第81回
192〜194話
2021.07.16更新
「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文を対照させたオールインワン。
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16‐1 人を侮ったり、人から奪うようなことをしてはいけない
【現代語訳】
孟子は言った。「自分を慎み、へりくだっている人(恭者)は、他人を決して侮ったりはしない。慎ましく、倹約する人(倹者)は、他人から物を奪おうなどとは考えない。人を侮り、人から物を奪うような君主は、ただ人が自分に従順でないことを恐れる。それが、どうして恭倹の人などになれようか。恭倹は、心のなかから生じるものであって、決してうわべだけの言葉、つくろった声の調子、つくり笑いで生じるものではないのだ」。
【読み下し文】
孟子(もうし)曰(いわ)く、恭者(きょうしゃ)(※)は人(ひと)を侮(あなど)らず。倹者(けんしゃ)(※)は人(ひと)より奪(うば)わず。人(ひと)を侮(あなど)り奪(うば)うの君(きみ)は、惟(ただ)順(したが)わざらんことを恐(おそ)る。悪(いずく)んぞ恭倹(きょうけん)と為(な)すを得(え)ん。恭倹(きょうけん)は豈(あに)声音(せいおん)(※)笑貌(しょうぼう)(※)を以(もっ)て為(な)すべけんや。
(※)恭者……自分を慎しみ、へりくだっている人。
(※)倹者……慎ましく、倹約する人。
(※)声音……声色。言葉の調子。ここでは、恭倹に似せたうわべだけの言葉、つくろった声の調子。
(※)笑貌……にこにことした顔つき。ここでは、恭倹に似せたつくり笑い。
【原文】
孟子曰、恭者不侮人、儉者不奪人、侮奪人之君、惟恐不順焉、惡得爲恭儉、恭儉豈可以聲音笑貌爲哉。
17‐1 天下は王道によってでしか救えない
【現代語訳】
(斉の弁士である)淳于髠が孟子に聞いた。「男女が物をやり取りするとき、直接手渡ししないのは、礼のためですか」。孟子は答えた。「いかにも、礼です」。淳于髠はさらに聞いた。「では、兄嫁が水に溺れかけているときに、これを助けるのに手を取って助けますか」。孟子は答えた。「兄嫁が水に溺れかかっているのを見て、助けないのは、まるで山犬、狼のような残虐なものの行為です。男女が直接、手から手へと物を渡さないのは、礼です。しかし、兄嫁が溺れかけているとき、手を取って助けることは当然のことであり、道にかなった臨機応変の処置なのです」。淳于髠はうまく引き込んだとばかりに言った。「今、天下は乱れ、民は溺れかかっています。それなのに、先生は手を差しのべて助けようとしない(もっと柔軟に、臨機応変に諸侯に会い、民を救うために手を出すべきではないでしょうか)。どうしてですか」。孟子は言った。「天下が乱れ、民が溺れかかっているのを助けるには、道をもって(仁政によって)行う必要があります。兄嫁が溺れかかっているときは、手を取ってこれを救わなければいけない。あなたは同じように、天下を救うのに、手を使ってやろうというのですか」。
【読み下し文】
淳于髠(じゅんうこん)(※)曰(いわ)く、男女(だんじょ)授受(じゅじゅ)(※)するに親(みずか)らせざるは、礼(れい)か。孟子(もうし)曰(いわ)く、礼(れい)なり。曰(いわ)く、嫂(あによめ)(※)溺(おぼ)るれば、則(すなわ)ち之(これ)を援(たす)くるに手(て)を以(もっ)てするか。曰(いわ)く、嫂(あによめ)溺(おぼ)るるに援(たす)けざるは、是(こ)れ豺狼(さいろう)(※)なり。男女(だんじょ)授受(じゅじゅ)するに親(みずか)らせざるは、礼(れい)なり。嫂(あによめ)溺(おぼ)れ、之(これ)を援(たす)くるに手(て)を以(もっ)てする者(もの)は、権(けん)なり(※)。曰(いわ)く、今(いま)天下(てんか)溺(おぼ)る。夫子(ふうし)の援(たす)けざるは、何(なん)ぞや。曰(いわ)く、天下(てんか)溺(おぼ)るれば、之(これ)を援(たす)くるに道(みち)を以(もっ)てす。嫂(あによめ)溺(おぼ)るれば、之(これ)を援(たす)くるに手(て)を以(もっ)てす。子(し)、手(て)にて天下(てんか)を援(たす)けんと欲(ほっ)するか。
