Facebook
Twitter
RSS

第56回

133〜135話

2021.06.11更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
「目次」はこちら

3‐1 民の生活、生存に関することは、急いでやらなければならない


【現代語訳】
滕の文公は、孟子に国を治める心得を問うた。孟子は言った。「民事すなわち民の生活、生存に関することは、ゆるゆるとしてはならず、急務なことと心得るべきです。『詩経』にもこうあります。『お前たちよ、昼は野に出て茅を刈れ。夜は家に帰って縄をなえ。そして、今のうちにすみやかに屋根の修繕をしておけ。(春になると)多くの穀物の種をまかねばならぬぞ』と。そもそも民の生き方というのは、恒産あるものは恒心あり。恒産なきものは恒心なし、です。すなわち決まった仕事があって収入があり、生活が安定しないと良き心も定まるものではありません。もし恒心がないとなると、どんな悪徳、悪事でもするようになります。こうして罪に陥れておいて、刑罰を加える。これは刑罰という網を張っておいて民を網にかけるようなものです。どうして仁ある人が君主の位に就いていながら、民を網にかけるようなことができましょうか」。

【読み下し文】
滕(とう)の文公(ぶんこう)国(くに)を為(おさ)むるを問(と)う。孟子(もうし)曰(いわ)く、民事(みんじ)(※)は緩(ゆる)うすべからざるなり。詩(し)に云(い)う、昼(ひる)は爾(なんじ)于(ゆ)きて(※)茅(かや)かれ。宵(よる)は爾(なんじ)索(なわ)を綯(な)え。亟(すみや)かに其(そ)れ屋(おく)に乗(の)れ。其(そ)れ始(はじ)めて百穀(ひゃっこく)を播(は)せん、と。民(たみ)の道(みち)たるや、恒産(こうさん)(※)有(あ)る者(もの)は恒心(こうしん)(※)有(あ)り。恒産(こうさん)無(な)き者(もの)は恒心(こうしん)無(な)し。苟(いやしく)も恒心(こうしん)無(な)ければ、放辟邪侈(ほうへきじゃし)(※)、為(な)さざる無(な)きのみ。罪(つみ)に陥(おちい)るに及(およ)んで、然(しか)る後(のち)従(したが)って之(これ)を刑(けい)す。是(こ)れ民(たみ)を罔(あみ)するなり。焉(いずく)んぞ仁人(じんじん)位(くらい)に在(あ)る有(あ)りて、民(たみ)を罔(あみ)して為(な)す可(べ)けんや。

(※)民事……民の生活、生存に関すること。当時は、農業する人がほとんどだから特に農事に関することを指す。
(※)于きて……出て。「ゆきて」と読む。なお、「ここに」と読む人もある。
(※)恒産……決まった仕事があり、決まった収入がある。梁恵王(上)第七章十一参照。
(※)恒心……揺るがない正しい心。
(※)放辟邪侈……どんな悪徳、悪事。わがまま、かたより、よこしま、ほしいまま。

【原文】
滕文公問爲國、孟子曰、民事不可緩也、詩云、晝爾于茅、宵爾索綯、亟其乘屋、其始播百穀、民之爲衜也、有恆產者有恆心、無恆產者無恆心、苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已、及陷於罪、然後從而刑之、是罔民也、焉有仁人在位、罔民而可爲也。

 

3‐2 民のことを考えて税制を考える


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「だから、賢君というのは、必ず人に対してはうやうやしくし、自分に対しては慎ましくあり、下の者にも礼をもって接し、民から税を取るにも、制限を課したのです。(魯の季氏の家臣だった)陽虎は、言いました。『自分の富をつくろうと思うと仁ではできない。仁であろうとすると富は増やせない』と。さて、昔の夏后氏の時代は、五十畝の土地を与えて貢という税制を取りました。殷の時代には、七十畝与えて助という税制を取りました。周の時代には、百畝を与えて徹という税制を取りました。それぞれ税制は異なるようでも、十分の一の課税でした。徹とは、徹取するという意味で、収穫高に応じて税を取るということです。助とは藉、つまり力を借りるということです。昔の賢者である龍子は言っています。『土地を治めるには、助が最も良く、貢が一番悪い』と。なぜかというと貢という税制は、数年間の平均を出して、課税するからです。豊作の年には穀物が散らかるほど取れます。この場合、税が増えても虐政とはなりませんが、前もって決まっただけ税を取るのです。逆に、凶作の年には、いくら田に肥料をやっても、収穫は少ないのに、やはり決まった額を必ず取るのです。民の父母という君主の地位にありながら、民を怨むようにさせ、一年中必死に働いても、自分の父母も養うことができないようにさせるのです。そして官が種もみやお金を貸して、利息をつけて取って、儲け、老人や幼い子どもたちを溝や谷間に飢え死にさせ転がすのです。これで、どうして民の父母と言えましょう」。

