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第62回

149〜151話

2021.06.21更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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5‐1 他思想を自分の信じる思想で論破する意気込みを持つ


【現代語訳】
墨子の教えを信奉している夷之が、(孟子の弟子である)徐辟を通して、孟子に会いたいと求めてきた。孟子は言った。「私はかねてより、会いたいものだと思っていたが、あいにく今は病気である。病気が良くなったら、私のほうから会いにいこうと思う。だから今は来ないでほしい」。後日に、再び夷之が面会を申し込んできた。孟子は言った。「今なら会うことができる。そのうえ、夷之の間違っている考えを正しておかないと、正しい道も明らかにならないだろう。だから私は、彼の思想の間違いを正してやろう。聞くところによると、夷子は墨子の教えを信奉しているという。墨家は、親の喪を行うときも、倹約して質素に行う主義である。このように夷子は天下の風俗を変えていこうとする。どうして夷之においても、この主張を尊重しないことができようか。それにもかかわらず、夷子は自分の親を手厚く葬っている。ということは、自分がいけないというやり方で、親に仕えたということにならないのだろうか」

【読み下し文】
墨者(ぼくしゃ)(※)夷之(いし)、徐辟(じょへき)に因(よ)りて孟子(もうし)に見(まみ)えんことを求(もと)む。孟子(もうし)曰(いわ)く、吾(わ)れ固(もと)より見(み)んことを願(ねが)うも、今(いま)吾(わ)れ尚(なお)病(や)めり。病(やまい)癒(い)えなば我(われ)且(まさ)に往(ゆ)きて見(み)んとす。夷子(いし)来(き)たらざれ。他日(たじつ)又(また)孟子(もうし)に見(まみ)えんことを求(もと)む。孟子(もうし)曰(いわ)く、吾(わ)れ今(いま)は則(すなわ)ち以(もっ)て見(み)るべし。直(ただ)(※)されば則(すなわ)ち道(みち)見(あら)われず。我(われ)且(まさ)に之(これ)を直(ただ)さんとす。吾(わ)れ聞(き)く、夷子(いし)は墨者(ぼくしゃ)なりと。墨(ぼく)の喪(も)を治(おさ)むるや、薄(うす)きを以(もっ)て其(そ)の道(みち)と為(な)す。夷子(いし)は以(もっ)て天下(てんか)を易(か)えんと思(おも)う。豈(あに)以(もっ)て是(ぜ)に非(あら)ずと為(な)して貴(たっと)ばざらんや。然(しか)り而(しこう)して夷子(いし)は其(そ)の親(おや)を葬(ほうむ)ること厚(あつ)し。則(すなわ)ち是(これ)れ賤(いや)しむ所(ところ)を以(もっ)て親(おや)に事(つか)うるなり。

(※)墨者……墨子の教えを信奉している者。墨家とも呼ばれる。墨家は墨翟(ぼくてき)が始めた。墨翟は孔子の少し後に出て、孟子より前の人であるが、当時かなり広まり有力な思想となっていた。孟子はこの墨家を打ち破るという使命を自らに課していた儒家であった。孟子の「仁義」は、この墨家ともう一つの思想であった楊朱の個人主義な為我説(自愛説)に対処するためのものでもあった。さて、墨家の主張は、兼愛主義、つまり肉親と他人とを区別してはならないとする平等愛を説いた。そのほかにも節倹主義も主張した。以上からの帰結の一つに薄葬主義も唱えた。これに対し孔子に始まる儒家は、家族愛を大事にする。そして身近なところから出発してだんだん遠くの人に愛を及ぼしていくという主張をする。それが人情に合う考えだというのだ(滕文公(下)第九章四参照)。このように墨翟の思想と楊朱の思想を打ち破り、孔子の家族制に基礎を置いた道徳主義を貫き天下に広め、民を救っていくことが、孟子の志であり、仁義説もここから理解すべきものである。
(※)直す……言葉で間違いを正す。

【原文】
墨者夷之、因徐辟而求見孟子、孟子曰、吾固願見、今吾尙病、病愈我且往見、夷子不來、他日又求見孟子、孟子曰、吾、今則可以見矣、不直(※)則道不見、我且直之、吾聞、夷子墨者、墨之治喪也、以薄爲其道也、夷子思以易天下、豈以爲非是而不貴也、然而夷子葬其親厚、則是以所賤事親也。

 

5‐2 根本の思想をいくつも持ってはいけない(行動がおかしくなる)


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。徐子は孟子の言葉を夷子に告げた。夷子は言った。「『書経』にも書いてあって、儒者の道の一つにもなっている、『昔の聖賢が民を保んじ愛することは、自分の赤子を保んじ愛するようにする』とあるが、これはどんな意味でしょうか。私の考えでは、儒者もやはり愛に差などがないのであって、ただ実際の行動が身近の親族から始められるということではないでしょうか」。徐子がその言葉を孟子に伝えると、孟子は次のように言った。「夷子は、本当に自分の兄の子を愛するのと、隣人の幼児を愛するのと同じであると考えているのだろうか。『書経』の言葉は、そういう兼愛を言っているのではない。こういうことである。つまり、赤子がはって行き、今にも井戸のなかに落ちそうなのは、その赤子の責任ではない(保護者の責任である。同じように民が罪に落ち入るのも生活難や無知のためである。だから保護者たる君は、民を保護しなくてはならないという意味である)。また、天が物を生ずる根本は一つである。それなのに夷子は、根本を二つにもしていこうとしている(それは、おかしなことになる)」。

