み止まった者や五十歩逃げて踏み止まった者がいます。ここで五十歩逃げて踏み止まった者が、百歩逃げて踏み止まった者を臆病者と笑ったら、どうでしょうか」。王は言った。「それはだめだ。ただ百歩逃げなかっただけで、逃げたことにかわりはない」。そこで孟子は言った。「王はこの道理がわかるのであれば、自国の民が、隣国よりも増えて多くなることを望むことはできません」。

【読み下し文】
孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、王(おう)戦(たたか)いを好(この)む。請(こ)う戦(たたか)いを以(もっ)て喩(たと)えん。塡然(てんぜん)(※)として之(これ)に鼓(こ)し、兵刃(へいじん)(※)既(すで)に接(せっ)す(※)。甲(こう)(※)を棄(す)て兵(へい)を曳(ひ)いて走(はし)る。或(ある)いは百歩(ひゃっぽ)(※)にして後(のち)止(とど)まり、或(ある)いは五十歩(ごじゅっぽ)にして後(のち)止(とど)まる。五十歩(ごじっぽ)を以(もっ)て百歩(ひゃっぽ)を笑(わら)わば、則(すなわ)ち何如(いかん)。曰(いわ)く、不可(ふか)なり。直(ただ)に百歩(ひゃっぽ)ならざるのみ、是(こ)れ亦(また)走(に)ぐるなり。曰(いわ)く、王(おう)如(も)し此(これ)を知(し)らば、則(すなわ)ち民(たみ)の鄰国(りんごく)より多(おお)きを望(のぞ)む無(な)かれ。

(※)塡然……太鼓の音がドンドンと鳴ることの形容。
(※)兵刃……「兵」はここでは、武器を指す、「刃」はやいばのついた武器を指す。なお、本書の梁恵王(上)第三章五参照。
(※)接す……敵味方が斬り合うこと。
(※)甲……鎧のこと(拙著『全文完全対照版 孫子コンプリート』軍争篇参照)。
(※)歩……古代中国では、一歩を六尺としていたといわれる。有名なことわざの「五十歩百歩」は、ここから出ている。ここで孟子が言いたかったことは、次に説明するように〝王道〟からすれば恵王のしていることは、隣国の王のしていることと大差はなく、この「五十歩百歩」の差にすぎないものである。だから、自分の国の民が増えなくても文句は言えないということになる。

【原文】
孟子對曰、王好戰、請以戰喩、塡然鼓之、兵刃旣接、棄甲曳兵而走、或百步而後止、或五十步而後止、以五十步笑百步、則何如、曰、不可、直不百步耳、是亦走也、曰、王如知此、則無望民之多於鄰國也、

 

3‐3 王道でいくべきである


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「農繫期を避けて、民を夫役に使うようにすれば、穀物はとても食べきれないほどに良くできるようになります。また、目の細かい網を使って池のなかで、小さい魚まで取りつくさないようにすれば、魚やすっぽんはとても食べきれないようになります。さらに、乱伐をするのをやめ適当な時期に限って斧(おの)や斤(まさかり)で木を伐るようにすれば、材木はとても使いきれないほどになります。このように穀物と魚やすっぽんなどが食べきれないほどあり、材木も使いきれないほどになれば、民をして生活を安定させ、生きている者を十分に養い、死者を丁寧に弔うことができます。これこそ王道の始めとなるものです」。

【読み下し文】
農時(のうじ)を違(たが)わざれば、穀(こく)勝(あ)げて食(くら)うべからず(※)。数罟(そくこ)(※)洿池(おち)(※)に入(い)らざらしめば、魚鼈(ぎょべつ)勝(あ)げて食(くら)うべからず。斧斤(ふきん)時(とき)を以(もっ)て山林(さんりん)に入(い)れば、材木(ざいもく)勝(あ)げて用(もち)うべからず。穀(こく)と魚鼈(ぎょべつ)と勝(あ)げて食(くら)うべからず、材木(ざいもく)勝(あ)げて用(もち)うべからざるは、是(こ)れ民(たみ)をして生(せい)を養(やしな)い死(し)を喪(そう)して憾(うら)み無(な)からしむるなり。生(せい)を養(やしな)い死(し)を喪(そう)して憾(うら)み無(な)きは、王道(おうどう)(※)の始(はじ)めなり。

(※)勝げて食うべからず……とても食べきれない。
(※)数罟……目の細かい網。
(※)洿池……「洿」は土地が低くなって自然に水のたまったところ。池は人が掘って作ったところ。
(※)王道……仁政によって、民の生活を安定させていくこと。“王道論”は孟子の主張の柱である。もちろん古代中国という歴史の制約のなかでの主張であるから、現代の眼から見ると限界は多い。しかし、その民への温かい配慮と、それを実践していくための王の道義性を厳しく要求していくという思想は、今も決して朽ちるものではない。吉田松陰が強い影響を受け、明治維新への大きな原動力となったのもうなずける。

【原文】
不違農時、穀不可勝食也、數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也、斧斤以時入山林、材木不可勝用也、穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也、養生喪死無憾、王道之始也、

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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