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第63回

152〜153話

2021.06.22更新

読了時間

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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滕文公(下)


1‐1 志士は苦境を恐れない


【現代語訳】
(孟子の弟子の)陳代が言った。「先生のほうから諸侯に面会を求められないのは、少し狭量すぎませんか。今、もし先生が諸侯に会えば、大は(うまくいけば)王者を生み、小は(うまくいかなくても)覇者にさせることができるのではないでしょうか。それに古い記録にも、『わずか一尺を曲げても、八尺をまっすぐにできれば良い』とあります。先生におかれましても、そのように少し柔軟に考えてうまくやれば、良い結果が生じるのではないでしょうか」。すると、孟子は言った。「昔、斉の景公が猟をなさるときのことである。景公が大夫を招くべき旌という旗を使って、狩り場の係の役人を招き呼んだ(しかし、彼を招き呼ぶには、皮冠という別の旗を使うべきであるが、それを用いなかった)。係りの者は、これに応じずに来なかったので、景公は腹を立て、その者を殺そうとした。この話を聞いた孔子はほめて言ったという。『志士というのはひたすら正しい道を目指しているので苦境、困窮など覚悟のうえだ(正しい道を貫くために、溝や谷間にしかばねをさらそうが貫き進むだけだ)。また勇士は、事があったらいつでも首を取られる覚悟をしているのだ』と。孔子はどうしてそんなにほめたのだろうか。それは係りの役人が正しい招き方で呼ばれなければ、死んでも行かないという覚悟をほめられたのであろう。このように礼に反しているなら、行くべきでないのに、それでものこのこと行くなんてありえないことだ(だから私も決して自分からのこのこと行かない)。それに、『わずか一尺を曲げても八尺をまっすぐにすれば良い』というのは、利益を求めるべきときの話だ。その利益を求めるべきときの話を、諸侯との面会に持ってくるのはおかしい。また、もし利益を求めるべきとなれば、八尺ほどのものを曲げてでも、一尺ほどの利益を求めることにもなろうが、そんなことはすべきでない」。

【読み下し文】
陳代(ちんだい)曰(いわ)く、諸侯(しょこう)を見(み)ざるは、宜(ほとん)ど小(しょう)なるが若(ごと)く然(しか)るべし。今(いま)一(ひと)たび之(これ)を見(み)ば、大(だい)は則(すなわ)ち以(もっ)て王(おう)たらしめ、小(しょう)は則(すなわ)ち以(もっ)て覇(は)たらしめん。且(か)つ志(し)に曰(いわ)く、尺(しゃく)を枉(ま)げて尋(じん)(※)を直(なお)くす、と。宜(よろ)しく為(な)すべきが若(ごと)くなるべきなり。孟子(もうし)曰(いわ)く、昔(むかし)、斉(せい)の景公(けいこう)田(でん)す(※)。虞人(ぐじん)(※)を招(まね)くに旌(せい)(※)を以(もっ)てす。至(いた)らず。将(まさ)に之(これ)を殺(ころ)さんとす。志士(しし)(※)は溝(こう)壑(がく)に在(あ)るを忘(わす)れず。勇子(ゆうし)は其(そ)の元(こうべ)を喪(うしな)うを忘(わす)れず、と。孔子(こうし)奚(なん)をか取(と)れる。其(そ)の招(まね)きに非(あら)ざれば往(ゆ)かざるを取(と)れるなり。其(そ)の招(まね)きを待(ま)たずして往(ゆ)くがごときは、何(なん)ぞや。且(か)つ夫(そ)れ尺(しゃく)を枉(ま)げて尋(じん)を直(なお)くすとは、利(り)を以(もっ)て言(い)うなり。如(も)し利(り)を以(もっ)てせば、則(すなわ)ち尋(じん)を枉(ま)げ尺(しゃく)を直(なお)くして利(り)あらば、亦(また)為(な)すべきか。

