第3回
4〜6話
2021.03.24更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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2‐1 賢者になってこそ人生を楽しめる
【現代語訳】
孟子が梁の恵王に面会した。王は庭園の沼のほとりに立って、大雁や小雁そして大鹿や小鹿などを眺めながら言った。「賢者もやはりまた、このようなものを見て楽しむものか」。孟子は答えて言った。「賢者であってこそ、初めてこれらを楽しむことができます。賢者でないと、たとえこれらのものがあったとしても、本当に楽しむことはできません」。
【読み下し文】
孟子(もうし)、梁(りょう)の恵王(けいおう)に見(まみ)ゆ。王(おう)沼上(しょうじょう)(※)に立(た)ち、鴻(こう)(※)鴈(がん)麋(び)(※)鹿(ろく)を顧(かえり)みて曰(いわ)く、賢者(けんじゃ)(※)も亦(また)此(これ)を楽(たの)しむか。孟子(もうし)対(こた)えて曰(いわ)く、賢者(けんじゃ)にして後(のち)此(こ)れを楽(たの)しむ。不賢者(ふけんじゃ)は此(これ)有(あ)りと雖(いえど)も、楽(たの)しまざるなり。
(※)沼上……沼のほとり。上は辺の意。なお、『論語』にも、「子(し)、川(かわ)の上(ほとり)に在(あ)りて曰(いわ)く、逝(ゆ)く者(もの)は斯(かく)の如(ごと)きかな、昼夜(ちゅうや)を舎(お)かず」(子罕第九)というのがある。
(※)鴻……おおとり。雁の大きなもの。
(※)麋……鹿の大きなもの。
(※)賢者……賢い人。正しく生き成長する人。偉人。ここで恵王が言った「賢者」は孟子を指していると思われる。これに対して、孟子は「賢者」を昔の偉人、賢い人という一般論にして自分の説に恵王をうまく引き込んでいく。恵王は半分、孟子を馬鹿にしている。しかし、孟子は、どんなチャンスも見逃さずに持論を展開している。まさに弁論の第一人者であることがわかる。
【原文】
孟子、見梁惠王、王立於沼上、顧鴻鴈麋鹿曰、賢者亦樂此乎、孟子對曰、賢者而後樂此、不賢者雖、有此不樂也、
2‐2 賢人は人々とともに楽しむから、よく楽しめる
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。『詩経』にこう書いてあります。すなわち、『文王が霊台という名の見晴らし台をつくろうと測量をし、その工事を始めた。すると庶民がそれに従事して、幾日もかからないうちにこれつくり上げてしまった。文王は、民を思って急がないでやってくれと言った。しかし、庶民は、文王を父のように慕い、その子どものように集まってやったのである。こうしてできた見晴らし台とその庭園であった。文王が庭園に出ると、牝(め)鹿(じか)が臥して寝そべっていて、その様子は、いかにも色つやが良く、よく肥えているのがわかる。また白鳥は、羽が真っ白で美しい姿を見せている。文王が霊沼という名の池に近づくと、水でみちみちた池のなかで、魚が飛び跳ねている』とあります。
このように文王は人民の力で台をつくり、池をつくったのですが、人民は、自分たちから喜び楽しんで、これをやったのです。そしてでき上がった見晴らし台を霊台と名づけ、池を霊沼と名づけて文王の徳を称えるとともに、そこに大鹿や小鹿、魚やすっぽんが遊んでいるのを、自分たちも楽しんだのです。こうして古の賢人は民とともに楽しんだからこそ、本当に楽しむことができたのです」。
【読み下し文】
詩(し)(※)に云(い)う、霊台(れいだい)(※)を経始(けいし)(※)し、之(これ)を経(けい)し之(これ)を営(えい)す。庶民(しょみん)之(これ)を攻(おさ)め(※)、日(ひ)ならずして之(これ)を成(な)す。経(けい)始(し)亟(すみや)かにすること勿(な)かれと。庶民(しょみん)子(こ)のごとく来(き)たる。王(おう)霊囿(れいゆう)(※)に在(あ)れば、麀鹿(ゆうろく)(※)伏(ふく)する攸(ところ)、麀鹿(ゆうろく)濯濯(たくたく)たり。白鳥(はくちょう)鶴鶴(かくかく)たり。王(おう)霊沼(れいしょう)(※)に在(あ)れば、於牣(ああみ)ちて魚(うお)躍(おど)る、と。文王(ぶんおう)民力(みんりょく)を以(もっ)て台(だい)を為(つく)り沼(ぬま)を為(つく)り、而(しか)して民(たみ)之(これ)を歓楽(かんらく)す。其(そ)の台(だい)を謂(い)いて霊(れい)台(だい)と曰(い)い、其(そ)の沼(ぬま)を謂(い)いて霊沼(れいしょう)と曰(い)い、其(そ)の麋鹿び(ろく)魚鼈(ぎょべつ)有(あ)るを楽(たの)しむ。古(いにしえ)の人(ひと)は民(たみ)と偕(とも)に楽(たの)しむ(※)。故(ゆえ)に能(よ)く楽(たの)しむなり。
