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第47回

112〜113話

2021.05.31更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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5‐1 余裕綽綽(しゃくしゃく)。自分の理を持つ


【現代語訳】
孟子が(斉の大夫である)蚳鼃に言った。「あなたが霊丘の長官を辞めて、士師という刑罰をつかさどり、諫言もできる職に就くのを希望されたのは、ごもっともです。その職に就けば王に非があるときに諫めることができるためでありましょう。ところが、就任されて数ヵ月も経つのに、まだ諫めておりません」。その後、蚳鼃は王を諫めたが、用いられなかった。そのため臣を辞めて、去っていってしまった。斉の人たちは言った。「(孟子が)蚳鼃のためを思って言ったのは良いことだ。しかし、自分は忠告をしていても去らないとは、どういうことだろうか(孟子の進言が王に聞かれないのに去らないのはどういうことだろうか)」と。(弟子の)公都子が、この斉の人たちの言葉を孟子に伝えた。すると孟子は言った。「私は、こういうことを聞いている。すなわち、官を任命され(禄をもらい)、その職責がある者は、職務が果たされなければ辞めて去り、諫言する職責の者も、その諫めが聞かれなかったら去るべきだ。しかし、私は、現在官を任命されておらず(禄も受けておらず)、諫言する職責もない。だから、私の進退は、余裕綽綽で、自由なのである」。

【読み下し文】
孟子(もうし)、蚳鼃(ちあ)に謂(い)いて曰(いわ)く、子(し)の霊丘(れいきゅう)を辞(じ)して士師(しし)を請(こ)いしは、似(に)たり(※)。其(そ)の以(もっ)て言(い)うべきが為(た)めなり。今(いま)既(すで)に数月(すうげつ)なり。未(いま)だ以(もっ)て言(い)うべからざるか。蚳鼃(ちあ)、王(おう)を諫(いさ)めて用(もち)いられず。臣(しん)たることを致(いた)して去(さ)る。斉人(せいひと)曰(いわ)く、蚳鼃(ちあ)の為(ため)にする所以(ゆえん)は、則(すなわ)ち善(よ)し。自(みずか)ら為(ため)にする所以(ゆえん)は、則(すなわ)ち吾(わ)れ知(し)らざるなり、と。公都子(こうとし)以(もっ)て告(つ)ぐ。曰(いわ)く、吾(わ)れ之(これ)を聞(き)く、官守(かんしゅ)有(あ)る者(もの)(※)は、其(そ)の職(しょく)を得(え)ざれば則(すなわ)ち去(さ)り、言(げん)責(せき)有(あ)る者(もの)は、其(そ)の言(げん)を得(え)ざれば則(すなわ)ち去(さ)る、と。我(われ)官守(かんしゅ)無(な)く、我(われ)言責(げんせき)無(な)し。則(すなわ)ち吾(わ)が進(しん)退(たい)、豈(あに)綽綽然(しゃくしゃくぜん)として余裕(よゆう)(※)有(あ)らざらんや。

(※)似たり……ごもっとも。
(※)官守有る者……官を任命された(禄を受けている)職責ある者。
(※)綽綽然として余裕……余裕綽綽。今も使われている「余裕しゃくしゃく」の語源である。なお、ここの孟子の言い方については、いつも孟子を肯定的に評価している漢文学者の内野熊一郎氏も、「正直、嫌悪感をおぼえる」と言われる(『新釈漢文大系孟子(4) 孟子』明治書院)。孟子を批判的に見られる中国史学者の貝塚茂樹氏は当然のごとく、「孟子は理に勝ちすぎて、情において欠けるところがある」とされる(『孟子』講談社学術文庫)。確かに日本人には、特に情に欠けるところを感じるかもしれないが、ここでも、吉田松陰の言う「君子(くんし)は何事(なにごと)に臨(のぞ)みても理(り)に合(あ)うか合(あ)わぬかを考(かんが)え」るべきだ、とも言えるのではないか(『講孟箚記』)。事実、孟子も後に王に見切りをつけて去ることになるし、このときは、とにかく、民が多く死ぬような現状を変えたいとの一心である。だから蚳鼃には申し訳ないことをしたが(しかし、去っても他国で仕官はでき、死ぬことはないだろう)、王を変え、民たちを死なないようにさせる政治体制をつくりたかったと思われる。

