第68回
161〜162話
2021.06.29更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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5‐2 湯の聖戦(民が求める戦い)
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「こうして湯王の初めての征伐は葛から始まった。そしてその後十一ヵ国を征伐して、天下に敵するものはなくなった。その間、東に向かって征伐に向かえば、西夷の人々が怨み、南に向かって征伐に向かえば北狄の人々が怨んだ。そして言うのだ。『どうして私たちのほうが後まわしになるのか』と。このように民が湯王の軍がくることを望むのは、あたかも大干ばつのときに、雨を望むようであったのだ。また、市場に出かける者は、いつものように行くし、田畑で草取りをする者は、いつもと同じように草取りをして変わらないのであった。湯王が悪い君を誅し、そこの民をあわれみなぐさめることは、恵みの雨が降るようであり、民はとても喜んだのである。『書経』は次のように言っている。『我が君がやってくるのを待ちこがれている。君がこられたら、このひどい刑罰がなくなるだろう』と」。
【読み下し文】
湯(とう)始(はじ)めて征(せい)する、葛(かつ)より載(はじ)む(※)。十一(じゅういち)征(せい)して天下(てんか)に敵(てき)無(な)し。東面(とうめん)して征(せい)すれば、西夷(せいい)怨(うら)み、南面(なんめん)して征(せい)すれば、北狄(ほくてき)怨(うら)む。曰(いわ)く、奚(なん)為(す)れぞ我(われ)を後(のち)にする、と。民(たみ)の之(これ)を望(のぞ)むこと、大旱(たいかん)の雨(あめ)を望(のぞ)むが若(ごと)きなり。市(し)に帰(おもむ)く者(もの)止(とど)まらず。芸(くさぎ)る者(もの)(※)変(へん)ぜず。其(そ)の君(きみ)を誅(ちゅう)し、其(そ)の民(たみ)を弔(あわ)れむ(※)こと、時雨(じう)(※)の降(ふ)るがごとして、民(たみ)大(おお)いに悦(よろこ)ぶ。書(しょ)に曰(いわ)く、我(わ)が后(きみ)を徯(ま)つ。后(きみ)来(きた)らば其(そ)れ罰(ばつ)無(な)からん、と。
(※)載む……始める。「はじ」むと読む。
(※)芸る者……田畑で草取りをする者。
(※)民を弔れむ……民をあわれみなぐさめる。なお、「弔れむ」を「弔(とぶら)う」と読む場合もある。なお、ここで説明する湯王の聖戦については、梁恵王(下)第十一章一にも同じ話が出ている。
(※)時雨……恵みの雨。ちょうど良いときに降る雨。
【原文】
湯始征、自葛載、十一征而無敵於天下、東面而征、西夷怨、南面而征、北夷怨、曰、奚爲後我、民之望之、若大旱之望雨也、歸市者弗止、芸者不變、誅其君、弔其民、如時雨降、民大悦、書曰、徯我后、后來其無罰。
5‐3 英雄武王の王道(覇道との違い)
【現代語訳】
〈前項から続いて孟子は言った〉。「『(『書経』には)周の武王が紂王を伐ったころ、紂王の家来のなかには、まだ武王の家来(臣)にならないで悪い政治を続けている者があったので、東方に向かって征伐に行き、殷の庶民の男女を安心させた。すると、その男女は、黒と黄の絹の巻物を箱に入れて、我が周王につてを求めて謁見してその徳の美しく立派なのを見て心服し、周の家臣になった』とある。このように殷の君子たち(役人たち)は、黒と黄の絹の巻物を箱にみたして周の君子たち(役人たち)を迎え、小人たち(庶民たち)は、食事や飲み物を壺に入れて用意して周の一般兵たちを迎えた。それというのも、武王は、殷の民を水火の苦しみから救い出し、残虐なことをしていた者たちを取り除いたからである。『書経』の太誓篇にも、『我が周の武威が大いに発揚されて、殷の国境に攻め入った。そして残虐なことをしている者たちを取り除き、征伐の効果が大いに広がった。昔の湯王のときよりも(湯王が夏の桀王を征伐したときよりも)、その栄光は輝いている』とある。いやしくも、本当の王道政治を行えば、このようになるのだ。それを(宋は)、王道政治を行いもせずに(単に覇道政治を行おうとして)、斉や楚の大国の動向を恐れるのはおかしい。(湯王、武王のような)本当の王道政治を行うのなら、斉や楚は大国だけれども恐れる必要はないのだ」。
【読み下し文】
惟(こ)(※)れ臣(しん)たらざる攸(ところ)有(あ)り。東征(とうせい)して厥(そ)の士女(しじょ)を綏(やす)んず(※)。厥(そ)の玄黄(げんおう)を匪(はこ)にし、我(わ)が周王(しゅうおう)に紹(しょう)して(※)休(きゅう)(※)を見(み)、惟(こ)れ大邑(たいゆう)周(しゅう)に臣(しん)附(ぷ)す、と。其(そ)の君子(くんし)は玄黄(げんおう)を匪(はこ)(※)に実(み)てて、以(もっ)て其(そ)の君子(くんし)を迎(むか)え、其(そ)の小人(しょうじん)は簞食(たんし)壺漿(こしょ)(※)して、以(もっ)て其(そ)の小人(しょうじん)を迎(むか)う。民(たみ)を水火(すいか)の中(なか)に救(すく)い、其(そ)の残(ざん)を取(と)りしがためのみ。太誓(たいせい)に曰(いわ)く、我(わ)が武(ぶ)惟(こ)れ揚(あ)がり、之(これ)が彊(さかい)を侵(おか)す。則(すなわ)ち残(ざん)を取(と)り、殺伐(さつばつ)用(もっ)て張(は)る。湯(とう)に于(おい)て(※)光(ひかり)有(あ)り(※)、と。王政(おうせい)を行(おこな)わずして爾(しか)云(い)う。苟(いやしく)も王政(おうせい)を行(おこな)わば、四海(しかい)の内(うち)、皆(みな)首(くび)を挙(あ)げて之(これ)を望(のぞ)み、以(もっ)て君(きみ)と為(な)さんことを欲(ほっ)せん。斉(せい)・楚(そ)大(だい)なりと雖(いえど)も、何(なん)ぞ畏(おそ)れん。
(※)惟……まだ。まさに。ここでは、単に強調している語と解した。ほかにも、「為(ため)に」とする説、「思うに」とする説などがある。なお、滕文公(下)第三章二参照。
(※)綏んず……安心させた。
(※)紹して……つてを得て。
(※)休……美の意味。
(※)匪……箱。
(※)簞食壺漿……食事や飲み物。「簞」は竹の器。「食」は飯。「壺」はつぼ。「漿」は飲み物。
(※)湯に于て……湯王のときよりも。
(※)光有り……栄光は輝いている。
【原文】
有攸不惟臣、東征綏厥士女、匪厥玄黃、紹我周王見休、惟臣附于大邑周、其君子實玄黃于匪、以迎其君子、其小人簞⻝壺漿、以迎其小人、救民於水火之中、取其殘而已矣、太誓曰、我武惟揚、侵于之疆、則取于殘、殺伐用張、于湯有光、不行王政云爾、苟行王政、四海之內、皆擧首而望之、欲以爲君、齊・楚雖大、何畏焉。
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