(※)詩……ここでは、『詩経』大雅、霊台の篇のことを指している。
(※)霊台……台の名称。台は見晴らし台。ここで「霊」とは、霊徳の意味で文王の高い徳を讃えている。
(※)経始……経営し始めること。
(※)攻め……そのことに従事して仕上げること。
(※)霊囿……霊台の下にあって、鳥獣を飼っている囲いのなか。「霊」は「霊台」の霊と同じ意味。
(※)麀鹿……牝鹿。
(※)霊沼……霊囿のなかにある沼、池。「霊」は「霊台」の霊と同じ意味。
(※)民と偕に楽しむ……庶民、人々と一緒に楽しむ。なお、茨城県水戸市にある「偕楽園」(徳川斉昭がつくらせた)は、ここから名づけられている。
【原文】
詩云、經始靈臺、經之營之、庶民攻之、不日成之、經始勿亟、庶民子來、王在靈囿、麀鹿攸伏、麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴、王在靈沼、於牣魚躍、文王以民力爲臺爲沼、而民歡樂之、謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼、樂其有麋鹿魚鼈、古之人與民偕樂、故能樂也、
2‐3 自分一人では楽しめない
【現代語訳】
〈前項から続いて〉。「『書経』の湯誓篇に、かつて夏の桀王が、自分を太陽になぞらえたことを、逆にとらえて、人々が言ったことが書いてある。『この太陽(桀王)は、いつ亡びるのだろう。自分たちも一緒に亡んでかまわないから早く亡びてほしい』と。このように、人民がともに亡びてもかまわないから、王も早く亡びてほしい、とまで怨まれるようになっていては、いくら立派な見晴らし台や池、そして鳥、獣たちがいたとしても、どうして自分一人で楽しんでおられるでしょうか」。
【読み下し文】
湯誓(とうせい)に曰(いわ)く、時(こ)の日(ひ)害(いつ)か喪(ほろ)びん(※)。予(われ)女(なんじ)と皆(とも)に亡(ほろ)びん、と。民(たみ)之(これ)と皆(とも)に亡(ほろ)びんと欲(ほっ)せば、台池(だいち)鳥獣(ちょうじゅう)有(あ)りと雖(いえど)も、豈(あに)能(よ)く独(ひと)り楽(たの)しまん(※)や。
(※)時の日害か喪びん……いつ亡びるのだろう。悪虐の王、桀は庶民がそむこうとしているのを見て、自分を太陽になぞらえて、次のように言ったという。「吾天下を有(たも)つこと天の日有るが如し。日亡びば吾乃(すなわ)ち亡びんのみ」。これを逆にとらえて言ったのが『書経』にある庶民たちである。なお、日本では平安時代の藤原道長が自分を満月にとらえている次の歌が有名である。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」。
(※)独り楽しまん……一人で楽しむ。なお、吉田松陰は『講孟箚記』で、孟子が、恵王が言う賢者を自分ではなく、昔の賢者を指しているという一般論に展開したのを、さらに自分たち一般の人間のことに拡大して説明を加えている、と言っている。そして、桀王のような考え方を「独楽」とし、それでは人生はまったく楽しくないとしている。自分は今、獄中にいるが、獄仲間の人たちと『孟子』をともに学び、人たるの道を得ていくことが「偕(とも)に是(これ)を楽しまん」と述べている。確かに、人生は何をするにも家族、友人、仲間がいてこそ、楽しさ、喜びを感じられるものといえる。『論語』の第一話も、次のように仲間との学びが楽しいことを教えている。「朋(とも)有(あ)り遠方より来たる。亦(ま)た楽(たの)しからずや」(学而第一)。
【原文】
湯誓曰、時日害喪、予及女皆亡、民欲與之皆亡、雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉、
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