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第104回

252〜253話

2021.08.20更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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4‐1 斉東野人の話


【現代語訳】
(弟子の)咸丘蒙が問うて言った。「古語に、『徳の優れて高い人は、君も臣下にして扱うことはできず、父も子どもとして扱うことができない。舜が夫子となって南面すると、今まで帝であった堯は諸侯を率いて北面して仕えるという臣下の礼で朝し、舜の父の瞽瞍もまた北面して朝した。しかし、舜は、そのようにする瞽瞍を見て、恐縮して身を縮めた。このことを孔子は批評して、このときばかりは天下は落ちつかず不安定で危うかった、と言われた』とありますが、この古語は本当のことを言っているのでしょうか」。孟子は答えて言った。「いや、違う。これは君子の言葉ではなく、斉東野人、つまり道理のわからない田舎者の言ったでたらめな話だ。堯が年老いたため、舜は摂政として政治を扱ったまでである。『書経』の堯典には、こう書いてある。『舜が摂政となって二十八年、帝堯は遂に崩御された。百官は自分の父母の喪に服するように喪を行い、三年間、天下の人々は楽器を奏することをやめて謹慎した』と(舜は堯の存命中には天子になっていない)。孔子も言った。『天に二つの日がないのと同じように、民に二人の天子はない』と。舜がもし、堯が死ぬ前に天子となり、堯の死後に天下の諸侯を率いて、堯の三年の喪をやっていたとすれば、二人の天子がいたことになる(そんなわけはないだろう)」。

【読み下し文】
咸丘蒙(かんきゅうもう)問(と)うて曰(いわ)く、語(ご)に云(い)う、盛徳(せいとく)の士(し)は、君(きみ)も得(え)て臣(しん)とせず。父(ちち)も得(え)て子(こ)とせず。舜(しゅん)南面(なんめん)(※)して立(た)つや、堯(ぎょう)諸侯(しょこう)を帥(ひき)いて、北面(ほくめん)(※)して之(これ)に朝(ちょう)す。瞽瞍(こそう)も亦(また)北面(ほくめん)して之(これ)に朝(ちょう)す。舜(しゅん)、瞽瞍(こそう)を見(み)て、其(そ)の容(かたち)蹙(いた)める(※)有(あ)り。孔子(こうし)曰(いわ)く、斯(こ)の時(とき)に於(お)いてや、天下(てんか)殆(あやう)いかな、岌岌乎(きゅうきゅうこ)(※)たり、と。識(し)らず、此(こ)の語(ご)誠(まこと)に然(しか)るか。孟子(もうし)曰(いわ)く、否(いな)。此(こ)れ君子(くんし)の言(げん)に非(あら)ず、斉(せい)東野人(とうやじん)(※)の語(ご)なり。堯(ぎょう)老(ろう)して舜(しゅん)摂(せっ)するなり。堯(ぎょう)典(てん)に曰(いわ)く、二十有八載(にじゅうゆうはちさい)、放勲(ほうくん)乃(すなわ)ち徂落(そらく)(※)す。百姓(ひゃくせい)(※)考妣(こうひ)(※)を喪(も)するが如(ごと)し。三年(さんねん)、四海(しかい)八音(はちいん)(※)を密(あつみつ)(※)す。孔子(こうし)曰(いわ)く、天(てん)に二日(にじつ)無(な)く、民(たみ)に二王(におう)無(な)し、と。舜(しゅん)既(すで)に天子(てんし)たり。又(また)天下(てんか)の諸侯(しょこう)を帥(ひき)いて、以(もっ)て堯(ぎょう)の三年(さんねん)の喪(も)を為(な)さば、是(こ)れ二(に)天子(てんし)なり。