(※)尋……八尺。
(※)田す……猟をする。梁恵王(下)第一章三の「田猟」と同じ。
(※)虞人……狩り場の係りの役人。
(※)旌……鳥の羽根を棒の先につけた旗。大夫を招き呼ぶとき にそれを振る。虞人を招き呼ぶときは、皮冠という皮でできた 冠を振るのが礼とされた。
(※)志士……国のため、民のために正しい道を貫いていく志を持っている人。本項で孔子の言葉として孟子が紹介している「志士は溝壑に在るを忘れず。勇子は其の元を喪うを忘れず」は、我が国のいわゆる“幕末の志士”たちにも有名であった。吉田松陰も大好きな言葉であったようで、「書(しょ)を読(よ)むの要(かなめ)は、是(これ)等(ら)の語(ご)にあいて反復(はんぷく)熟思(じゅくし)すべし」と述べる(『講孟箚記』)。

【原文】
陳代曰、不見諸侯、宜若小然、今一見之、大則以王、小則以覇、且志曰、枉尺而直尋、宜若可爲也、孟子曰、昔、齊景公田、招虞人以旌、不至、將殺之、志士不忘在溝壑、勇士不忘喪其元、孔子奚取焉、取非其招不往也、如不待其招而往、何哉、且夫枉尺而直尋者、以利言也、如以利、則枉尋直尺而利、亦可爲與。

 

1‐2 自分をごまかし曲げる者は人を正しく直せない


【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「昔、(晋の大夫であった)趙簡子が、御者の名人であった王良に命じて、寵臣の奚を乗せて猟に行かせた。ところが一日かかっても一匹の獲物もなかった。奚は趙簡子に帰って報告した。『王良は天下第一のへたくそな御者です』と。ある人がそれを王良に告げた。すると、王良は、『どうか、もう一度やらせてください』と申し出た。最初は応じられなかったが、たっての願いにやっと許されることになった。そうすると今度は朝飯前に、十匹もの獲物が取れた。奚は、喜び報告した。『王良は天下第一の御者です』と。すると趙簡子は、奚に言った。『では、王良をお前の専属の御者にしよう』と。そのことを趙簡子は王良に話すと、王良は承知しなかった。そして言った。『私が奚のために、定めにしたがった正しい車の御し方をしたところ、一匹の獲物も取れませんでした。次には定めからはずれた奚に合わせただけの御し方をすると、朝飯前に十匹も取れました。これは、奚が狩りにおける君子としての正しい射法を知らないためです。『詩経』にもこうあります。『正しく車を御せば、矢は勢い鋭く必ずあたる』と。『奚のような正しい射法も知らないつまらない小人と一緒に車に乗ることは慣れていませんので、辞退したいと思います』と。このように御者である王良でさえ、車に乗って猟をする人にへつらうことを恥とするのだ。もしへつらってやれば獲物は、山のように取れるにしても、それを決してしないのだ。ましてや、私が道を曲げてまでして、諸侯に従うことなどやるわけがないだろう。それにそもそもお前は間違っているぞ。つまり、自分をごまかし曲げる者は、人を正しく直せることなどないということだ」。

