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第44回

105〜106話

2021.05.26更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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2‐4 世俗の地位だけでその人間が上と判断してはならない


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。景子は反論した。「いや。私が言おうとしたのは、そういうことではありません。『礼』に言うように、『父が呼んだら、ただちに、はいと返事してすぐ立つ。君が命じて召されたら、馬車のしたくも待たずにすぐ向かう』のが当然です。先生はもともと、自分のほうから朝廷に出かけようとしていたのです。そこに王のほうから来てほしいとの命令があったため、かえって行くことをやめられてしまいました。これは、『礼』の教えにまったく合わないのではないですか」。孟子は言った。「そういうことですか。私はそこを問題にしたのではなりません。曾子は言いました。『(大国である)晋や楚の富にはかなわない。しかし、彼らがその富を誇るとしても、私は自分の仁の徳を誇りにする。彼らが、その爵位を誇る(地位、自分を誇り)としても、私は義の徳を誇りにする。私は彼らに引け目なんかないのだ』と。どうして道理に合わないことを、曾子ほどの人が言いましょうか。これも一つの道理です。天下で広く尊ばれているものが三つあります。爵位、年齢、道徳です。朝廷では爵が一番尊ばれ、郷里では年齢が一番尊ばれ、世を助ける民の長としては、道徳が一番尊ばれます。とすると、(斉王はこの三つのなかの)一つだけ持っている者が(斉王のことを言っている)、その二つを持っている者(孟子のことを言っている)を侮り、軽んずることができましょうか」。

【読み下し文】
景子(けいし)曰(いわ)く、否(いな)、此(これ)の謂(いい)に非(あら)ざるなり。礼(れい)(※)に曰(いわ)く、父(ちち)召(め)せば諾(だく)する無(な)し(※)。君(きみ)命(めい)じて召(め)せば駕(が)(※)するを俟(ま)たず、と。固(もと)より将(まさ)に朝(ちょう)せんとするなり。王(おう)の命(めい)を聞(き)いて遂(つい)に果(はた)さず。宜(ほと)んど夫(か)の礼(れい)と相(あい)似(に)ざるが若(ごと)く然(しか)り。曰(いわ)く、豈(あに)是(これ)を謂(い)わんや(※)。曾子(そうし)曰(いわ)く、晋(しん)・楚(そ)の富(とみ)は、及(およ)ぶ可(べ)からざるなり。彼(かれ)は其(そ)の富(とみ)を以(もっ)てし、我(われ)は吾(わ)が仁(じん)を以(もっ)てす。彼(かれ)は其(そ)の爵(しゃく)を以(もっ)てし、我(われ)は吾(わ)が義(ぎ)を以(もっ)てす。吾(わ)れ何(なん)ぞ慊(けん)せんや、と。夫(そ)れ豈(あに)不義(ふぎ)にして、曾(そうし)子之(これ)を言(い)わんや。是(こ)れ或(ある)いは一道(いちどう)なり。天下(てんか)に達尊(たつそん)三(さん)有(あ)り。爵一(しゃくいつ)、歯一(しいつ)、徳一(とくいつ)。朝廷(ちょうてい)は爵(しゃく)に如(し)くは莫(な)く、郷党(きょうとう)は歯(し)に如(し)くは莫(な)く、世(よ)を輔(たす)け民(たみ)に長(ちょう)たるは徳(とく)に如(し)くは莫(な)し。悪(いずく)んぞ其(そ)の一(いつ)を有(ゆう)して、以(もっ)て其(そ)の二(に)を慢(あなど)ることを得(え)んや。

(※)礼……礼。古い「礼」の書があったと思われる。『礼記』にも、この二つの例はある。また『論語』にも「君(きみ)、命(めい)じて召(め)せば、駕(が)を俟(ま)たずして行(い)く」(郷党第十)とある。
(※)諾する無し……ただちに、「はい」と返事してすぐ立つ。
(※)駕……馬車のしたく。馬に車をつける。
(※)豈是を謂わんや……そういうことですか。私の言っていることはそうではありません(『礼』の言っていることはそうですが、私のこの場合にはあてはまりません)。孟子の本項での理屈は少し強引のように思えるが、それだけ譲ることのできない孟子の考えだったのであろう。私なりに孟子の心を推測してみると、最初は自分の方から会いに行くつもりだった。しかし、王が見えすいた嘘を言って自分を呼んだので、これは一つ、王を指導する良い機会だと考えて思いついたに違いない。王を怒らせて不利になるという危険を冒してまでやるその孟子の意志の強さは半端ではない。それが人には、生意気に見えてしまうのであろう。最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれ、『論語』『孟子』解釈でも定評のある穂積重遠氏は、「孔子ならば琴をひいてそれとなく居留守だということをほのめかすところを、孟子は景子をつかまえて理窟を言う。そこが孟子らしいところか」と述べられている(『新訳孟子』講談社学術文庫)。また、孟子をいつもは肯定的に見ている金谷治氏においても「仁義を講談する自分の立場を、できるだけ高く評価されたいという気持ちのはたらいていることは、否定できない」と言われている(『孟子(上)』朝日文庫)。