(※)南面……君主となること。南は陽の向きであるから。
(※)北面……臣従すること。家来になること。南面する君主の座に対して、北面する臣の座を意味する。
(※)容蹙める……恐縮して身を縮める。
(※)岌岌乎……落ちつかず、不安定な様子。「岌岌乎」は、もとは高くそびえるさまをいう。それが転じた。
(※)斉東野人……今も使われる言葉である。『国語大辞典』(小学館)によると、「(斉国東方の田舎人は)、愚かでその言語が信用できないという人を軽蔑していう語。道理のわからない田舎者」、とある。ここの『孟子』がその出典である。
(※)徂落……死ぬこと。「徂」は升(のぼ)ること。「落」は降りること。魂は天に升り、魄は地に降りるとされることから死ぬことを指した。
(※)百姓……百官と解する説と広く民を解する説がある。ここでは前説を取った。
(※)考妣……死んだ父母。
(※)八音……楽器。
(※)遏密す……やめる。「遏」は止、「密」は静の意。

【原文】
咸丘蒙問曰、語云、盛德之士、君不得而臣、父不得而子、舜南面而立、堯帥諸侯、北面而朝之、瞽瞍亦北面而朝之、舜、見瞽瞍、其容有蹙、孔子曰、於斯時也、天下殆哉、岌岌乎、不識、此語誠然乎哉、孟子曰、否、此非君子之言、齊東野人之語也、堯老而舜攝也、堯典曰、二十有八載、放勳乃徂落、百姓如喪考妣、三年、四海遏密八音、孔子曰、天無二日、民無二王、舜既爲天子矣、又帥天下諸侯、以爲堯三年喪、是二天子矣。

 

4‐2 文章を読むときにはその真意をつかむ


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。咸丘蒙はさらに尋ねた。「舜が堯を臣としなかったことについては、先生の教えでよくわかりました。しかし、『詩経』には次のような記述があります。『あまねく天下は、王の領土でないところはなく、土地の続く限りの果てまで、そこに住む民は王の臣下でないものはない』と。そして舜は天子となりました。では、(誰もが臣下であるはずなのに)父親の瞽瞍が臣下ではないとは、いったいどういうことですか。私にはよくわかりません」。孟子は答えた。「この詩は、そういう意味ではない。(周の幽王の)時の大夫たちが王事に労役され(戦争に就かされて)、父母を養うこともできないことを嘆いたものである。詩の意味するところは、この労役は皆王事でないものはない(だから臣が従事することについては仕方がない)。しかし、自分だけがこんなに苦労させられているのはおかしい(労役の分担が不平等である)、というようなことだ(親をも臣下と見るようなことを言っているのではない)。詩を説く者は、一つの文字、言葉にこだわって文章の意味をとり間違えてはいけない。また、文章にこだわって全体の趣旨(作者の意図)を見間違えてはいけない。自分の心をもって、作者の言おうとしているものを迎えて、理解しなければならない。もし言葉にとらわれると、例えば、『詩経』の雲漢にある詩には、『(厲王の乱後)、周の生き残りの民は一人もいなくなった』とあるが、この言葉をその通りに解すると周には一人の民もいなくなったとなってしまうが、そんなことはありえないのである(厲王の乱後、飢饉などで多くの民が死んだことを詠んだ詩である)。いったい孝子の行いの極致は、その親を尊ぶより大きなものはなく、また、親を尊ぶことの極致は、天下の富をもってして孝養するより大きなものはない。瞽瞍は天子の父となったのだから、尊ぶことの到地であるし、また天下の富で孝養したのであるから、孝養の極致なのである。『詩経』にも次のようにある。『私は長く、孝養を尽くしたいと思う、このように孝を思うなら、それが自然と天下の決まりとなっていく』と。これはこうした孝行の行いのことを言っている。また『書経』にも次のようにある。『舜は、いつも子としての務めを果たし、父瞽瞍に会うときには、とても恐れ慎んだ。すると瞽瞍も遂に舜に心から従うようになった』とある。このことこそが、父でありながらむやみに子としてこれを扱うことができない、ということなのだ(父をただ臣として朝させたということではない)」。

