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第60回

144〜146話

2021.06.17更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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4‐7 天下のために人材を得ることを仁という


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「堯は天下のために舜のような人材を得られることを自分の一番の心配事とし、同じように舜は天下のために禹や皐陶のような人材を得られるかを自分の一番の心配事とした。これは、自分の百畝の農地の管理を心配事とする農夫とは事情が違う。人に物を分けて与えるのを恵といい、人に善の道を教えるのを忠というが、天下のために人材を得ることを仁という。天下を人に与えるのは恵の極致だろうが、まだ易しいところがある。これに対し、天下のために人材を得ることはとても難しいのだ。孔子は言った。『偉大なのは伝説の聖王である堯の君主としてのあり方だった。天ほど偉大なものはないが、堯はそれにうまく従い、世の中を治めた(まさに天のような人物であった)。その徳は大きすぎて、人々もうまく表現できなかった。偉大なる君主であることよ、舜は。直接自らは何もやってないように見えて、しかもうまくいくようにするのだから』と。このような堯と舜が天下を治めていくのに、心配しない(心を用いなかったこと)なんていうのはありえない。ただ、耕作することには心を用いることはなかったのである」。

【読み下し文】
堯(ぎょう)は舜(しゅん)を得(え)ざるを以(もっ)て己(おの)が憂(うれい)と為(な)し、舜(しゅん)は禹(う)・皐陶((こうとう)(※)を得(え)ざるを以(もっ)て己(おの)が憂(うれ)いと為(な)す。夫(そ)れ百畝(ひゃっぼ)の易(おさ)(※)まらざるを以(もっ)て己(おの)が憂(うれ)いと為(な)す者(もの)は、農夫(のうふ)なり。人(ひと)に分(わ)かつに財(ざい)を以(もっ)てする、之(これ)を恵(けい)と謂(い)う。人(ひと)に教(おし)うるに善(ぜん)を以(もっ)てする、之(これ)を忠(ちゅう)と謂(い)う。天下(てんか)の為(ため)に人(ひと)を得(え)る者(もの)、之(これ)を仁(じん)と謂(い)う。是(こ)の故(ゆえ)に天下(てんか)を以(もっ)て人(ひと)に与(あた)うるは易(やす)く、天下(てんか)の為(ため)に人(ひと)を得(え)るは難(かた)し。孔子(こうし)曰(いわ)く、大(だい)なるかな、堯(ぎょう)の君(きみ)たるや。惟(ただ)天(てん)を大(だい)なりと為(な)す、惟(ただ)堯(ぎょう)之(こ)れに則(のっと)る。蕩蕩乎(とうとうこ)(※)として、民(たみ)能(よ)く名(な)づくる無(な)し。君(きみ)なるかな舜(しゅん)や。巍巍乎(ぎぎこ)(※)として、天下(てんか)を有(たも)って而(しか)も与(あず)からず、と。堯(ぎょう)・舜(しゅん)の天下(てんか)を治(おさ)むる、豈(あに)其(そ)の心(こころ)を用(もち)うる所(ところ)無(な)からんや。亦(また)耕(たがや)すに用(もち)いざるのみ。