【原文】
景子曰、否、非此之謂也、禮曰、父召無諾、君命召不俟駕、固將朝也、聞王命而遂不果、宜與夫禮若不相似然、曰、豈謂是與、曾子曰、晉・楚之富、不可及也、彼以其富、我以吾仁、彼以其爵、我以吾義、吾何慊乎哉、夫豈不義、而曾子言之、是或一道也、天下有逹尊三、爵一、齒一、德一、朝廷莫如爵、郷黨莫如齒、輔世長民莫如德、惡得有其一、以慢其二哉。

 

2‐5 できるトップは部下であっても呼びつけない関係(教えを乞う関係)を持つ


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「だから、これから大きなことをしていこうという君主は、必ず自分のところに呼びつけないという臣がいるものです。何か相談したいことがあるときは、君主のほうから出かけていって、その臣下に相談するのです。このように君主が徳を尊び、道を楽しむようでないと、ともに事を成し遂げていくことはできません。だから(殷の)湯王が伊尹に対して、まず師として学んでから、臣として用いたのです。そうだから、湯王は、自らはそんなに苦労もせずに、伊尹のおかげで王者となったのです。また、(斉の)桓公が管仲に対しても、まず師として学んでから臣としました。そのため、桓公は自らそんなに苦労することなく、覇者となったのです。今、天下は、諸侯たちの間で領土も似たりよったりのものですし、徳も同じようなものです。抜きん出た者はいません。これは、どの君主も自分が教えてやるような大したことない臣ばかりを好み、自分が教えを受けるような、優れた者を臣とするのを好まないためです。湯王の伊尹に対する接し方、桓公の管仲に対する接し方は、呼びつけないというものでした。このようにあの管仲にでさえ呼びつけられなかったのです。ましては管仲のような覇者でなく、それをよしとしない私のような王者を目指すことを教える者を呼びつけるのは良くないというべきではありませんか」。

【読み下し文】
故(ゆえ)に将(まさ)に大(おお)いに為(な)す有(あ)らんとするの君(きみ)は、必(かなら)ず召(め)さざる所(ところ)の臣(しん)(※)有(あ)り。謀(はか)ること有(あ)らんと欲(ほっ)すれば、則(すなわ)ち之(これ)に就(つ)く。其(そ)の徳(とく)を尊(たっと)び道(みち)を楽(たの)しむこと、是(かく)の如(ごと)くならざれば、与(とも)に為(な)す有(あ)るに足(た)らざるなり。故(ゆえ)に湯(とう)の伊尹(いいん)に於(お)ける、学(まな)んで而(しか)る後(のち)に之(これ)を臣(しん)とす。故(ゆえ)に労(ろう)せずして王(おう)たり。桓公(かんこう)の管(かん)仲(ちゅう)に於(お)ける、学(まな)んで而(しか)る後(のち)に之(これ)を臣(しん)とす。故(ゆえ)に労(ろう)せずして覇(は)たり。今、(いま)天下(てんか)地醜(ちたぐい)し(※)徳(とく)斉(ひと)しく、能(よ)く相(あい)尚(くわ)うる(※)莫(な)きは、他(た)無(な)し。其(そ)の教(おし)うる所(ところ)を臣(しん)とするを好(この)んで、其(そ)の教(おし)えを受(う)くる所(ところ)を臣(しん)とするを好(この)まざればなり。湯(とう)の伊尹(いいん)に於(お)ける、桓公(かんこう)の管仲(かんちゅう)に於(お)けるは、則(すなわ)ち敢(あえ)て召(め)さず。管仲(かんちゅう)すら且(か)つ猶(な)お召(め)す可(べ)からず。而(しか)るを況(いわ)んや管仲(かんちゅう)たらざる者(もの)をや(※)。

(※)召さざる所の臣……呼びつけない臣。君の師でもあるので、呼びつけてはならないという臣。
(※)地醜し……領地が似たりよったり。領地が大体同じ。「醜」は「たぐい」と読み、おなじ、仲間、並ぶ、などを意味する。
(※)相尚うる……ほかから抜きんでた者。「尚」はここでは高いとか抜きん出ているの意。
(※)而るを況んや管仲たらざる者をや……管仲なんかでない者。ここでは孟子のことを指している。孟子が管仲を批判的に見ていることは、公孫丑(上)第一章一で見る通りである。ここでも孟子らしい自負と誇り、そして強い覚悟が示されている。

【原文】
故將大有爲之君、必有所不召之臣、欲有謀焉、則就之、其尊德樂道、不如是、不足與有爲也、故湯之於伊尹、學焉而後臣之、故不勞而王、桓公之於管仲、學焉而後臣之、故不勞而霸、今、天下地醜德齊、莫能相尚、無他、好臣其所教、而不好臣其所受教、湯之於伊尹、桓公之於管仲、則不敢召、管仲且猶不可召、而況不爲管仲者乎。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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