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第39回

93〜95話

2021.05.19更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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7‐1 職業は慎重に選ぶ


【現代語訳】
孟子は言った。「矢をつくる職人が、鎧(よろい)をつくる職人より不仁ということはない。ただ、矢をつくる職人は、自分のつくる矢のできが悪くて人を傷つけぬようでは困ることを心配し、反対に鎧をつくる職人は、自分のつくる鎧のできが悪くて人が傷つくようでは困ると心配する。人の病気を治すことを考える巫女(みこ)と、人が死ぬことで儲かる棺桶屋の関係も同じである。ゆえに人がどんな職業の技術を身につけるかによって、仁と不仁の向かうところがそれぞれ決まってくるのであるから、その選択は慎重でなければならない」。

【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、矢人(しじん)(※)は豈(あに)函人(かんじん)(※)より不仁(ふじん)ならんや。矢人(しじん)は惟(ただ)人(ひと)を傷(きず)つけざらんことを恐(おそ)れ、函人(かんじん)は惟人(ただひと)を傷(きず)つけんことを恐(おそ)る。巫匠(ふしょう)(※)も亦(また)然(しか)り。故(ゆえ)に術(じゅつ)(※)は慎(つつし)まざるべからざるなり。

(※)矢人……矢をつくる職人。
(※)函人……鎧をつくる職人。「函」は「甲」と同じ。
(※)巫匠……「巫」は巫女で、「匠」はここでは棺桶屋を指す。「巫」については『論語』でも次のように使っている。「子(し)曰(いわ)く、南人(なんじん)言(い)えること有(あ)り、曰(いわ)く、人(ひと)にして恒(つね)無(な)ければ、以(もっ)て巫医(ふい)を作(な)すべからず」(子路第十三)。「巫」は巫女で、「匠」は医者を指している。
(※)術……職業。技術。孟子が本項で言いたいことは何か。難しいところがある。職業によって仁、不仁が決まるわけではなく、どんな職業についても仁を目指すということとも考えられる。一方、職業によっては、仕事に誠実なことが、不仁に近い考えを持つことにもなるので、職業を選ぶのは慎重になるべきだと述べているとも解される。例えば、極端な例だと、詐欺師や暴力団では、仁を目指せといっても難しくなる。

【原文】
孟子曰、矢人豈不仁於函人哉、矢人惟恐不傷人、函人惟恐傷人、巫匠亦然、故術不可不愼也。

 

7‐2 仁を行うしかない


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「孔子は言っている。『人は仁の徳のなかに身を置くのがよい。やろうと思えばできるのに、自分でわざわざ選んで仁の徳のなかに身を置かないというのは智者とはいえない』と。そもそも仁は天の与えた尊い爵位である。また、人の安宅すなわち安心して暮らせる家である。人が仁に居つくことを誰も妨害しないのに、わざわざ自分から不仁に身を置くというのは、智者の行いではない。不仁(仁がない)、不智(智者でない)、無礼(礼がない)、無義(義をわきまえない)というような者は人に使われるだけの人間である。人に使われるだけの奴隷的人間が、使われるのを恥じるのは、ちょうど弓をつくる職人が、弓をつくるのを恥と思い、矢をつくる職人が矢をつくるのを恥と思うようなものである。もし、人に使われるのを恥と思うのならば、不仁を去り、仁を行うようにするしかないのだ」。

【読み下し文】
孔子(こうし)曰(いわ)く、仁(じん)に里(お)るを美(び)と為(な)す(※)。択(えら)んで仁(じん)に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ智(ち)たることを得(え)ん、と。夫(そ)れ仁(じん)は、天(てん)の尊爵(そんしゃく)なり。人(ひと)の安宅(あんたく)なり。之(これ)を禦(とど)むる莫(な)くして不仁(ふじん)なるは、是(こ)れ不智(ふち)なり。不仁(ふじん)・不智(ふち)・無礼(ぶれい)・無義(ぶぎ)は、人(ひと)の役(えき)なり。人(ひと)の役(えき)にして役(えき)を為(な)すを恥(は)ずるは、由(な)お弓人(きゅうじん)にして弓(ゆみ)を為(つく)るを恥(は)じ、矢人(しじん)にして矢(や)を為(つく)るを恥(は)ずるがごとし。如(も)し之(これ)を恥(は)じなば、仁(じん)を為(な)すに如(し)くは莫(な)し。

(※)仁に里るを美と為す……孔子の言葉で、「人は仁の徳のなかに身を置くのが良い」(里仁第四)というものである。実は、『論語』の「里仁為美」は、この読み方のほかに「里(り)は仁(じん)なるを美(び)と為(な)す」という読み方もある。訳は「自分の住むところを定めるときは、仁にあふれる人の多い、良い場所を選ぶべきだろう」などとなる。どちらかというと、こちらが通説である。私も、『全文完全対照版 論語コンプリート』では、そう読んだ。しかし、『孟子』のここでは、読み下し文と訳のように読むのが素直で、そのほうが孟子の考えに合うと解される。

【原文】
孔子曰、里仁爲美、擇不處仁、焉得智、夫仁、天之尊爵也、人之安宅也、莫之禦而不仁、是不智也、不仁・不智・無禮・無義、人役也、人役而恥爲役、由弓人而恥爲弓、矢人而恥爲矢也、如恥之、莫如爲仁。

 

7‐3 自分自身についてよく反省するだけである


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「仁者の態度は、射術競技で矢を射る人のようなものである。弓を射る者は、まず自分の身構えを正しくして、その後に矢を発する。矢を発して的にあたらなくても、自分に勝った者を怨むことはない。あたらなかった理由を考え、自分自身についてよく反省するだけである」。

【読み下し文】
仁者(じんしゃ)は射(しゃ)の如(ごと)し。射(い)(※)る者(もの)は己(おのれ)を正(ただ)しうして後(のち)に発(はっ)す。発(はっ)して中(あた)らざるも、己(おのれ)に勝(か)つ者(もの)を怨(うら)みず。諸(これ)を己(おのれ)に反求(はんきゅう)するのみ。

(※)射……射芸のこと。当時の教養とされた六(りく)芸(げい)(礼、楽、射、御、書、数)の一つ。心を正しくするものとして重要視された。本章で「矢人、函人で始められた文章を、射でしめくくる孟子の文章力をほめる人は多い(文章の達人、頼山陽など)。なお、『論語』にも次のようなものがある。「君(くん)子(し)は争(あらそ)う所(ところ)無(な)し。必(かなら)ずや射(しゃ)か。揖譲(ゆうじょう)して升(のぼ)り、下(くだ)りて飲(の)む。其(そ)の争(あらそ)いや君子(くんし)なり」(八佾第三)。

【原文】
仁者如射、射者正己而後發、發而不中、不怨勝己者、反求諸己而已矣。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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