【読み下し文】
徐子(じょし)以(もっ)て夷子(いし)に告(つ)ぐ。夷子(いし)曰(いわ)く、儒者(じゅしゃ)の道(みち)は、古(いにしえ)の人(ひと)赤子(せきし)を保(やす)んずるが若(ごと)し、と。此(こ)の言(げん)何(なん)の謂(いい)ぞや。之(し)は則(すなわ)ち以(お)為(も)えらく、愛(あい)に差等(さとう)無(な)し、施(ほどこ)すこと親(しん)より始(はじ)む。徐子(じょし)以(もっ)て孟子(もうし)に告(つ)ぐ。孟子(もうし)曰(いわ)く、夫(か)の夷子(いし)は、信(まこと)に人(ひと)の其(そ)の兄(あに)の子(こ)を親(した)しむこと、其(そ)の鄰(となり)の赤子(せきし)を親(した)しむが若(ごと)しと為(な)すと以(お)為(も)えるか。彼(かれ)は取(と)ること有(あ)りて爾(しか)るなり(※)。赤子(せきし)の匍匐(ほふく)して(※)将(まさ)に井(い)に入(い)らんとするは、赤子(せきし)の罪(つみ)に非(あら)ざるなり。且(か)つ天(てん)の物(もの)を生(しょう)ずるや、之(これ)をして本(もと)を一(いつ)にせしむ。而(しか)るに夷子(いし)は本(もと)を二(に)にする(※)故(ゆえ)なり。

(※)彼は取ること有りて爾るなり……「彼」とは夷子が引用した『書経』の言葉を指す。孟子はここで、『書経』は別のことを言おうとして使った言葉であるということを言っている。
(※)匍匐して……はって行く。
(※)本を二にする……この意味は難しいが、私は次のように解する。すなわち、天が与えた人情の自然ということは、例えば人は自分の親が死ぬと厚く葬りたいとする。ところが夷子のように(墨家の立場に立つと)、親も他人も平等に愛さなくてはならず、また節倹主義からくる親を厚く葬ることはできないことになる。つまり、二つの立場に分かれてしまう。これは、判断をわからなくして夷之のように、墨家でありながらも、自分の親を手厚く葬るという矛盾したようなことをしてしまいかねない。このことを孟子は言いたいのであろう。

【原文】
徐子以告夷子、夷子曰、儒者之道、古之人若保赤子、此言何謂也、之則以爲、愛無差等、施由親始、徐子以告孟子、孟子曰、夫夷子、信以爲人之親其兄之子、爲若親其鄰之赤子乎、彼有取爾也、赤子匍匐將入井、非赤子之罪也、且天之生物也、使之一本、而夷子二本故也。

 

5‐3 素直に「わかりました」と言える人は良い


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「思うに、太古の世には親が死んでも葬らないという時代があった。親が死ぬと、その死体は谷に捨てていたのだ。ところが、後日にそこを通ると狐や狸がその死体を食べ、はえ、ぶよ、けらがむらがって食らいついていた。それを見た者は、額にじっとりと冷や汗を流した。ちらっと見たが、とても正視はできなかった。その冷や汗は、他人への手前というのではない。心の底から親への気持ちから出たものである。そうして家に帰り、土を運ぶためのもっこや土車を持っていき、土で遺骸をおおったのだ。このように土でおおうことが誠に道理にかなった良いことであれば、後世になって孝子、仁人がその親を丁寧に葬るのは当然のことではないか」。以上の孟子の言葉を、徐子は夷子に伝えた。すると夷子はしばらくじっと無言で聞いていたが、感服してやがて言った。「孟子は、私によく教えてくれました」。

【読み下し文】
蓋(けだ)し(※)上世(じょうせい)嘗(かつ)て其(そ)の親(おや)を葬(ほうむ)らざる者(もの)有(あ)り。其(そ)の親(おや)死(し)すれば、則(すなわ)ち挙(あ)げて之(これ)を壑(たに)に委(す)てたり。他日(たじつ)之(これ)を過(す)ぐるに、狐(こ)・狸(り)之(これ)を食(くら)い、蝿(よう)・蚋(ぜい)(※)・姑(こ)(※)之(これ)を嘬(くら)う。其(そ)の顙泚(ひたいせい)たる(※)有(あ)り。睨(げい)して視(み)ず。夫(そ)の泚(せい)たるや、人(ひと)の為(ため)に泚(せい)たるに非(あら)ず。中心(ちゅうしん)より面目(めんもく)に達(たっ)するなり。蓋(けだ)し帰(かえ)り、虆(るい)梩(り)(※)を反(かえ)して之(これ)を掩(おお)えり。之(これ)を掩(おお)うこと誠(まこと)に是(ぜ)ならば、則(すなわ)ち孝子(こうし)仁人(じんじん)の其(そ)の親(おや)を掩(おお)うこと、亦(また)必(かなら)ず道(みち)有(あ)らん。徐子(じょし)以(もっ)て夷子(いし)に告(つ)ぐ。夷子(いし)憮然(ぶぜん)(※)として間(かん)を為(な)して曰(いわ)く、之(し)に命(めい)ぜり。

(※)蓋し……思うに。察するところ。我が国民法の大御所であった我妻栄博士が本のなかで多用したことでも有名。
(※)蚋……ぶよ。
(※)姑……けら。
(※)顙泚たる……額にじっとりと冷や汗を流す。
(※)虆梩……「虆」は土を運ぶもっこ。「梩」は土車。
(※)憮然……じっと無言でいる。茫然自失。

【原文】
蓋上世嘗有不葬其親者、其親死、則擧而委之於壑、他日過之、狐・狸食之、蠅・蚋・姑嘬之、其顙有泚、睨而不視、夫泚也、非爲人泚、中心達於面目、蓋歸、反虆梩而掩之、掩之誠是也、則孝子仁人之掩其親、亦必有道矣、徐子以告夷子、夷子憮然爲閒曰、命之矣。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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