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第103回

250〜251話

2021.08.19更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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3‐1 怒りを隠さず、怨みをとどめず


【現代語訳】
万章が問うて言った。「弟の象は、兄の舜を殺すことを、毎日の仕事のようにしていました。しかし、舜が天子に立つと、象を殺しもしないで、放逐しただけとはどういうことでしょう」。孟子は言った。「放逐したのではない。象を君として封じたのだ。それをある人が、間違って放逐したと言ってしまったのだ」。万章は(ますますわからなくなって)聞いた。「舜は天子になると、共工を(北の果て)幽州に流し、驩兜を(南の果て)崇山に放逐し、三苗の君を(西の果て)三危にて殺し、鯀を(東の果て)羽山にて誅殺しました。この四人の者を罰したことで天下は皆、舜に服するようになったといいます。これは不仁の者を処罰したからです。象は、いたって不仁です。なのに、これを有庳の国に封じています。有庳の人はこんな不仁の人を君にいだくなんて、なんの罪があったというのでしょうか。舜のような仁者が、他人に対しては必ず罪を処罰するというのに、弟に対しては諸侯に封ずるという不公平なことをなぜしたのでしょうか」。孟子は言った。「仁人が弟に対してとる態度というのは、怒りをかくさず、怨みをとどめず、である。ただ親愛あるのみなのだ。弟を親しみ愛するために、それが貴くなることを欲し、また弟を愛しては、それが富むことを欲するのである。だから舜が象を有庳に封じたのも、象を富貴にするためだったのである。自分の身が天子となったというのに、弟が、その辺の賤しい男のままであれば、親愛の情があるとはいえないだろう」。

【読み下し文】
万章(ばんしょう)問(と)うて曰(いわ)く、象(しょう)は日(ひ)に舜(しゅん)を殺(ころ)すを以(もっ)て事(こと)と為(な)す。立(た)って天子(てんし)と為(な)れば、則(すなわ)ち之(これ)を放(ほう)するは何(なん)ぞや。孟子(もうし)曰(いわ)く、之(これ)を封(ほう)ずるなり。或(ある)ひと曰(いわ)く、放(ほう)す、と。万章(ばんしょう曰(いわ)く、舜(しゅん)は共工(きょうこう)を幽州(ゆうしゅう)に流(なが)し、驩兜(かんとう)を崇山(すうざん)に放(ほう)し、三苗(さんびょう)を三危(さんき)に殺(ころ)し、鯀(こん)(※)を羽山(うざん)に殛(きょく)す(※)。四罪(しざい)して天下(てんか)咸(みな)服(ふく)せり。不仁(ふじん)を誅(ちゅう)すればなり。象(しょう)は至(いた)って不仁(ふじん)なり。之(これ)を有庳(ゆうひ)に封(ほう)ず。有庳(ゆうひ)の人(ひと)、奚(なん)の罪(つみ)かある。仁人(じんじん)は固(もと)より是(かく)の如(ごと)きか。他人(たにん)に在(あ)りては則(すなわ)ち之(これ)を誅(ちゅう)し、弟(おとうと)に在(あ)りては則(すなわ)ち之(これ)を封(ほう)ず。曰(いわ)く、仁人(じんじん)の弟(おとうと)に於(お)けるや、怒(いか)りを蔵(かく)さず、怨(うら)みを宿(とど)めず(※)。之(これ)を親(しん)愛(あい)するのみ。之(これ)を親(した)しんでは其(そ)の貴(とうと)からんことを欲(ほっ)し、之(これ)を愛(あい)しては其(そ)の富(と)まんことを欲(ほっ)す。之(これ)を有庳(ゆうひ)に封(ほう)ずるは、之(これ)を富貴(ふうき)にするなり。身(み)天子(てんし)と為(な)り、弟(おとうと)匹夫(ひっぷ)たらば、之(これ)を親愛(しんあい)すと謂(い)うべけんや。

