第40回
96〜97話
2021.05.20更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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8‐1 人とともに善をなすことより偉大なことはない
【現代語訳】
孟子は言った。「(孔子の弟子の)子路は、他人から自分の過ちを指摘されると、それを喜んだ。夏の禹王は、(自分を戒める)良い言葉を聞くと、言っている人を(自分の身分も忘れてありがたがって)拝んだ。偉大な帝舜の行いは、子路や禹王よりもさらに大きかった。帝舜は、善に対しては自他を区別することはなく、人に善があれば己を捨てて、私心なく人に従い、すぐ取り入れて人々と一緒にその善を行うことを楽しんだ。こうして舜は、農業従事、陶器づくり、漁業をしていた微賤のころから、帝堯(ぎょう)に見出されて天子となるまで、人から善を取り入れて行わないことはなかった。このように人から取り入れて善を行うということは、人とともに善をなすということである。ゆえに、君子としては人とともに善をなすということより偉大なことはないというのがわかるのである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、子路(しろ)は人(ひと)之(これ)に告(つ)ぐるに過(あやまち)有(あ)るを以(もっ)てすれば、即(すなわ)ち喜(よろこ)ぶ。禹(う)は善言(ぜんげん)を聞(き)けば、即(すなわ)ち拝(はい)す。大舜(たいしゅん)は焉(これ)より大(だい)なる有(あ)り。善(ぜん)、人(ひと)と同(おな)じくし、己(おのれ)を舎(す)てて人(ひと)に従(したが)い、人(ひと)に取(と)りて以(もっ)て善(ぜん)を為(な)すを楽(たの)しむ。耕稼(こうか)陶(とう)漁(ぎょ)(※)より、以(もっ)て帝(てい)と為(な)るに至(いた)るまで、人(ひと)に取(と)るに非(あら)ざる者(もの)無(な)し。諸(これ)を人(ひと)に取(と)りて以(もっ)て善(ぜん)を為(な)すは、是(こ)れ人(ひと)と善(ぜん)を為(な)す者(もの)なり。故(ゆえ)に君子(くんし)は人(ひと)と善(ぜん)を為(な)すより大(だい)なるは莫(な)し。
(※)耕稼陶漁……「耕稼」は農業に従事すること、「陶」は陶器づくり、「漁」は漁業。
【原文】
孟子曰、子路人告之以有過、則喜、禹聞善言、則拜、大舜有大焉、善、與人同、舍己從人、樂取於人以爲善、自耕稼陶漁、以至爲帝、無非取於人者、取諸人以爲善、是與人爲善者也、故君子莫大乎與人爲善。
9‐1 友とすべき人でなければ友としない
【現代語訳】
孟子は言った。「伯夷は自分の仕えるべき正しい君でなければ仕えない。また、自分の友とすべき人でなければ友としない。悪人の仕えている朝廷には仕えない。悪人とは物をも言わない。なぜなら悪人の仕えている朝廷に仕え、悪人と物を言うことは、朝廷に出仕するときに着る衣冠装束を身につけた姿で、泥や炭のような汚れたところに座るようなものと考えたからだ。こんな伯夷の悪を憎む心を推察してみると、次のようだと思われる。すなわち、同郷の人たちと一緒に朝廷に立ったとき、その同郷人の冠が礼式に合っていないと、伯夷はすぐに、後をも見ずに立ち去ってしまう。それは、(同郷人のふるまいで)自分の身までが汚されてしまうと思うからだ。こうだから、伯夷は諸侯が、礼を厚くして立派な言葉で出仕を求めても、それを受けることはしなかった。諸侯からの招聘を受けなかったのは、伯夷自身が仕えたいと思えないような君に仕えることをいさぎよしとしなかったためである」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、伯夷(はくい)は其(そ)の君(きみ)(※)に非(あら)ざれば事(つか)えず。其(そ)の友(とも)(※)に非(あら)ざれば友(とも)とせず。悪人(あくにん)の朝(ちょう)に立(た)たず。悪人(あくにん)と言(ものい)わず。悪人(あくにん)の朝(ちょう)に立(た)ち、悪人(あくにん)と言(ものい)うは、朝)衣(ちょうい)朝冠(ちょうかん)を以(もっ)て塗炭(とたん)に坐(ざ)するが如(ごと)し。悪(あく)を悪(にく)むの心(こころ)を推(お)すに、思(おも)えらく、郷人(きょうじん)と立(た)ちて、其(そ)の冠(かん)正(ただ)しからざれば、望望然(ぼうぼうぜん)(※)として之(これ)を去(さ)る。将(まさ)に浼(けが)されんとするが若(ごと)し。是(こ)の故(ゆえ)に、諸侯(しょこう)其(そ)の辞(じ)命(めい)を善(よ)くして至(いた)る(※)者(もの)有(あ)りと雖(いえど)も、受(う)けざるなり。受(う)けざる者(もの)は、是(こ)れ亦(また)就(つ)くを屑(いさぎよ)しとせざる己(のみ)。
(※)其の君……自分の仕えるべき正しい君。
(※)其の友……自分の友とすべき人。なお、この言葉は孟子が伯夷について言ったものだが、孟子自身も万章(下)で「友(とも)たる者(もの)は、其(そ)の徳(とく)を友(とも)とするなり」と言っている。また、吉田松陰は「徳(とく)を成(な)し材(ざい)を達(たっ)するには、師恩(しおん)友(ゆう)益(えき)多(おお)きに居(お)り、故(ゆえ)に君子(くんし)は交遊(こうゆう)を慎(つつし)む」(士規七則)とする。私は次のように現代訳をしたことがある。「徳を身につけて、自分の才能を伸ばし世に役立つ人材になるのは、師と友から受けるものによって可能となります。だから君子すなわち成長する人は、交友する師と友を慎重に選び、誰とでも付き合うようなことはしないのです」(拙著『吉田松陰の名言100』アイバス出版)。
(※)望望然……後をも見ずに。ほかに「はじ入って」などと解釈する説などもある。
(※)辞命を善くして至る……礼を厚くして立派な言葉で出仕を求める。
【原文】
孟子曰、伯夷非其君不事、非其友不友、不立於惡人之朝、不與惡人言、立於惡人之朝、與惡人言、如以朝衣朝冠坐於塗炭、推惡惡之心、思、與郷人立、其冠不正、望望然去之、若將浼焉、是故、諸侯雖有善其辭命而至者、不受也、不受也者、是亦不屑就己。
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