第6回
なぜ人生には本が必要なのか
2022.02.16更新
現役の書店員、三砂慶明氏による本をめぐる考察。なぜ、本には人生を変えるほどの大きな力があるのか。働くこと、食べること、そして生きること――。本と人生との関わりを解き明かしていきます。『千年の読書』刊行を記念して、本文の一部を公開します。
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私は本に人生を何度も助けられてきました。
あるとき、なぜケンカしたのかも思い出せないような些細(ささい)なすれ違いで、親友と絶交しました。その帰り道、駅のホームで電車を待ちながら読みはじめた色川武大の『うらおもて人生録』があまりに面白過ぎて、絶交したばかりの友人にうっかり電話してあきれられました。
電話をかけるのは好きなのに、かかってくる電話を取るのが苦手で、アルバイトもろくにできませんでした。ため息をついていたら、なじみの古本屋さんが声をかけてくれました。
「座ってるだけでいいからさ、面白い本があったら教えてよ」とまるで筒井康隆の「耽読者の家」のようなアルバイトをさせてくれました。
予想通り就職には失敗し、やっとのことで入社できた会社も一年でなくなってしまいました。これから先どうしたらいいか。何を頼りに生きていけばいいのか。考えているうちに時間だけが過ぎていき、自分だけが取り残されているような気持ちになりました。貯金はあっという間になくなり、食べていくための仕事を続けるだけで精いっぱいでした。目の前に積み上がっていく仕事を夢中でこなしていくうちに、もし、このまま一生を終えてしまったら、私は自分の人生を支えてくれた本とかかわらずに生きていくことになる。どうしたらいいのだろう。漠然と考えていたら、ある日たまたま開いた朝刊に未経験者可の書店立ち上げの募集広告が掲載されていました。思い切って履歴書を書きました。そして、今に至ります。
自分の人生をふりかえってみて思うのは、私はよく失敗しています。でも、考えてみると、人間は自分の人生を一度しか生きられません。だからみんな、やったことのないことにしか出会いません。私たちは、はじめての人生を、ぶっつけ本番で生きるしかありません。本番に強い人もいますが、私は人前に立つと緊張し、頭の中が真っ白になって、身体がふるえてきます。そんなとき本屋の中を歩くと、そっと手をさしのべるように、目の前を明るく照らしてくれる本と出会うことができました。ページを開くと、想像を絶する困難や不幸を乗り越えて、誰も歩いたことのない道を、一歩、また一歩と歩いていく著者とともにその風景を眺めることができました。
世界を変えることはできなくても、自分自身の言葉で、自分自身の人生を生きられたら、世界が違って見えるのだと、私は読書に教えてもらいました。
不思議なのは、人生がうまくいっているときは、あまり本が視界に入ってこないことです。むしろ、うまくいかなかったとき、失敗したとき、目の前が真っ暗になったときに本と出会います。
ディオゲネス・ラエルティオスの名著『ギリシア哲学者列伝』には、「教養は、順境にあっては飾りであり、逆境にあっては避難所である」という古代ギリシアの哲学者アリストテレスの言葉が書きとめられています。古代言語研究の第一人者、フレデリック・ジョージ・ケニオンの『古代の書物』によれば、このアリストテレスこそが本を体系立てて活用した蔵書家の始祖であり、「アリストテレースと共にギリシア世界は口頭の教えより読書の習慣へと移った」と記されています。かいつまんでいえば、私たちはアリストテレスのおかげで読書という習慣を手に入れることができ、アリストテレスは収集した本を読むことによって知の体系を紡ぎだし、世界を照らしだしたのです。ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった古代ギリシアの哲学者の言葉が今も古びないのは、人間の文化の歴史がそこから今につながっているからだと思います。
本には世界を変える力があります。何も入っていない本棚に一冊一冊本を並べ、本棚の前でお客様と話すうちにわかったことが二つありました。
どれほど恵まれた人生を歩んでいるように見える人でも「避難所」が必要であること。
そして、本は困難と向きあった人に新しい扉を開いてくれる、ということでした。
作家ヴァージニア・ウルフは『自分ひとりの部屋』で、
傑作というのは、それのみで、孤独の中で誕生するわけではありません。何年もかけてみんなで考えた結果、人びとが一体となって考えた結果として誕生します。ゆえに一つの声の背後には集団の経験があります。
と私たちが本屋で手に取る一冊が、実は人類の歴史と地下水脈のようにつながっているのだと教えてくれました。ウルフがいうように、「シェイクスピアはマーロウがいなかったら、マーロウはチョーサーがいなかったら、チョーサーは無名の詩人たちが道を拓き、生(き)のままの粗野な言葉づかいを直していなかったら書けなかった」のです。
千年前に書かれた『源氏物語』が、今も本屋の店頭で新刊として手に取られています。菅原孝標女の『更級日記』には、読みたいと願い続けていた『源氏物語』をおばから贈られたときの感動と興奮がありのままに綴られています。
それを戴いて帰るときのうれしさは天にも昇る心地だった。今までとびとびに読みかじって、話の筋も納得がゆかず、じれったく思っていた『源氏物語』を一の巻から読み始めて、邪魔も入らずたった一人で几帳(きちょう)の内に伏せって、櫃から一冊ずつ取り出しては読む気持、この幸福感の前には后(きさき)の位も何になろう。(『新編 日本古典文学全集26』)
千年前から読みたい本を読む喜びは変わっていません。菅原孝標女の言葉を追いかけていると、本は何かのために読むのではなくて、楽しくて楽しくて、ページをめくるのがとまらなくなるから読むのだと、読書の出発点に何度でも立ち返ることができます。何より素晴らしいのは、菅原孝標女が読むのをとめられなくなったその本が、今も本屋の店頭や図書館で、気軽に手に取れることです。しかも、日本だけでなく、世界中で。
私たちはよく「偶然」本と出会います。しかしそれは本当に「偶然」なのでしょうか。
作家ミヒャエル・エンデは、『M・エンデが読んだ本』で、読者に問いかけました。
あなたが人生の岐路で悩んでいるとき、ちょうどぴったりの瞬間に、ちょうどぴったりの本を手にとり、ちょうどぴったりの箇所をあけ、ちょうどぴったりの答えを見つけるなら、あなたはそれを偶然だと思いますか?
私が、今回、この本で探求してみたいと願ったのは、なぜ人生には本が必要なのか、です。
私たちがたまたま立ち寄った本屋で、一冊の本と出会うことができるのは、本当に偶然なのでしょうか。
本書では、毎日、新しい本が入荷し、抜き取られ、日々刻々と変化する本棚の中から、私たちの人生に欠くことのできない七つのテーマを選びました。テーマに合わせて本棚で星座のように輝く本を選書しています。本の内容を紹介するにあたり、書籍からすべて引用できなかった箇所については、私の言葉でまとめました。もし紹介した本の中で一冊でも興味を持ってもらえたら、これ以上の喜びはありません。
ささやかですが、本の世界への招待状のつもりでこの本を贈ります。今日もあなたと私に、新しい本との出会いがありますように。
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