第2回
ルネサンスのはじまり
2016.11.16更新
絵画は意外とおしゃべり。描かれた当時の事件や流行、注文主の趣味、画家の秘密……。名画が発するメッセージをキャッチして楽しむちょっとしたコツをお教えします。
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ギリシャ・ローマ時代に理想を求め、その後の西洋絵画の規範を生み出したルネサンス時代。イタリアではダヴィンチをはじめとする西洋絵画史のスターが次々誕生し、アルプス以北の地域では、精密で写実的な描写を特徴とする絵画が発展します。
■人間はすばらしいもの! 15世紀イタリアに花開いた文化
ダヴィンチやミケランジェロといった西洋美術界のビッグネームが続々と登場したのが、ルネサンス時代です。
十字軍の遠征以後、イタリアの各都市は地中海を舞台にしたイスラム圏の貿易で富を蓄えていきました。都市ごとに自治の意識が拡大するとともに、イスラム世界の知識が流入。1453年に東ローマ帝国が滅亡すると古代ギリシャ・ローマの知識も集まってきました。すると、それまでの紙を絶対視して人間を罪深いものと考える文化に代わり、人間中心の価値観や自然への探求心が芽生えていったのです。
加えて、イタリアには古代ローマの遺跡が多く残っていました。
ここに、古代ギリシャ・ローマを理想とする、人間の中に美を見出す文化の復活=ルネサンスが生まれたのです。
■各地域・各国でブームに。地域色豊かなルネサンスへ
ルネサンスは、イタリア諸都市、特にメディチ家(ルネサンス黄金時代に、実質的にフィレンツェを治めていた一族)の富と権力をバックに栄えたフィレンツェで大きく花開きました。古典に学んで人間性を追求し、生き生きとした人体や感情の表現、遠近法による空間表現を完成させます。
一方、今のオランダ、ベルギー、ドイツを中心とした地域では、北方ルネサンスが開花します。封建制が根強かったことなどから、中世的なテーマと写実的で緻密な描写が特徴的です。
その後、1494年のフランスのイタリア侵攻をきっかけにイタリア・ルネサンスは大きく衰退。宗教改革や大航海時代の到来も、イタリア諸都市を衰退させていきます。その後ルネサンスは、比較的影響が少なかったヴェネツィアや、新たに力をつけ始めた国々へと引き継がれていきました。
■超絶技法と謎のオンパレード。肖像画を超えた肖像画
世界一有名な絵として、また多くの謎に満ちた絵として知られる本作。でも「パッと見は普通の肖像画」、そう思う人もいるかもしれません。
実はそれこそがこの絵のすごさ。輪郭線を用いずにリアリティを追求する技法、イメージとして用いた背景、やや斜め向きのポーズなど、どれも本作をきっかけに広まったもの。今に伝わる肖像画のスタンダードとなる要素が詰まった衝撃作だったのです。
一方で、よく見るとドレスはもちろん、モデルの表情や感情、身分、性別までもが曖昧で、特定の個人を描いたにしてはわからないことだらけ。ダ・ヴィンチは本作を誰にも納品せず、亡くなるまで手元に置き加筆しました。誰でもなく、どこでもない――、普遍的な美を求めた作品といえます。
① 実在しない景色
広大な山岳風景は同時代の肖像画の背景と比べても、またモデルが住んでいたフィレンツェ周辺の風景ともかけ離れたもの。地平線や水面がモデルの左右で微妙に異なっていて、左右を反対にするとつながるなど、謎めいた構造です。山から流れる川のモチーフで水の循環を描くなど、自然科学への探究心も見てとれます。
② 雲ひとつない空
空にあるはずの雲を、あえて描かない。これは当時、瞬間的・一時的なものと区別し、絵に普遍性をもたせるためによく用いられた手法です。
③ スフマート技法
輪郭線を描かず、点描によるグラデーションのみで描く技法のこと。リアリストだったダ・ヴィンチは、自然界には存在しない輪郭線を避けました。
④ 未完成
手の爪が描かれていなかったり、左手の指に描き直した跡が残っていたりするのは、本作が未完成である証拠という説も。未完の傑作としても有名です。
⑤ モデル
制作に関して不明点が多い本作ですが、当時の記録からモデルは商人の妻リザ・デル・ジョコンドという女性ということは明らかになっています。彼女は当時24~27歳。直前に幼い娘を亡くしているため、黒いヴェールと喪服姿なのだという説も。
○盗難事件
ダ・ヴィンチの死後、フランス王に買い取られた本作。しかし1911年にルーヴル美術館の工事業者により盗まれたという歴史もあります。
■見たことがないなら描かない! 筋金入りの天才リアリスト
ルネサンスの三大巨匠のひとりである彼は、フィレンツェ近郊のヴィンチ村に私生児として生まれました。13歳頃にヴェロッキオの工房に弟子入りし、美術全般の基礎を体得。頭角をあらわし、フィレンツェ、ミラノ、ローマで活躍。晩年はフランソワ1世に招かれて渡仏し、67歳で客死しました。
徹底したリアリストで完全主義者だったダ・ヴィンチ。「見たことがないものは描かない」というスタンスで、優れた自然観察や深い精神性にもとづく作品を制作。同時に彫刻、建築、舞台芸術、音楽、天文学、数学、軍事技術など多彩な分野で努力を続け、才能を発揮しました。『最後の晩餐』などに見られる優れた遠近法や、独特のぼかし技法スフマートの考案など、後世の画家に与えた影響は計り知れません。
※1 ヴェロッキオ『キリストの洗礼』1473年頃/ウフィツイ美術館(フィレンツェ)
※2 ヴェロッキオ『トビアスと天使』1470 ~ 80年/ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
※3 『岩窟の聖母』1483 ~ 86年頃/ルーヴル美術館(パリ)
※4『最後の晩餐』1494 ~ 98年頃/サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会(ミラノ)
※5 『ウィトルウィウス的人体図』1487年頃/アカデミア美術館(ヴェネツィア)
※6 『アトランティコ手稿』より「飛行機械の素描」1478 ~ 1518年/アンブロージアーナ図書館(ミラノ)
※7 『マドリッド手稿Ⅰ』より「水洗トイレの最初の素描」制作年不詳/国立図書館(マドリッド)
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