【読み下し文】
咸丘蒙(かんきゅうもう)曰(いわ)く、舜(しゅん)の堯(ぎょう)を臣(しん)とせざるは、則(すなわ)ち吾(わ)れ既(すで)に命(めい)を聞(き)くことを得(え)たり。詩(し)に云(い)う、普天(ふてん)の下(もと)(※)、王土(おうど)に非(あら)ざるは莫(な)く、率土(そつど)の浜(ひん)(※)、王臣(おうしん)に非(あら)ざるは莫(な)し、と。而(しか)して舜(しゅん)既(すで)に天子(てんし)と為(な)る。敢(あえ)て問(と)う、瞽瞍(こそう)の臣(しん)に非(あら)ざるは、如何(いかん)。曰(いわ)く、是(こ)の詩(し)や、是(これ)の謂(いい)に非(あら)ざるなり。王事(おうじ)(※)に労(ろう)して、父母(ふぼ)を養(やしな)うことを得(え)ざるなり。曰(いわ)く、此(こ)れ王事(おうじ)に非(あら)ざること莫(な)し。我(われ)独(ひと)り賢労(けんろう)す(※)、と。故(ゆえ)に詩(し)を説(と)く者(もの)は、文(ぶん)を以(もっ)て辞(じ)(※)を害(がい)せず。辞(じ)を以(もっ)て志(こころざし)(※)を害(がい)せず。意(い)を以(もっ)て志(こころざし)を逆(むか)う。是(こ)れ之(これ)を得(え)たりと為(な)す。如(も)し辞(じ)のみを以(もっ)てせば、雲漢(うんかん)の詩(し)に曰(いわ)く、周余(しゅうよ)の黎民(れいみん)、孑遺(げつい)有(あ)ること靡(な)し(※)、と。斯(こ)の言(げん)を信(しん)ぜば、是(こ)れ周(しゅう)に遺民(いみん)無(な)きなり。孝子(こうし)の至(いた)りは、親(おや)を尊(たっと)ぶより大(だい)なるは莫(な)し。親(おや)を尊(たっと)ぶの至(いた)りは、天下(てんか)を以(もっ)て養(やしな)うより大(だい)なるは莫(な)し。天子(てんし)の父(ちち)たるは、尊(たっと)ぶの至(いたり)なり。天下(てんか)を以(もっ)て養(やしな)うは、養(やしな)うの至(いた)りなり。詩(し)に曰(いわ)く、永(なが)く言(われ)孝(こう)を思(おも)う。孝(こう)を思(おも)えば維(こ)れ則(そく)たり、と。此(こ)れの謂(いい)なり。書(しょ)に曰(いわ)く、載(こと)を祗(つつし)みて瞽瞍(こそう)に見(まみ)え、虁虁(きき)として(※)斉栗(せいりつ)(※)す。瞽瞍(こそう)も亦(また)允(まこと)とし若(したが)へり(※)、と。是(これ)を父(ちち)得(え)て子(こ)とせずと為(な)す。

(※)普天の下……あまねく天下は。
(※)率土の浜……土地の続く限り。「率土」は陸地の続く限り、「浜」は海のほとりを意味する。
(※)王事……王のための仕事。国事。
(※)賢労す……苦労させられている。
(※)辞……文章。語句。
(※)志……ここでは、精神、心の意味。詩全体、文全体が言おうとしていること。
(※)孑遺有ること靡し……生き残りの民は一人もなく。「孑」は単の意味。
(※)虁虁として……恐れ慎んでの形容。「虁虁(かしこ)みて」と読む人もある。
(※)斉栗……恐れ慎む。「斉(つつ)しみ栗(おそ)れ」と読む人もある。
(※)允とし若へり……心から従う。「允」には、まことに、許すなどの意味がある。

【原文】
咸丘蒙曰、舜之不臣堯、則吾既得聞命矣、詩云、普天之下、莫非王土、卛土之濱、莫非王臣、而舜既爲天子矣、敢問、瞽瞍之非臣、如何、曰、是詩也、非是之謂也、勞於王事、而不得羪父母也、曰、此莫非王事、我獨賢勞也、故說詩者、不以文害辭、不以辭害志、以意逆志、是爲得之、如以辭而已矣、雲漢之詩曰、周餘黎民、靡有孑遺、信斯言也、是周無遺民也、孝子之至、莫大乎尊親、尊親之至、莫大乎以天下羪、爲天子父、尊之至也、以天下羪、羪之至也、詩曰、永言孝思、孝思惟則、此之謂也、書曰、祗載見瞽瞍、虁虁齊栗、瞽瞍亦允、若是爲父不得而子也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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