(※)淳于髠……斉のユーモラスな弁で名の通った人。
(※)男女授受……男女が物をやり取りすること。
(※)嫂……兄嫁。
(※)豺狼……山犬と狼。
(※)権なり……道にかなった臨機応変の処置をする。「権」とは、もともと「はかり」のことで、いろいろ比べて適切な臨機応変の処置をとることを意味する。『孫子』でも「計(けい)、利(り)として以(もっ)て聴(き)かるれば、乃(すなわ)ち之(これ)が勢(せい)を為(な)して、以(もっ)て其(そ)の外(そと)を佐(たす)く。勢(せい)とは利(り)に因(よ)りて権(けん)を制(せい)するなり」(計篇)としている。
【原文】
淳于髠曰、男女授受不親、禮與、孟子曰、禮也、曰、嫂溺、則援之以手乎、曰、嫂溺不援、是豺狼也、男女授受不親、禮也、嫂溺援之以手者、權也、曰、今天下溺矣、夫子之不援、何也、曰、天下溺援之以衜、嫂溺援之以手、子欲手援天下乎。
18‐1 我が子は自分で教育しないほうが良い
【現代語訳】
(弟子の)公孫丑が尋ねた。「君子が自分の子を自ら教育しないのは、どうしてでしょうか」。孟子は答えて言った。「それは、自然にそうなってくるのだ。つまり、具合が悪いことが多いからだ。というのも教えるほうは、正しいことを教えようとする。正しいことを教えて、それがわからないとき、怒ってしまうようになる。そうすると、もともと子どもを良くしようとしたことによって、かえって子どもに対する恩愛の情をそこなうことになってしまうのである。子どものほうでも、『お父さんは、私に正しいことを教えようとしているが、本人は正しいことをしているのか疑問なことが多い』となる。これでは父子関係が良くなくなる。父子関係が悪くなるのは、いかにもまずい。だから昔は、子を他人と取り換えて教育したのだ。このように父子の間では善を責め合うべきではない。善を責め合うようになると親子の情も離れてしまう。人生において親子の情が離れてしまうことほどの大きな不幸はない」。
【読み下し文】
公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、君子(くんし)の子(こ)を教(おし)えざるは、何(なん)ぞや。孟子(もうし)曰(いわ)く、勢(いきお)い(※)行(おこな)わざればなり。教(おし)うる者(もの)は必(かなら)ず正(せい)を以(もっ)てす。正(せい)を以(もっ)てして行(おこな)わざれば、之(これ)に継(つ)ぐに怒(いか)りを以(もっ)てす。之(これ)に継(つ)ぐに怒(いか)りを以(もっ)てすれば、則(すなわ)ち反(かえ)って夷(そこな)う。夫子(ふうし)(※)我(われ)に教(おし)うるに正(せい)を以(もっ)てするも、夫子(ふうし)未(いま)だ正(せい)に出(い)でざるなり。則(すなわ)ち是(こ)れ父子(ふし)相(あい)夷(そこな)うなり。父子(ふし)相(あい)夷(そこな)えば、則(すなわ)ち悪(あ)し。古(いにしえ)は子(こ)を易(か)えて之(これ)を教(おし)う。父子(ふし)の間(あいだ)は善(ぜん)を責(せ)めず(※)。善(ぜん)を責(せ)むれば則(すなわ)ち離(はな)る。離(はな)るれば則(すなわ)ち不祥(ふしょう)(※)焉(これ)より大(だい)なるは莫(な)し。
(※)勢い……ここでは、自然の勢い、自然のなりゆき、を言っている。
(※)夫子……長者を尊ぶ語だが、ここでは父を指している。
(※)善を責めず……善を責め合うことをしない。なお、孟子は離婁(下)第三十章二にも、こう述べている。「善(ぜん)を責(せ)むるは、朋友(ほうゆう)の道(みち)なり。父子(ふし)善(ぜん)を責(せ)むるは、恩(おん)を賊(そこな)うの大(だい)なる者(もの)なり」。
(※)不祥……不幸。めでたくないこと。良くないこと。
【原文】
公孫丑曰、君子之不敎子、何也。孟子曰、勢不行也。敎者必以正。以正不行、繼之以怒。繼之以怒、則反夷矣、夫子敎我以正、夫子未出於正也。則是父子相夷也。父子相夷、則惡矣。古者易子而敎之。父子之閒不責善。責善則離。離則不祥莫大焉。
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