【読み下し文】
昔者(むかし)、趙簡子(ちょうかんし)、王(おう)良(りょう)をして嬖奚(へいけい)と乗(の)らしむ。終日(しゅうじつ)にして一禽(いっきん)をも獲(え)ず。嬖奚(へいけい)(※)反命(はんめい)して曰(いわ)く、天下(てんか)の賤(工(せんこう)(※)なり、と。或(ある)ひと以(もっ)て王良(おうりょう)に告(つ)ぐ。良(りょう)曰(いわ)く、請(こ)う之(これ)を復(ふたた)びせん、と。強(し)いて後(のち)に可(き)く。一朝(いっちょう)(※)にして十禽(じゅっきん)を獲(え)たり。嬖奚(へいけい)反命(はんめい)して曰(いわ)く、天下(てんか)の良工(りょうこう)なり。簡子(かんし)曰(いわ)く、我(われ)女(なんじ)の与(ため)に乗(の)ることを掌(つかさど)らしめん、と。王良(おうりょう)に謂(い)う。良(りょう)可(き)かずして曰(いわ)く、吾(わ)れ之(これ)が為(ため)に我(わ)が馳駆(ちく)を範(はん)すれば、終日(しゅうじつ)にして一(いつ)をも獲(え)ず。之(これ)が為(ため)に詭遇(きぐう)すれば(※)、一朝(いっちょう)にして十(じゅう)を獲(え)たり。詩(し)に云(い)う、其(そ)の馳(は)することを失(うしな)わざれば、矢(や)を舎(はな)ちて破(やぶ)るがごとし、と。我(われ)小人(しょうじん)と乗(の)ることを貫(なら)わず(※)。請(こ)う辞(じ)せん、と。御者(ぎょしゃ)すら且(か)つ射(い)る者(もの)と比(ひ)するを羞(は)ず。比(ひ)して(※)禽獣(きんじゅう)を得(う)ること、丘陵(きゅうりょう)の若(ごと)しと雖(いえど)も、為(な)さざるなり。道(みち)を枉(ま)げて彼(かれ)に従(したが)うが如(ごと)きは何(なん)ぞや。且(か)つ子(し)過(あやま)てり。己(おのれ)を枉(ま)ぐる者(もの)(※)は、未(いま)だ能(よ)く人(ひと)を直(なお)くする者(もの)有(あ)らざるなり。

(※)嬖奚……「嬖」は寵臣(梁恵王(下)第十六章一参照)。「奚」はその名。
(※)賤工……へたくそ。
(※)一朝……朝飯前。早朝から朝食時まで。
(※)詭遇すれば……定めからはずれた奚に合わせただけの御し方をすると。「詭」は正しくない、定めからはずれたなどの意。『孫子』にある「兵(へい)とは詭(き)道(どう)なり」(計篇)が参考になる。「遇」は、無理に合わせることをいう。
(※)貫わず……慣れていない。
(※)比して……へつらって。
(※)己を枉ぐる者……自分をごまかし曲げる者。同じような表現は、万章(上)第七章三にもある。次のように言う。「吾(わ)れ未(いま)だ己(おのれ)を枉(ま)げて人(ひと)を正(ただ)す者(もの)を聞(き)かざるなり」。

【原文】
昔者、趙簡子、使王良與嬖奚乘、終日而不獲一禽、嬖奚反命曰、天下之賤工也、或以告王良、良日、請復之、強而後可、一朝而獲十禽、嬖奚反命日、天下之良工也、簡子曰、我使掌與女乘、謂王良、良不可曰、吾爲之範我馳驅、終日不獲一、爲之詭遇、一朝而獲十、詩云、不失其馳、舎矢如破、我不貫與小人乘、請辭、御者且羞與射者比、比而得禽獸、雖若丘陵、弗爲也、如枉道而從彼何也、且子過矣、枉己者、未有能直人者也。

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著者

野中 根太郎

早稲田大学卒。海外ビジネスに携わった後、翻訳や出版企画に関わる。海外に進出し、日本および日本人が外国人から尊敬され、その文化が絶賛されているという実感を得たことをきっかけに、日本人に影響を与えつづけてきた古典の研究を更に深掘りし、出版企画を行うようになる。近年では古典を題材にした著作の企画・プロデュースを手がけ、様々な著者とタイアップして数々のベストセラーを世に送り出している。著書に『超訳 孫子の兵法』『吉田松陰の名言100-変わる力 変える力のつくり方』(共にアイバス出版)、『真田幸村 逆転の決断術─相手の心を動かす「義」の思考方法』『全文完全対照版 論語コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 孫子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 老子コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』『全文完全対照版 菜根譚コンプリート 本質を捉える「一文超訳」+現代語訳・書き下し文・原文』(以上、誠文堂新光社)などがある。

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