(※)皐陶……舜の臣。刑罰を相当する責任者である司寇に就いた。
(※)易まる……「治」と同じで、「おさ(まる)」と読み、ここでは農地をしっかり耕作して管理するの意味。
(※)蕩蕩乎……偉大なこと。
(※)巍巍乎……高大なこと。大変立派なこと。なお、本項の孔子の言葉は『論語』では二つに分けて次のようにある。「子(し)曰(いわ)く、巍巍(ぎぎ)たるかな、舜(しゅん)禹(う)の天下(てんか)を有(たも)つや、而(しか)してこれに与(あず)からず」。「子(し)曰(いわ)く、大(だい)なるかな、堯(ぎょう)の君(きみ)たるや。巍巍(ぎぎ)たるかな、唯(た)だ天(てん)を大(だい)なりと為(な)し、唯(ただ)堯(ぎょう)のみ之(これ)に則(のっと)る。蕩蕩(とうとう)たるかな、民(たみ)能(よ)く之(これ)に名(な)づくる無(な)し。巍巍(ぎぎ)たるかな、其(そ)の成功(せいこう)有(あ)るや。煥(かん)として、其(そ)れ文章(ぶんしょう)有(あ)り」(いずれも泰伯第八)。『論語』のなかでも、中国の歴史上の聖王について語った部分であるとし、それほど重要視されていないところである。しかし、『孟子』の本項の文章を読むと、その意味の大きさが初めてよくわかるものである。最高の統治者のあり方と人の役割分担の重要性を、孟子は孔子の言葉を使いうまく伝えてくれている。ただ、吉田松陰も注意しているが、現実の君主たちが、孟子の述べるような立派なことをしているのか注意して見なくてはならない。孟子の主張は、君主、統治者たる者は、耕作をする余裕がないほどに民のことを考え、その生活がうまくいくように心をつくしていくものであるということも述べているのである。そういう意味では、許子の問題意識(君主に民の苦労をわからせる)までもを否定しているわけではない(松陰も『講孟箚記』のなかで「若(も)し人君(じんくん)孟子(もうし)の説(せつ)を行(おこな)うこと能(あた)わずして、一概(いちがい)に許行(きょこう)を非(ひ)とせば、大(おおい)に非(ひ)なり」とする)。

【原文】
堯以不得舜爲己憂、舜以不得禹・皐陶爲己憂、夫以百畝之不易爲己憂者、農夫也、分人以財、謂之惠、敎人以善、謂之忠、爲天下得人者、謂之仁、是故以天下與人易、爲天下得人難、孔子曰、大哉、堯之爲君、惟天爲大、惟堯則之、蕩蕩乎、民無能名焉、君哉舜也、巍巍乎、有天下而不與焉、堯・舜之治天下、豈無所用其心哉、亦不用於畊耳。

 

4‐8 師が亡くなると平気で師弟関係を切るのは許せない


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「私は、中国すなわち中原の高い文化が、周りの文化が後れている異民族を感化し、変化させたことは聞いている。しかし、中国が後れている異民族から感化を受け、文化が発達したなど聞いたことがない。ところで、あなたたちの師である陳良は楚の出身である(南の文化が後れた地域である)。そして北の文化の中心地(中国)で学んだ。その学識はとても高くなり、北方の中原の学者たちでもかなわなかったほどだ。彼はいわゆる豪傑の士、すなわち才徳が抜きん出ている士というべき人であった。その師に、あなたたち兄弟は、数十年も学んでいながら、亡くなったら平気でこれにそむいている(これは許せることではない)」。

【読み下し文】
吾(わ)れ夏(か)(※)を用(もっ)て夷(い)(※)を変(へん)ずる者(もの)を聞(き)く。未(いま)だ夷(い)に変(へん)ぜらるる者(もの)を聞(き)かざるなり。陳良(ちんりょう)は楚(そ)の産(さん)なり。周公(しゅうこう)・仲尼(ちゅうじ)の道(みち)を悦(よろこ)び、北(きた)のかた中国(ちゅうごく)(※)に学(まな)ぶ。北方(ほっぽう)の学者(がくしゃ)、未(いま)だ之(これ)に先(さき)んずる或(あ)る能(あた)わず。彼(かれ)は所謂(いわゆる)豪傑(ごうけつ)の士(し)なり。子(し)の兄弟(けいてい)、之(これ)に事(つか)うること数十年(すうじゅうねん)、師死(しし)して遂(つい)に之(これ)に倍(そむ)く(※)。

(※)夏……ここでは中国すなわち中原、文化の高い世界の中心地を指す。
(※)夷……文化の後れている異民族の地域。中国外の地。なお、四方の遅れている異民族の住む所を東夷(とうい)、南蛮(なんばん)、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)と言った。
(※)中国……文化の中心地。なお、梁恵王(上)第七章八、滕文公(上)第四章五参照。
(※)倍く……そむく。縁を一方的に切る。裏切る。