【原文】
孟子、謂蚳鼃曰、子之辭靈丘而請士師、似也、爲其可以言也、今旣數月矣、未可以言與、蚳鼃、諫於王而不用、致爲臣而去、齊人曰、所以爲蚳鼃、則善矣、所以自爲、則吾不知也、公都子以告、曰、吾聞之也、有官守者、不得其職則去、有言責者、不得其言則去、我無官守、我無言責也、則吾進退、豈不綽綽然有餘裕哉。

 

6‐1 自分の立場、役割を良く知る


【現代語訳】
孟子が斉で客分の卿となっていたとき、王の命で、滕へ弔問に出かけた。王は蓋の長官で、お気に入りの王驩を副使として同行させた。王驩は、朝晩に孟子に会い、ご機嫌を伺った。しかし、斉から滕までの旅路を往復しながら、一度も王驩と仕事である弔問についての話し合いをしなかった。(帰国後、弟子の)公孫丑が、このことを疑問に思い、聞いた。「先生は今、斉の国の客分の卿ですが、その地位は決して軽くはありません。また、斉と滕の距離は、近いものでもありません。その長い旅路において、一度も使命について王驩と相談しなかったのはなぜですか」。孟子は言った。「使命については、彼が一切取りしきってやってくれているのである。私がそれ以上に言うことなんかないではないか」。

【読み下し文】
孟子(もうし)斉(せい)に卿(けい)(※)たり。出(い)でて滕(とう)に弔(ちょう)す。王(おう)、蓋(こう)の大夫(たいふ)王驩(おうかん)をして輔(ほ)行(こう)たらしむ。王驩(おうかん)朝暮(ちょうぼ)に見(まみ)ゆ。斉(せい)・滕(とう)の路(みち)を反(はん)し(※)、未(いま)だ嘗(かつ)て之(これ)と行事(こうじ)を言(い)わざるなり。公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、斉(せい)卿(けい)の位(くらい)は、小(しょう)と為(な)さず。斉(せい)・滕(とう)の路(みち)は、近(ちか)しと為(な)さず。之(これ)を反(はん)し(※)て未(いま)だ嘗(かつ)て与(とも)に行事(こうじ)を言(い)わざるは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、夫(か)れ既(すで)に之(これ)を治(おさ)むる或(あ)り。予(われ)何(なに)を言(い)わんや(※)。

(※)卿……ここでは、客分の卿。他国から来た人で王を助ける客卿。
(※)反し……往復する。
(※)何をか言わんや……私がそれ以上言うことなんかないではないか。なお、離婁(下)第二十二章にも、王驩が出てくる。それも併せて読むと、孟子が王驩をかなり嫌っている雰囲気が伝わってくる。だから何も言うことはないとしたと見る人が多い。ほかに考えられるのは、王が、お気に入りの王驩をわざわざ付けたのだから余計なことは言う必要がないと考えたとも見られる。吉田松陰などは、朝晩にご機嫌伺いをする王驩の態度から「孟子(もうし)の徳望(とくぼう)貴重(きちょう)想(おも)うべし」、とし二人の関係をそう見ている。離婁(下)第二十七章では、権力者の王驩にこびる人が多いなかで、礼を守り、決してこびない姿勢を貫く孟子がある。これを見ると、王驩にこびたくないために使命の相談をしなかったと考えられるのではないか

【原文】
孟子爲卿於齊、出弔於滕、王、使蓋大夫王驩爲輔行、王驩朝暮見、反齊滕之路、未甞與之言行事也、公孫丑曰、齊卿之位、不爲小矣、齊滕之路、不爲近矣、反之而未甞與言行事、何也、曰、夫既或治之、予何言哉。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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