【読み下し文】
是(こ)の故(ゆえ)に賢君(けんくん)は必(かなら)ず恭倹(きょうけん)(※)にして下(しも)を礼(れい)し、民(たみ)に取(と)るに制(せい)有(あ)り。陽虎(ようこ)(※)曰(いわ)く、富(とみ)を為(な)せば仁(じん)為(な)らず。仁(じん)を為(な)せば富(と)まず、と。夏后氏(かこうし)は五十(ごじゅう)にして貢(こう)し、殷人(いんひと)は七十(しちじゅう)にして助(じょ)し、周人(しゅうひと)は百畝(ひゃくぼ)にして徹(てつ)す。其(そ)の実(じつ)は皆(みな)什(じゅう)の一(いつ)なり。徹(てつ)とは徹(てつ)なり。助(じょ)とは藉(しゃ)なり。龍子(りょうし)(※)曰(いわ)く、地(ち)を治(おさ)むるは助(じょ)より善(よ)きは莫(な)く、貢(こう)より善(よ)からざるは莫(な)し、と。貢(こう)とは数歳(すうさい)の中(ちゅう)を校(こう)して以(もっ)て常(つね)と為(な)すなり。楽歳(らくさい)には粒米(りゅうまい)狼戻(ろうれい)(※)す。多(おお)く之(これ)を取(と)るも虐(ぎゃく)と為(な)さざるに、則(すなわ)ち寡(すくな)く之(これ)を取(と)る。凶年(きょうねん)には其(そ)の田(でん)に糞(ふん)するも而(しか)も足(た)らざるに、則(すなわ)ち必(かなら)ず盈(えい)を取(と)る(※)。民(たみ)の父母(ふぼ)と為(な)りて、民(たみ)をして盻盻然(けいけいぜん)(※)として、将(は)た終歳(しゅうさい)勤動(きんどう)するも、以(もっ)て其(そ)の父母(ふぼ)を養(やしな)うを得(え)ざらしむ。又(また)称貸(しょうたい)して之(これ)を益(ま)し、老稚(ろうち)をして溝壑(こうがく)に転(てん)ぜしむ。悪(いずく)んぞ其(そ)の民(たみ)の父母(ふぼ)たるに在(あ)らんや。

(※)恭倹……人に対してはうやうやしく、自分に対してはつつましくある。
(※)陽虎……魯の季氏の家臣。『論語』に出てくる陽貨とされる。なお、陽貨については、滕文公(下)第七章にも出てくる。日本の漢文学者・東洋学者である白川静氏は、陽虎は、教養あるやり手で、孔子の「競争相手」と見られるとする(『孔子伝』 中公文庫)。なお、陽虎と陽貨は別人とする佐藤一斎などの異説もある。
(※)龍子……昔の賢者。告子(上)第七章一にもその言葉が引用されている。孟子の尊敬した人物だったようだ。
(※)狼戻……散らかる。
(※)盈を取る……決まっただけ税を取る。
(※)盻盻然……うらやむようにさせるさま。

【原文】
是故賢君必恭儉禮下、取於民有制、陽虎曰、爲富不仁矣、爲仁不富矣、夏后氏五十而貢、殷人七十而助、周人百畝而徹、其實皆什一也、徹者徹也、助者藉也、龍子曰、治地莫善於助、莫不善於貢、貢者校數歳之中以爲常、樂歳粒米狼戻、多取之而不爲虐、則寡取之、凶年糞其田而不足、則必取盈焉、爲民父母、使民盻盻然、將終歳勤動、不得以養其父母、又稱貸而益之、使老稚轉乎溝壑、惡在其爲民父母也。

 