【原文】
吾聞用夏變夷者、未聞變於夷者也、陳良楚產也、悦周公・仲尼之道、北學於中國、北方之學者、未能或之先也、彼所謂豪傑之士也、子之兄弟、事之數十年、師死而遂倍之。

 

4‐9 師を慕う心は大事にしていくもの


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「昔、孔子が亡くなられると、門人たちは親族ではないものの、三年間心からの喪に服し、その後めいめいに荷物をまとめて、郷里に帰ろうとした。みんなは先輩格で諸事まとめていてくれた子貢に丁寧に挨拶した。そのときも、大声で泣き悲しみ、声も出ないほどになったが、やっと思い直してそれぞれ帰っていった。それでもまた子貢は、もう一度帰り、孔子の墓の近くに小屋を建て一人で住み、さらに三年悲しんだうえに帰った。その後、子夏・子張・子游たちは、有若が孔子に似ているということで、孔子に仕えたように仕えて恩師を慕んでいけないかと考え、曾子にもぜひ賛成してくれないかと強く求めた。しかし、曾子は、『それはいけない。孔子の仁徳は、例えば揚子江・漢水のたくさんの水で洗って、空気のきれいな秋の空にさらしてかわかしたように高潔なものである。すなわち、これ以上のものはないという仁徳の優れた方である(だから有若をもって師の身代わりに仕立てようなどとはありえないことである)』と言った」。

【読み下し文】
昔者(むかし)、孔子(こうし)の没(ぼっ)するや、三年(さんねん)の外(ほか)、門人(もんじん)任(にん)を治(おさ)めて(※)将(まさ)に帰(かえ)らんとし、入(い)りて子貢(しこう)に揖(ゆう)し(※)、相(あい)嚮(むか)いて哭(こく)し、皆(みな)声(こえ)を失(うしな)い、然(しか)る後(のち)に帰(かえ)る。子貢(しこう)は反(かえ)りて、室(しつ)を場(じょう)に築(きず)き、独(ひと)り居(お)ること三年(さんねん)、然(しか)る後(のち)に帰(かえ)れり。他日(たじつ)子夏(しか)・子張(しちょう)・子游(しゆう)、有若(ゆうじゃく)の聖人(せいじん)に似(に)たるを以(もっ)て、孔子(こうし)に事(つか)うる所(ところ)を以(もっ)て之(これ)に事(つか)えんと欲(ほっ)し、曾子(そうし)に彊(し)う(※)。曾子(そうし)曰(いわ)く、不可(ふか)なり。江漢(こうかん)以(もっ)て之(これ)を濯(あら)い、秋陽(しゅうよう)以(もっ)て之(これ)を暴(さら)す。皜皜乎(こうこうこ)(※)として尚(くわ)うべからざるのみ、と。

(※)任を治めて……荷物をまとめて。「任」は担で、荷物のこと。
(※)揖し……丁寧に挨拶をする。胸の前で両手を組み、挨拶する。
(※)彊う……ぜひ賛成してくれるように強く求める。なお、本項は、『論語』では知ることのできない、孔子の死後の門人たちの動静をいくつか教えてくれている。その意味でこの話は各所で学説も引用している。わかることを簡単に言えば、孔子の死後は、子路も先に死んでいたため、子貢が先輩格として、門人たちをまとめていた(子貢には資力も十分にあった)。また、有若が孔子に似ていることで、子夏や子張たちが推している動きがあったが、これに孟子の先師筋にあたる曾子が反対したことなどである。
(※)皜皜乎……高潔な様。

【原文】
昔者、孔子沒、三年之外、門人治任將歸、入揖於子貢、相嚮而哭、皆失聲、然後歸、子貢反、築室於場、獨居三年、然後歸、他日子夏・子張・子游以有若似聖人、欲以所事孔子事之、彊曾子、曾子曰、不可、江漢以濯之、秋陽以暴之、皜皜乎不可尙己。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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