(※)鯀……禹の父。
(※)殛す……誅する。なお、殺すことと解する説、幽囚するという説などがある。
(※)怒りを蔵さず、怨みを宿めず……吉田松陰は、「君子(くんし)の心(こころ)は天(てん)のごとし」「陽剛(ようごう)の徳(とく)」と、激賞するが、どうか。また、ここの孟子の言説に対しては朱子も、ほかの学者も反対していない。日本の学者もである。それどころか、朱子は、象の下にできる役人をつけたのは(象は何もしないように)、「仁(じん)の至(いた)り、義(ぎ)の極(きわみ)である」とまで言っている。私は、ここに儒教のいきすぎた欠点(家族愛を要求しすぎる)を見る。もし、現在も儒教の弊害があるというなら、ここだろう。ただ、中国、韓国の問題点をすべて儒教にあるとするのが多くの人だが、日本人も儒教、朱子学を深く学んでいるはずであり、だから根拠としては弱いと言わざるをえない。私はそもそもの国民性が大きいのではないかと考える。いずれにしても、ここにあるような孟子の考えが中国人のバックボーンの一つになっているのはよくわかる。なお、『論語』で次のように言っているのも本項の参考になる。「怨(うら)みを匿(かく)して其(そ)の人(ひと)を友(とも)とするは、左(さきゅうめい)丘明之(これ)を恥(は)ず、丘(きゅう)も亦(また)之(これ)を恥(は)ず」(公冶長第五)。

【原文】
萬章問曰、象日以殺舜爲事、立爲天子、則放之何也、孟子曰、封之也、或曰、放焉、萬章曰、舜流共工于幽州、放驩兜于崇山、殺三苗于三危、殛鯀于羽山、四罪而天下咸服、誅不仁也、象至不仁、封之有庳、有庳之人、奚罪焉、仁人固如是乎、在他人則誅之、在弟則封之、曰、仁人之於弟也、不藏怒焉、不宿怨焉、親愛之而已矣、親之欲其貴也、愛之欲其富也、封之有庳、富貴之也、身爲天子、弟爲匹夫、可謂親愛之乎。

 

3‐2 舜の仁義を実行するための知恵


【現代語訳】
〈前項から続いて〉。万章はまた問うた。「あえてお尋ねしますが、ある人が象を放逐したと言ったのはどういうわけでしょうか」。孟子は答えた。「(不仁の者である)象は自分で有庳を治めることはできない。だから天子舜は、官吏を送ってうまく治めさせ、徴収した税を象に納めさせるようにした。こうなると象は勝手なことはできない。それで、ある人はこのことを放遂したと言ったのである。しかし、こうすれば、象も民に暴虐なことができなくなるではないか。そうは言っても、舜は兄弟としていつも象に会いたいと欲したのである。だから象も水が絶えることなく流れるように、絶えず舜のところにやってきたのだ。古書にも、『諸侯が天子に朝貢するときを待たずに、政治上のことにかこつけては有庳の君に会われた』とあるのは、このことを言っているのだ」。

【読み下し文】
敢(あえ)て問(と)う、或(ある)ひと曰(いわ)く、放(ほう)すとは、何(なん)の謂(いい)ぞや。曰(いわ)く、象(しょう)は其(そ)の国(くに)を為(おさ)むること有(あ)るを得(え)ず。天子(てんし)、吏(り)をして其(そ)の国(くに)を治(おさ)めて、其(そ)の貢税(こうぜい)を納(い)れしむ。故(ゆえ)に之(これ)を放(ほう)すと謂(い)う。豈(あに)彼(か)の民(たみ)を暴(ぼう)することを得(え)んや。然(しか)りと雖(いえど)も、常常(じょうじょう)にして之(これ)を見(み)んことを欲(ほっ)す。故(ゆえ)に源源(げんげん)として来(き)たる。貢(こう)に及(およ)ばず、政(まつりごと)を以(もっ)て有庳(ゆうひ)に接(せっ)すとは、此(こ)れの謂(いい)なり。

【原文】
敢問、或曰、放者、何謂也、曰、象不得有爲於其國、天子、使吏治其國、而納其貢税焉、故謂之放、豈得暴彼民哉、雖然、欲常常而見之、故源源而來、不及貢、以政接于有庳、此之謂也。


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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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