3‐3 維新


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「王政の要の一つである俸禄の世襲制は、滕の国でも前から行われています。そこで、もう一つの要である税制について考えてみたいと思います。『詩経』には、このようなことが書かれています。『私たちの公田に雨が降り、それが私たちの私田に及びますように』と。これを見ますと、周の時代でも助法も徹法とともに用いられていたのがわかります。こうしてこの併用で民の生活を安定させたうえで、教育に力を入れるべきです。すなわち庠序学校を設立して教えも広めなければなりません。庠とは養の意味です。老人を養い敬うことからきています。次に校とは教の意味です。弟子を教え導くということからきています。さらに序とは射のことです。夏の時代は校といい、殷の時代には序といい、周の時代は庠といいましたが、これらは地方の学校(郷学)です。これに対して都にあるのを学といいましたが、これは、夏、殷、周の三代とも同じでした。こられの学校では、人倫すなわち人のあるべき道を明らかにし教えました。こうした教育をすれば、民にも教えが行き渡り、互いに親しみ王者が起こったら、必ずこの国にやってきて、模範として取り上げるでしょう。つまり、王者の師となるのです。『詩経』も言っています。『周は歴史の古い国だが、王者となる天命を受けたのは新しいことである』と。これは文王を褒め讃えたものです。あなたも、以上お話ししたことを努力して実行していけば、あなたでの国をまったく新しいものにさせられましょう」。

【読み下し文】
夫(そ)れ禄(ろく)を世〻(よよ)にする(※)には、滕(とう)固(もと)より之(これ)を行(おこな)えり。詩(し)に云(い)う、我(わ)が公田(こうでん)に雨(あめ)ふり、遂(つい)に我(わ)が私(し)に及(およ)べ、と。惟(ただ)助(じょ)のみ公田(こうでん)有(あ)りと為(な)す。此(これ)に由(よ)りて之(これ)を観(み)れば、周(しゅう)と雖(いえど)も亦(また)助(じょ)するなり。庠序(しょうじょ)学校(がっこう)(※)を設(もう)け為(な)して、以(もっ)て之(これ)を教(おし)う。庠(しょう)とは養(よう)なり。校(こう)とは教(きょう)なり。序(じょ)とは射(しゃ)なり。夏(か)に校(こう)と曰(い)い、殷(いん)に序(じょ)と曰(い)い、周(しゅう)に庠(しょう)と曰(い)い、学(がく)は則(すなわ)ち三代(さんだい)之(これ)を共(とも)にす。皆(みな)人倫(じんりん)を明(あき)らかにする所以(ゆえん)なり。人倫(じんりん)上(かみ)に明(あき)らかにして、小民(しょうみん)下(しも)に親(した)しむ。王者(おうじゃ)起(お)こる有(あ)らば、必(かなら)ず来(き)たりて法(ほう)を取(と)らん。是(こ)れ王者(おうじゃ)の師(し)たるなり。詩(し)に云(い)う、周(しゅう)は旧邦(きゅうほう)(※)なりと雖(いえど)も、其(そ)の命(めい)維(こ)れ新(あら)たなり(※)、と。文(ぶん)王(おう)の謂(いい)なり。子(し)力(つと)めて之(これ)を行(おこな)わば、亦(また)以(もっ)て子(し)の国(くに)を新(あら)たにせん。

(※)夫れ禄を世〻にする……俸禄を世襲制にする。なお、江戸時代前期に活躍した儒学者である伊藤仁斎は、「夫世禄」以下八文字を次の項の「野人無くんば君子を養う莫し」の句に移すべきとする。
(※)庠序学校……古代の学校。庠序については、梁恵王(上)第三章四参照。このうち学は都にあったものを言ったと孟子は述べる。
(※)旧邦……歴史の古い国。
(※)維れ新たなり……新しいこと。「維新」つまり、明治維新の語源となる。「維新」は、今も日本でよく使われている言葉となっている。なお、この『詩経』の「周は旧邦なりと雖も、其の命維れ新たなり」は『大学』にも引用されている。

【原文】
夫世祿、滕固行之矣、詩云、雨我公田、遂及我私、惟助爲有公田、由此觀之、雖周亦助也、設爲庠序學校、以敎之、庠者養也、校者教也、序者射也、夏曰校、殷曰序、周曰庠、學則三代共之、皆所以明人倫也、人倫明於上、小民親於下、有王者起、必來取法、是爲王者師也、詩云、周雖舊邦、其命維新、文王之謂也、子力行之、亦以新子之國。

「目次」はこちら

シェア

Share

感想を書く感想を書く

※コメントは承認制となっておりますので、反映されるまでに時間がかかります。

著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

矢印